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木立 真直

木立 真直 【略歴

フードデザートから地域の再生に向けて

木立 真直/中央大学商学部教授、企業研究所所長
専門分野 流通論、食品流通論

フードデザートとは

 フードデザートとは「食の砂漠」(Food Deserts)のことである。「食後の甘味」のことではない。3年前なら流通論の講義で話題にしても、この言葉を知る学生はほぼ皆無であった。しかし最近、この問題への認知度は急速に高まりつつある。英国発のこの言葉が、日本でも2009年になって「買物難民」・「買物弱者」という言葉とともにマスコミで大きく取り上げられたからである。良くも悪くもマスコミの力は強大だ。けれども、この現象は21世紀に入って生じてきた新奇の傾向ではない。

 流通論は、元々、商品の取引を対象とする学問である。もっとも近年になると、商店街や街づくりなど、流通業と地域との関連性に着目した研究が活発になっている。映画『下妻物語』の主人公・桃子が足繁く通う渋谷・代官山のBaby, The Star Shine Brightと、彼女が一瞥だにしない地元茨城・下妻のジャスコ(イオン)との違いは何であろうか。取扱商品の種類をさておくと、中小店か大型店か、専門店か総合店かよりも、むしろ都心か郊外かという立地の違いが際立つ。小売業と地域との関係性を示唆するエピソードの1つだが、ここで紹介するフードデザートとは、後者すなわちスーパーが撤退した場合に生じる地域の生活機能崩壊の話である(詳しくは、『生活協同組合研究』No.416、2010年9月所収の拙稿を参照)。

英国のフードデザートとスーパー悪玉論

 英国ではフードデザートは1990年代から重大な社会問題の1つとして注視されてきた。その一般的定義はこうだ。消費者にとって半径約500メートル圏内に食品小売店がなく、栄養のある新鮮な食品を手軽に入手することが困難な都市内の地域。こうした地域に居住し、かつ自動車を持たない人々は、日常の買物を生鮮野菜などの品揃えが不十分な街角の零細店に依存せざるをえない。その結果、やがて深刻な健康被害を受けるにいたっているという。

 英国でフードデザートが生じた主要な原因は、80年代に入って大手食品小売企業が採用した出店戦略にある。都心部のスーパーマーケットを閉鎖し、大型店であるスーパーセンターの郊外出店を加速化させ、いわゆるスクラップ・アンド・ビルドを強めていった。これは、小売企業には店舗運営や物流面での利益をもたらし、同時に、裕福で移動性(mobility)の高い消費者には多様な品揃えと快適な買物空間を提供するものであった。しかし他方、都心部に居住する低所得層の人々にとっては食品の日常的な買物環境を奪われていくこととなったのである。

 実のところ、英国でフードデザートの問題性やその要因をめぐって共通の理解があるわけではない。この問題が小売寡占化の弊害であるとすることに否定的な見方もその1つである。とはいえ、英国食品小売市場の7割強はテスコなどの大手スーパー4社によって占められている。消費者の食へのアクセス条件を決定づける権限がほぼ彼らの手中にあることは否定できない。

津々浦々に広がる日本型フードデザート

 日本型フードデザート現象には、英国のそれと比較し、いくつか独自の特徴がある。まず、中心市街地での問題である英国に対し、日本では津々浦々に拡散している。1つに、高度成長期以降、都市の外延部として無秩序に拡大してきた郊外だ。最近では、「平成の大合併」で事実上、吸収された旧町村が新市の新たな郊外と化している。そこに食品小売店の空白地帯が生じている。いま1つに、都市や郊外に先んじて買物条件が悪化していた農村部とくに中山間地域だ。

 フードデザート化の直接的な引き金は、日本でもスーパーの閉店・撤退にある。だが、その背景に、進行するデフレと熾烈な店舗間競争という市場環境下でのスーパーの収益力の低下がある点は重要だ。今、店舗の維持や新規出店といった地域からの要望に応える余力のあるスーパーはさほど多くはないのではないか。単純なスーパー悪玉論で片付けることはできない。また、地方自治体が小売店の誘致や買物バスなど何らかの支援策を打ち出すにも、財政赤字に苦悶する中、単独でなしうることは限られる。日本型フードデザートは、日本経済全般の凋落局面が複雑に絡み合って進行している。

 将来はどうか。日本は世界的に類稀な人口減少・高齢化を迎えている。今後、2050年には65歳以上人口比率が英国や米国の2割台前半に対し日本は約4割に達するという。現在、約600万人と推計される「買物弱者」。学生も、自分は無縁だが、よく考えると「祖母が」と問題の身近さに気付く。すでに「他人事」ではなく「身内の問題」であり、このままでは「明日は我が身」のその日もそう遠くはない。数世紀後、21世紀最大のフードデザート大国であったとして世界遺産に登録されるようでは、世界への日本食の発信を掲げる日本にとって笑えない悲話である。

地域再生に向けての基本課題

 アフリカの食糧難がはるかに深刻なことは論を待たない。だが、フードデザートの問題性は、成熟した「豊かな国」で、暮らしの基礎的条件が奪われる社会的排除(Social Exclusion)が広がりをみせることにある。「弱者」と「砂漠」という表現は、格差と生存権の問題であることを提起している。憲法第25条が保障する「健康」の維持には、まずは「腹ごしらえ」が肝心。万人とりわけ買物弱者に対する食へのアクセス条件の保障は福祉の原点である。

 だが、政策論だけでは、フードデザート問題の解決と地域再生の空間的ビジョンは描きにくいのではないか。それは、買物という選択行動がより広く消費者の自律性と消費生活の豊かさにかかわるからだ。冒頭述べた、桃子にとって代官山のロリータ・ファッション・ショップがもつ存在意義も「健康」と併置される「文化」の選択権にほかならない。それゆえ、流通業が地域における競争を通して消費者に提供しうる外部効果を含む多面的な機能の動態を検討する作業が欠かせない。

 目指すべき基本方向は、人々の長寿化傾向と定住性志向が強まる21世紀の市場環境に即した、地域の長寿化、それに伴う企業・組織の長寿化だ。それは「成長性」重視から「持続性」重視への戦略転換である。20世紀型の規模拡大優先による肥大化、近視眼的な製品・業態の短ライフサイクル化と決別することで、はじめて「石の上にも三年」、地域密着型の長期的な投資も可能になる。企業・組織そして地域の長寿化を通して、フードデザート問題の解決とより豊かな食環境が展望される。大切なのは「高齢化」ではなく「長寿化」というポジティヴな視点だ。

木立真直(きだち・まなお)/中央大学商学部教授、企業研究所所長
専門分野 流通論、食品流通論
【略歴】
青森県生まれ。博士(九州大学)。1992年より中央大学にて流通論を担当。1996年コーネル大学、97年エディンバラ大学、2005年モナシュ大学にて客員教授。現在、流通経済研究会代表世話人、東京都卸売市場審議会委員などを務める。最近の著書は、『現代生協論の探求』コープ出版、『現代流通入門』有斐閣、『流通の理論・歴史・現状分析』中大出版部(いずれも共著)、『ロジスティクスと小売経営』白桃書房(共訳)。趣味はテニス、音楽(ピアノ)、茶道(裏千家)。
参考:日本におけるPBの展開方向と食品メーカーの対応課題