吉野 朋美 【略歴】
吉野 朋美/中央大学文学部准教授
専門分野 日本古典文学
「婚活」という言葉が世に定着して久しい。最近では婚活が思うようにいかず、相手からの拒絶に対する不安や恐怖で、過敏性大腸炎になったりネガティブな思考に陥ったりするなど心身の不調を訴える人が増え、メンタルクリニックに「婚活疲労外来」が登場したほどだそうである(8月11日付Yahoo!ニュース)。「婚活」を無事成し遂げ結婚に至るのは、なかなか容易ではないということだろう。
ここにこんな男がいる。いつも寝そべっている。物を落としても起きて取りに行こうともせず、通りがかった者に拾うよう頼む。取ってくれないと悪態をつく……。これって、休みの日のお父さん? あるいはぐうたら息子? いやいや、これは室町時代後半に成立した御伽草子『物くさ太郎』の主人公がいかに横着だったかを示すエピソードである。『物くさ太郎』は、こんなぐうたら男が見事「婚活」を成功させる話(だけではないの)だが、彼はいかにして結婚に至ったのだろうか。
信濃国筑摩郡あたらしの郷の住人「物くさ太郎ひぢかす」は、国に並ぶ者なき横着者。竹を立て菰(こも)をひっかけた小屋に住み、蚤・虱(しらみ)に垢まみれで寝そべったまま、四,五日に一度も起き上がらない生活だ。ある日、人から恵まれた餅の一つを誤って道に転がしてしまう。それを拾うのも面倒な太郎は通る人を待つ。と三日目に、この土地の地頭(じとう)が通りかかる。横柄な態度で餅を拾ってくれと頼み、拾ってくれないと文句を言う太郎に、地頭は興味を持ち、自分の領地に生を受けたのも前世からの宿縁と、領民に太郎を養うことを命じた。
三年経った春の末、信濃の国司があたらしの郷に京上りの労役を命じてくる。困った百姓たちは、太郎に代わりに出るよう説得する。都に行けば思慮分別のある立派な男になれるしきれいな妻もめとれるから、と言われた太郎は了解し、常の横着もどこへやら、すぐ支度して京に上った。京での太郎は勤勉に仕事に取り組み、約束の期間を超過して勤めるほどだった。帰途、よい妻を連れて帰るつもりだったことを思い出した太郎は、宿の者に嫁の取り方を尋ね「辻取り」を勧められる。そこで縁日の清水寺の辻に立った太郎は、貴族に仕える若い女房を見初める。垢じみた太郎に往来で抱きつかれた女房は恐怖におののくものの、太郎を田舎者と見、機知を働かせた謎かけをして逃げ切ろうとするが、意外にも太郎は次々答える。歌をよみかけてもすぐに場に応じた、縁語掛詞仕立ての返歌をしてくる。こんな男がとっさに見事な和歌をよむ意外さ、風流さと才能に女房は感心しつつ、謎かけの和歌を残して逃げていく。その和歌も読み解き、女房の居所をつきとめた太郎は、さらに機知的な和歌・連歌(れんが)の贈答をするなかに相手への思いやりの心も見せ、ついに女房の気持ちをなびかせ結婚に至るのだ。
その後、七日間湯風呂に入った垢まみれの太郎は、玉のような美男子に変身する。女房から礼法も学び、立派な装束に身を包んだ太郎は公卿(くぎょう)・殿上人(てんじょうびと)にも劣らぬ姿になり、和歌連歌の上手としても評判になる。ついには天皇に面謁し、求めに応じて和歌を見事によんだところ、いたく感動した天皇は太郎の出自に興味を持ち、信濃の国元に探索させる。すると実は太郎は仁明(にんみょう)天皇の皇子で信濃国に流された二位の中将が、善光寺に祈って得た申し子だったことが判明、太郎は信濃の中将になり、甲斐信濃両国を賜って女房と共に下向する。信濃に着いた太郎は、かつて自分を養うようはからってくれた地頭と三年自分を養ってくれた百姓達の恩に報い、子孫繁盛の一生を送った。後に、太郎はおたがの大明神、妻の女房もあさひの権現として祀られたという。
この『物くさ太郎』は、主人公が大変身して出世する話でもあり、隠れた才能を発揮して見事意中の女性を手に入れる恋愛物でもあり、実は高貴な出だったという貴種流離の型もふまえ、さらには神仏由来譚でもあるという盛りだくさんの内容で、享受層だった庶民の新興階級に、当時好んで読まれた作品だった。
物語の時代設定は一応平安時代だが、ここには中世社会の世情や習俗を象徴する事柄が多く書かれている。社会の底辺に多くいた太郎のような生活者、きっかけを得て〈できる〉男へと変貌する下剋上的な世情、道の四つ角や市で女性をナンパして物にしようとする「辻取り」、縁結びでも有名な観音の霊験あらたかな寺で、男女の出逢いの場でもあった清水寺門前が舞台……などである。
そのなかで、ここだけ王朝的と言おうか、おおかたの庶民には必要ない和歌の才能が、物くさ太郎の「婚活」(はおろか、出世まで)を見事成功に導くきっかけになるというのはおもしろい。太郎の和歌や連歌に、場に応じ、しかも即興で縁語や掛詞などを用いながら機知的なやりとりができるという、歌の贈答に最も必要なうまさがあったのも見逃せない(注)。これは、和歌はこういう技術が必要な高尚なものだが、詠めればこんな素晴らしいことも起こるのだ、という憧れの気持ちが、この作品の享受層にあったことを物語っているからである。
太郎の「婚活」が成功したのは、結局は自らの隠れた才能が、それを理解できた相手の心を動かしたことによる。実は美男子で高貴な出自だったが、それは結婚時にはわかっていないのだから決め手ではない。ただ、忘れてはいけないのは、太郎が才能を発揮できた根底には、まず横着者だった折に養ってやった周りの寛容さがあり、乗せられたにせよ与えられたきっかけをつかんでやる気になってまじめに取り組んだ事実があったこと、さらに、愚直に――ある意味鈍感に、相手に向かう真剣さ、ここぞというときに発揮できる才能があったことである。
冒頭にも見たように、現代の「婚活」は生易しいものではないようだ。当事者は本当に大変だろう。が、ここは一つ、こんな物くさ太郎でも時を得て大変身し成功したのだから、と大きく構え(周囲にも構えてもらって)、自分の好きなこと、得意なものの才をひそかに磨きながらゆったり過ごし、ここぞという時と相手を待つ(これを見極めるのが重要)。そんな生き方もよいのではないだろうか。
(注)たとえば女房の琴を壊してしまって女房に嘆かれた折に、「ことわりなれば物も言はれず」(「琴破(ことわ)り」と「理(ことわり)」を掛け、おっしゃるのもごもっとも、申し訳なくて言葉も見つかりません、の意)ととっさに詠むようなうまさである。もっともこれはダジャレに近く、歌としての出来は……だが、とっさに詠むことは重要である。
*画像は中央大学国文学研究室蔵の版本『御伽草子二十三種』(913.49/O86)「物くさ太郎」による。