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鎌倉 稔成

鎌倉 稔成 【略歴

iPadの教育・研究への利用可能性

鎌倉 稔成/中央大学理工学部教授
専門分野 統計科学、社会システム工学

iPadを手に入れた

 5月31日、私はいつもの講義カバンにいつものプレゼンテーション用のMacbook air、それに数日前に発売になったばかりのiPadをしのばせて講義室に向かった。講義開始のチャイムとともに教壇に立つと、いささか緊張した面持ちで、教科書よりやや大きめの、黒いケースに覆われたiPadを取り出した。たいそう大事そうに取り出したためか、目ざとい学生は「おおー」というような声を上げ、瞬く間にその歓声は教室全体に広がっていった。統計学の教材に工夫をこらしたという結果ではない。ただ取り出しただけなのである。

授業利用はどうか

 iPadの姿を垣間見た学生は、次にそれが授業の中でどのように使われるか大いなる期待をしたに違いない。まずは授業用教材のPDF化とプレゼンテーションツールとしての利用から始める。こんなにも薄くて、軽いデバイスからパワーポイント資料がスクリーンに投影できるということぐらいでも驚いてくれる。しかし、授業の回数を重ねるごとにこの目新しさはなくなり、興味が薄れていく。iPad特有のタッチパネルを利用した工夫を行ってもである。やはりコンテンツのでき次第なのである。そのうちに学生の中にもユーザが出てくるが、PC用の教材ファイルをiPadで開くとサイズが大き過ぎたり、複雑過ぎて落ちてしまうという声も出てきた。どうやら教材開発もiPadを意識したものにする必要がありそうだ。

 さて、教育利用の実態はどうなのかを調査すると、タッチパネルを利用した選択式の試験および結果のフィードバック(タッチした時間によって解答するまでに要した時間がわかる)、電子書籍化された教材の閲覧、教職員のスケジュール管理、タッチパネルを利用した双方向の学習(わかりにくいときに、手を挙げる代わりにタッチパネルに触れる)、E-learning、英語学習(スピーカー、マイク)、デザイン・芸術性などがWeb上に利点として挙げられていた。英語教育には良さそうである。

理系の授業には

 理系の授業では、ウェブや書籍の閲覧だけでなく、技術文書の作成(特にLaTeX)やプログラム作成、数値計算、シミュレーションが必要となっている。iPad上での言語環境導入はむずかしいが、最近では、ウェブサーバーにアクセスし、計算の本体はそのサーバーを利用して、結果のみを閲覧するという形で可能となる。つまり、iPadではサーバーアクセスとフロントエンドのためのアプリケーションのみを提供すればよいのだ。

 こうしたiPad上のソフトウェアは徐々に増えてきている。たとえば、私が統計教育に用いているR言語もこのような方法でiPadから利用可能となる。LaTeXも同様である。この環境はすべてのiPadユーザが必要というわけではないが、理系の教育・研究にはぜひ欲しい環境である。これらは計算システムのクラウド化という言い方もできる。iPadを高度に活用しようとすれば、データおよび計算システムのクラウド化は避けられないということだ。

驚異的なアプリケーションの数とiPadの教育利用

 iPadやiPhoneは有用なアプリケーション(以下アプリ)がなければ、電話機能を除いて、ただの小箱に過ぎない。いろいろなアプリを導入することによって無限の可能性が出てくる。アップルの戦略で素晴らしいと思うのは、言語プログラムの実行というような一部の機能を除いて、誰にでもプログラム作成を可能にしたことである。

 2010年6月7日現在で、アップルストアのiPad専用のアプリは8,500本、iPhoneアプリ(iPad共用を含む)は225,000本、合計3,500万回のダウンロードがあったとされ、開発者に対して総額10億ドルの支払いを公表している。その後、9月16日現在で前者が約16,500本、後者が全体で約249,000本という伸びを見せている。iPadの登場は米国では2010年4月3日、日本では5月28日であるので、たった3ヶ月間でのこのアプリの本数の伸び方は大変なものである。

図1.カテゴリー別iPadアプリの本数

図1.カテゴリー別iPadアプリの本数

 iPad専用アプリ(図1)とiPone用アプリをカテゴリ分類でみると、一番多いアプリはどちらもゲームで、iPadで24%、iPhoneで17%、2番目は本(iPad:18%、iPhone:14%)、3番目はiPadでは教育で9%、iPhoneでは娯楽で12%、4番目はiPadでは娯楽で8%、iPhoneでは教育で8%となっている。上位4位までは特にアプリのカテゴリの順位に大きな差はないように見えるが、教育のカテゴリがiPadでは順位を上げていることが見て取れる。これはiPadの教育利用への期待が数字で現れた結果であろう。

 これらの順位を無料アプリだけで見ると、 本と教育がランクインするところまでは、iPadがゲーム、ニュース、娯楽、生活、教育、本、 iPhoneがゲーム、娯楽、生活、ユーティリティ、音楽、本、ビジネス、教育となっている。有料アプリだけでは、iPadが、ゲーム、本、教育、娯楽、iPhoneが、本、ゲーム、娯楽、教育となっている。以上から有料アプリと無料アプリのカテゴリに大きな差が出ていることがわかる。iPhoneで見たときに、有料アプリである本はトップにランクされており、すでに電子書籍のビューアーとしての確固たる地位を確保していることがわかる。

やはりiPadのアプリはiPhoneより高め

 本のカテゴリについて有料アプリの値段を調べると、iPadでは平均585円(メディアン:600円)、iPhoneで平均385円(メディアン:230円)となっている。iPadでは大きな画面、音楽やアニメーション機能を活かした、プラスアルファを意識しての価格設定になっていることがわかる。アプリ全体の価格設定の分布(図2)を見ても、iPadの分布(青線)はiPhoneの分布(赤線)より右側(高価格帯)にシフトしており、高めの設定となっていることがわかる。これは、どちらにも言えることであるが、1,200円以上のアプリの割合は少ない(5%以下)。

図2.iPhoneとiPadアプリの価格の分布の比較

図2.iPhoneとiPadアプリの価格の分布の比較

 iPad用として提供しているKeynote、Numbers、Pagesの1,200円という価格設定はアップルのエキスパートが開発したという点を考慮したうえで、十分安いととらえるか、図2で、それ以上の価格のものが5%にも満たないと考えてかなり高いととらえるか、意見の分かれるところである。

 今後、iPadを利用した電子教科書が増えていくと思われるが、有料化が必要な場合には、これらの価格設定も考慮する必要がある。

もっと誰にでも使えるシステムになって欲しい

 初めて携帯電話を手にしたときには、スイッチオンで電話番号をプッシュすればどこにいても電話ができることに驚いたものである。iPhoneを初めて手にしたときもそのように思っていたのだが、初期設定をしなければ電話すらできないことには別の意味で驚いた。それに加え、購入前にパソコンとインターネット接続の準備も必要となる。iPadも同様である。学生教育への導入に、もっと簡単にパーソナルな環境を用意できるようにするためには、もう少し敷居を下げて欲しいところである。

 アプリやデータのiPadへのインストールはiTunesを通すのが基本である。しかもその同期先のiTunesは1つに限られている。出張先で必要なプレゼンテーション用のデータファイルがないことに気づいたときは、iTunesの同期以外の方法でファイルを手に入れなければならない。自作のデータファイルまでもiTunes経由というのは管理しすぎである。音楽データのように著作権が絡んでくるデータは同期先の母艦は1つでも構わない。しかし、ワープロやプレゼンテーションデータの場合は少し工夫が必要である。アップルは特定のメールサーバーを通じて実験的に自己のデータを特定のアプリに転送できるようにしているが、それは決して使い勝手がよいとはいえない。セキュリティや著作権保護のこともあるだろうが、データのクラウド化が進んでいる現在だからこそ、こうした環境が自由に使えるようなシステムが欲しい。

ユーザがみんなで作り上げる教育・研究環境

 iPadの利用はWebと電子書籍の閲覧がほとんどであるという報告もある。だが、これは利用実態であって、研究・教育に必要だからということではない。理系における研究・教育利用には、Web と電子書籍も欠かせないが、フロントエンドアプリとクラウドコンピューティングによって、かなり利用価値の高いシステムが構築できるようになると考えられる。また、アプリケーションソフトの開発は、学生と楽しみながら行うことによって、よりいっそう教育にも役立ちそうである。そういった点においても、研究・教育現場に適応した情報収集、データ収集の携帯端末として有効利用できる可能性の高いiPadに大いに期待したい。

注)ここで扱ったアプリの価格のデータはhttp://catchapp.net/を利用させていただいた。感謝申しあげたい。

鎌倉 稔成(かまくら・としなり)/中央大学理工学部教授
専門分野 統計科学、社会システム工学
【略歴】
長野県出身。1953年生まれ。1976年東京工業大学工学部卒業。
1978年東京工業大大学院理工学研究科修士課程修了。1980年東京工業大大学院理工学研究科博士課程中途退学。工学博士(東京工業大学、1987年) 文部省統計数理研究所研究員、中央大学理工学部専任講師、助教授を経て1995年より現職、現在の研究課題は、信頼性データの解析、行動認識における統計的方法、統計的評価法など。
また、主要著書に、「データサイエンス入門」(共著)(<数理工学社>、2004年)、「統計データ科学事典」(分担執筆)(<朝倉書店>、2007年)、「21世紀の統計科学:自然・生物・健康の統計科学」(分担執筆)(<東京大学出版会>、2008年)、「歯科臨床研究の統計ガイド」(総監修)(<医歯薬出版>、2009年)などがある。