トップ>オピニオン>日独交流150周年に想う-鴎外、『ファウスト』、そして未来へ-
平山 令二 【略歴】
平山 令二/中央大学法学部教授
専門分野 ドイツ語・ドイツ文学
来年2011年は日本とドイツの交流が始まって150周年にあたる。1861年にプロイセンと幕府との間に修好通商条約が結ばれたからである。明治維新は7年後であり、ドイツ統一は10年後にプロイセンの宰相ビスマルクの強力なリーダーシップのもとで実現している。日独交流の150年は、同時期に近代的統一国家として出発した両国にとって実に多難な歳月であった。第1次世界大戦で中国青島において戦火を交え、第2次世界大戦では同盟国として戦い敗戦を迎えた。廃墟から再出発した両国は、近隣諸国との信頼関係を再構築するという課題を背負いつつ、驚異的な経済復興を遂げた。両国の歩みはこのように共通する側面をもっているが、そのような日独関係を象徴する日本側の人物は誰であろうか。鴎外森林太郎(1862-1922)であることに異論を唱える人はいないであろう。鴎外は幕末に津和野に生まれ、医学を学び軍医となった。当時の主流はドイツ医学であり、軍医に任官したあと、鴎外はドイツに三年間留学し、ライプチヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンで学んだ。ベルリンでは結核菌の発見で有名なコッホのもとでも学んでいる。
しかし、鴎外が日独交流において大きな貢献をしたのは医学の分野ではなく、周知のように文学の分野においてである。帰国後、鴎外はドイツ留学に題材を得た『舞姫』、『うたかたの記』、『文づかひ』の三部作を発表した。とりわけ、『舞姫』は明治の文壇に衝撃を与え、日本近代文学は『舞姫』から始まった、と称されるほどである。
さて、そのような鴎外についてドイツ側ではどのような評価をしているのであろうか。昨夏に私はドイツのライプチヒを訪れ、有名なアウエルバッハの地下酒場を訪れた。これまで何回かそこを訪れたことがあったが、ふと壁を見上げて私は驚いた。壁には軍服姿の男が平服の男とテーブルの前でビールのグラスを掲げている絵が大きく描かれていた。軍服姿の男は鴎外であり、平服の男は哲学者の井上哲次郎である。鴎外の『独逸日記』には、ふたりで地下酒場を訪れ歓談したという記述がある。その時にふたりが話したのは、この地下酒場の場面もあるゲーテの『ファウスト』を和訳しようということだった。それも漢文で訳したら面白かろうと。壁の絵にも、ふたりの後方に『ファウスト』に出てくる悪魔メフィストが描かれている。軍服姿の鴎外の横には和服姿の晩年の鴎外の姿もつけ加えられている。この奇妙な壁絵に興味をひかれたドイツ人観光客がさかんに写真をとっていた。
壁絵のモチーフのように、ドイツでは、鴎外はゲーテを初めとするドイツ文学の紹介者として知られている。とりわけゲーテの『ファウスト』の翻訳者として。そもそも私の昨夏のドイツ訪問は、デーベンの城跡を訪れることが目的であった。そこは鴎外の『文づかひ』のヒロイン、イイダ姫の居城で旧東ドイツ時代には廃墟になっていたが、1990年のドイツ再統一後にイイダ姫の遠縁のベーロウさんが移住し再建しつつある。ムルデ河をのぞむ高台の庭には若き日の鴎外の頭部像が立っている。ベーロウさんは、この地を日独青年の交流の場にしたいという夢を熱く語っておられた。実際にここ三年で中央大学の学生ふたりがデーベンを訪れ、ベーロウ家にお世話になっている。
ベーロウさんの案内で、『文づかひ』の他の舞台も見てまわった。マッヘルンの館には軽食レストランがあり、その一角には鴎外の写真が三枚飾られていた。また、マッヘルンの中心広場には、ここを訪れた有名人たちの石碑がいくつも立っていた。そこには、ゲーテと並んで鴎外の石碑もあり、鴎外の横顔が彫られ、文学者であるとともにゲーテ『ファウスト』の翻訳者でもあるという解説が書かれていた。アウエルバッハの地下酒場の壁絵といい、ベーロウ家の頭部像といい、そしてここマッヘルンの横顔といい、鴎外がこれほどまでにドイツの人々に大切にされていることを知り、胸が熱くなる思いだった。
150年間の日独交流の歴史を振り返るのに鴎外と『ファウスト』を基軸に考えることは意義深い。ファウストとグレートヒェンの悲劇的恋愛、学者ファウストの哲学的探求などが『ファウスト』に描かれているが、これは鴎外『舞姫』の豊太郎とエリスの悲恋につながり、三木清らのドイツ哲学へのあこがれにもつながる。また、『ファウスト』には、試験管ベービーのようなホムンクルス、無益な戦争、国庫の乱費によるインフレ現象など現代的問題も取り上げられている。しかし、それだけでなく『ファウスト』には日独関係の将来を考える際にヒントになることも描き込まれている。最終場面では、海の干拓の問題が取り上げられる。干拓のために立ち退きを迫られ、メフィストに殺害される老夫婦の悲劇も描かれている。環境問題への鋭い意識をゲーテがもっていた証拠だろう。また、ファウストは「自由な土地に自由な民と暮らす」ことが自らの夢だと語る。ここには、国や民族の枠組みを越えた世界市民的な発想がある。中央大学でも、ドイツの市民たちによる環境保護運動や再統一の時期の東ドイツ民主化運動に興味を持ち、ドイツを訪れる学生が増えている。これからの市民中心の日独交流が、環境保護や市民の目線に立つ政治といったグローバルな課題で深まっていくことが求められていると思う。
鴎外も『ファウスト』も単なる古典としてではなく、これからも生き続けるであろう。