金光 仁三郎 【略歴】
金光 仁三郎/中央大学経済学部教授
専門分野 仏文学、神話学
近年、日本の若者論として草食系男子、肉食系女子という男女逆転現象の流行語がジャーナリズムの世界で目に付くようになりました。経済学部の語学の授業では、30年ほど前だと、女子学生はどこのクラスでも3、4名程度の少人数が一般的だったのに、近頃は大半が10名を超える盛況ぶりです。それだけ女子学生も男子学生なみに大衆化が進んだわけでしょうが、以前のように少数の女子学生がクラスを先導する授業風景は少なくなってきました。少数精鋭のエリート意識の強い昔の女子学生が肉食系なのか、それともマスの中に埋没しながら、マスの強さを身に着けて、それを無意識に押し出してくる現今の女子学生が肉食系なのか……
昨年、私はユーラシア大陸に大地母神の伝承を追った『大地の神話―ユーラシアの伝承』(中大出版部)という本を上梓しました。ローマのヴィーナスは、愛と豊穣の女神です。ヴィーナス像を溯って行くと、ギリシアのアフロディテ、フェニキア・ウガリトのアシュタルテ、メソポタミアのイシュタルにたどり着きます。アシュタルテ(Ashtart)とイシュタル(Ishtar)の名称には同音のshtarが入っていますから、地域差はあるにせよ小アジアの同一の女神であることが分かります。キュプロス島パポス市にはアシュタルテ神殿がありました。アフロディテは別名をキュプリスといって、キュプロス島ではこの女神崇拝が盛んでした。アシュタルテがフェニキアからギリシアへ移植され愛の女神アフロディテになったわけです。そうなるとギリシア・ローマのアフロディテ・ヴィーナスは、メソポタミアのイシュタル(=イナンナ)から派生した女神ということになりましょう。世界各地にはそれこそたくさんの女神たちがおりますが、それらの女神像を大筋において作り上げたらしい伝播の太い流れがユーラシア大陸にはひとつあるようです。
イシュタルは、アフロディテ型の愛と豊穣の女神であるばかりか、デメテル型の大地母神、アルテミス・アテナ型の戦う処女神を併せ持った大女神です。彼女は、母親の胎内から神の使う武器を持って産まれてきます。後には「戦闘の奥方」と称えられ、無数の敵を倒すようになります。この戦う女神像は、ギリシア神話だけでも狩りの処女神アルテミスやアテナイの守護女神アテナ、アルテミスを信奉する女人族の戦士集団アマゾン族を生み出していきますが、北欧神話の女戦士集団ヴァルキューレやケルト神話の男勝りの女王メドブ、円卓会議を主宰して、戦士集団の騎士たちを統括していたアーサー王の妻グウィネヴィアなどにもその余波が波及していったように思えます。それほど世界の女神たちは肉食系なのです(笑)。この愛と戦闘の女神たちは、農業と狩猟の豊穣多産な収穫を祈願して誕生したのでしょうから、愛においても奔放です。
イシュタルの事跡に冥界下りの神話があります。彼女は自ら冥界に下っただけでなく、恋人のタンムズまで冥界に突き落とします。愛の女神が冥界へ下って死の判決を下されれば、この世からすべての愛が消え、大地は実りを結びません。水神エアが冥界へ使者を送って死んだ女神に「生命の水」を振りかけて息を吹き返させ、地上に舞い戻らせる代わりに、恋人のタンムズは種子として半年を地下で、残りの半年を地上で暮らさざるをえなくなります。これが大地と一体化して、世界中に伝播した愛の女神の冥界下り、植物神話です。この神話では女神だけでなく、殺された男神(英雄)までが復活するか、復活を待望されます。アドニス、ディオニュソス、アーサー王はもとより、拡大解釈すればキリストさえこの中に入るでしょう。こうした男神(英雄)たちはカップルの女神が肉食系なら草食系、逆に女神が弱ければ、強い性格を担うようになりますが、この世に農業、軍事、宗教などの文化を拡大させていく点では共通しています。神話学では彼らのことを文化英雄と呼んでいます。
英語でもフランス語でもCultureという言葉には、「文化」、「教養」以外に「耕作」の意味があります。「大地」の化身である大地母神を耕さなければ、豊穣な実りはおろか多産も約束されず、「文化」や「教養」を身につけることなど所詮は不可能と、Cultureの語源は言っているような気がします。実際、男神たちは、女神たちの種になりきることで自らを開花させ、文化英雄に育っていったわけです。昨今の若者たちは、耕すことから遠のいているような気がします。他者と接触しなければ、耕すことなどできませんし、恋も文化も生まれません。ヴァーチャルな現代の文化現象が若者を孤立に追いやっているのかもしれませんが、そういう私も長い時間パソコンの前に座っているわけですから、あまり大きなことは言える立場にありますまい。