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トップ>オピニオン>坂本龍馬と薩長同盟の「新説」論議

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松尾 正人

松尾 正人 【略歴

坂本龍馬と薩長同盟の「新説」論議

松尾 正人/中央大学文学部教授
専門分野 日本史

薩長同盟に龍馬が不在という「新説」

 幕末の薩長同盟(盟約)といえば、土佐の坂本龍馬が有名である。長州藩の尊王攘夷派は、京都で禁門の変を引き起こし、幕府側に加担した薩摩藩と敵対していた。その長州藩と薩摩藩の和解を仲介し、幕末政局の転換に力を発揮したのが坂本龍馬とされている。

 この薩長同盟と龍馬の問題については、論議となっている点が多い。十数年前、大手新聞に「薩長同盟 竜馬仲介は創作?」といった「新説」が紹介された。新聞には「薩摩藩家老の日記に注目」、「西郷・木戸会談に同席せず」との見出しが躍った。その「新説」は、京都で同盟が結ばれた薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允との会談に、龍馬が同席していなかったというのである。

 この「新説」が依拠した史料は、京都の薩摩藩邸にいた同藩家老の桂久武日記であった。慶応2(1866)年正月18日の日記には、西郷隆盛・大久保利通と木戸が長時間におよぶ「国事」の話し合いをしたことが記されている。20日には大久保の帰国が命じられ、木戸についても送別会が開かれたという。それゆえ「新説」は、薩長同盟の締結が正月18日だったと論じた。それまでの正月21日説を否定。そして龍馬が京都に入った正月20日は、すでに同盟が成立した後であったという。したがって龍馬は肝心の会議に同席せず、後日に木戸が同盟を明文化した書状に裏書しただけであるというのが「新説」の結論であった。

 この「新説」は、「薩長同盟の新事実」として書店の出版物に掲載されると、多くの議論を引き起こした。芳即正『坂本龍馬と薩長同盟』(高城書房)は、長時間におよんだ「国事」の内容を検討。同盟が正月18日とする「新説」への疑問を呈した。その後も18日説とは異なる青山忠正『明治維新と国家形成』(吉川弘文館)、高橋秀直『幕末維新の政治と天皇』(同)、三宅紹宣「薩長盟約の歴史的意義」(『日本歴史』647)などが公刊されている。

木戸孝允の「薩・長両藩盟約に関する自叙」

 ところで、この「新説」は、龍馬が薩長同盟を仲介したという通説を、土佐人が後年に「創作」した「逸話」であると論じている。土佐の維新の功績を強調するために、土佐人が木戸の回顧録などを基に「創作」したという。木戸の回顧録とは、日本史籍協会叢書の『木戸孝允文書』(八)に掲載されている「薩・長両藩盟約に関する自叙」のことである。木戸の「自叙」は、自身が京都の薩摩藩邸に潜入した経緯、薩摩藩側の対応に不満で退去しようとした直前に龍馬が現われたことなどを記している。そして、龍馬が木戸の心境を薩摩藩側に話し、薩長同盟の場に陪席したことを「良馬亦此席に倍す」と明記していた。

 「自叙」は、確かに木戸の立場で書かれ、龍馬の到着前に薩摩藩側と交わした「長州処罰」問題などを記していない。それにしても「自叙」に書かれた木戸の「空く在留」の心境、龍馬が会議に陪席した事実の大筋はまちがっていないように思う。「創作」とみなす指摘には飛躍が大きい。特に龍馬の陪席は、木戸が直後に記した龍馬宛の有名な書状にも裏付けられる。木戸は龍馬に宛て「御同座」と書いた。これに対する龍馬の返信(裏書き)は、自身が会議に同席したことに言及。そして、「小西両氏及老兄龍等も御同席にて談論せし所にて毛も相違無之候」と記している。

 回顧録と日記を比較すると、日記の方が概して真実性の強いことはいうまでもない。それでも、客観的な裏づけの検討と慎重な吟味が必要である。桂久武の正月18日の日記に「国事」を話し合ったと書かれていても、それが直ちに「新説」の主張する同盟であったと限らない。薩摩と長州の間で「国事」に関する話があっても、18日は木戸が期待したような同盟という類いのものでなかったのが事実であろう。

 木戸孝允は長州藩の命運をかけて京都の薩摩藩邸に入った。それゆえ、品川弥二郎をはじめとした長州藩諸隊の代表者、そして坂本龍馬とともに仲介の労を取った中岡慎太郎に近い土佐の田中光顕を同行していた。後年ではあるが、中原邦平が記録した「品川弥二郎述懐談」によれば、木戸に同行した品川は、薩摩藩邸に龍馬が入ったことで正月21日に同盟の話が進んだと語っている。同盟に向けた木戸の心境、龍馬の陪席を記した「自叙」は、回顧録とはいえ歴史の史料として無視できない重みを持っているように思う。

 坂本龍馬は自由奔放で縦横無尽な活躍が目立つ。その評価をめぐる議論はつきない。近年も井上勲『坂本龍馬』(山川出版)・佐々木克『坂本龍馬とその時代』(河出書房新社)をはじめとして、さまざまな出版物が薩長同盟や近江屋の暗殺事件などを取り上げている。今年の大河ドラマ「龍馬伝」も、龍馬が改めて議論される機会となる。さらなる研究の発展につながることを願いたい。

松尾 正人(まつお・まさひと)/中央大学文学部教授
専門分野 日本史
1948年生れ。1971年中央大学文学部卒業。1976年 中央大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(史学)。東海大学文学部専任講師・助教授、中央大学文学部助教授を経て現在は中央大学教授。文学部長、副学長を歴任。八王子市史編纂審議会会長、多摩市文化財保護審議会会長、中央大学合気道部部長。研究分野は日本近代史、特に幕末から明治期の政治史を研究している。 主要著書は、『廃藩置県』(中央公論社 1986年)、『維新政権』(吉川弘文館 1995年)、『廃藩置県の研究』(吉川弘文館 2001年)、『木戸孝允』(吉川弘文館 2007年)、『明治維新と文明開化』(編著、吉川弘文館 2004年)、『近代日本の形成と地域社会』(編著、岩田書院 2006年)など。