今年3月にドーハで開催されたワシントン条約第15回締約国会議の開会挨拶で、国連環境計画(UNEP)のJ・シュタイナー事務局長は、ワシントン条約は世界の生物多様性の持続的な管理を行うために設立されたものであり、2010年は生物多様性喪失の割合を転換させる年であると述べた。この10月には、名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議とカルタヘナ議定書第5回締約国会合が開催される予定になっている。その意味で、今年は、日本が生物多様性をはじめとする地球環境保護にどのように貢献していくかが問われる年でもある。
クロマグロ問題の背景
ワシントン条約のドーハ会議では、大西洋・地中海産クロマグロの国際取引を禁止するというモナコ提案が、反対68、賛成20、棄権30の反対多数で否決された。ワシントン条約の正式名称は、よく知られているように、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」で、絶滅のおそれのある動植物については附属書Ⅰに掲げられている。附属書Ⅰにリストアップされている代表的な動物は、ジャイアントパンダ、オラウータン、シロナガスクジラ、ウミガメなどであり、魚類ではシーラカンス、ウミチョウザメ、ノコギリエイ、メコンオオナマズなどである。
この附属書Ⅰにクロマグロを入れるというモナコ提案が出された経緯についてみると、まずこれを支持したのはEUであった。EUは、2009年秋まで、クロマグロの国際取引を禁止するという問題は「大西洋マグロ類保存委員会」(ICCAT)が取り上げる案件であり、ICCATによる複数年度計画による対策が重要であって、ICCAT加盟国(日本も加盟国)がクロマグロの漁業資源量に配慮しなければならないという立場をとっていた。他方、EUはクロマグロをワシントン条約の附属書Ⅰにリストアップすることについてモナコから共同提案することを求められていた。EUはこの問題についてはICCATの科学的証拠の提示をまって決めることにしていた。
環境保護と科学的証拠
2009年10月21日から23日までスペインのマドリッドでICCATの科学委員会が開催され、大西洋クロマグロをワシントン条約の附属書Ⅰに入れるかどうかについての検討がなされた。その結果、クロマグロは商業取引が開始される以前と比較して15%以下にまで減少している可能性が90パーセント以上の確率で高いという結論が出され、附属書Ⅰに掲げられるべき状況であると報告された。ところが、2009年11月にブラジルのレシフェで開催されたICCATの第21回年次会合の決定は、クロマグロの総漁業量を2010年度は前年比40%減の1万3000トンにするというものであった。日本の漁獲量は1871トンから1148トンに削減された。もともとICCATは基本的にはマグロ類の持続的漁獲を可能にするということをめざす国際機関であり、そこでは加盟国の利害も絡んでいるために、クロマグロについては小型魚の漁獲・販売禁止や産卵親魚の漁獲禁止の措置はとれても、成魚の漁獲禁止というコンセンサスを得ることは難しいといわれていた。
しかし、この年次会合で出されたクロマグロ資源に関する将来的な予測は厳しく、漁獲量を年間8000トンに設定したとしても、2023年までにその資源が回復する可能性は50パーセントしかないというものであった。EUはこの時点でモナコ提案を支持するという方向を固めていたように思われる。国際的な合意には科学的証拠に関する合意が必要なる。今回のICCAT科学委員会の結論も、100パーセント証明されたわけではなく、精確な調査の余地があり、またそれについてのコンセンサスの形成も必要である。このことは国際捕鯨委員会(IWC)におけるクジラの個体数の調査についてもいえることである。
クロマグロ問題と日本の立場
結局のところ、クロマグロの資源保護問題は、2010年3月のワシントン条約の締約国会議に委ねられ、モナコ提案は否決された。今回否決された背景には、中国のアフリカ諸国への働きかけなどもあったといわれている。しかし、クロマグロ資源の枯渇が懸念されているだけに、今後はこれまで以上にICCATで厳しい漁獲制限がとられる可能性が高いといえる。地球的な規模でさまざまな資源の枯渇や減少が問題となっているなかで、資源保護のためのグローバル環境ガバナンスとそこでの国際的な合意形成はますます必要不可欠なものとなっている。グローバル環境ガバナンスの機能を高めるためには精確な調査と科学的証拠に基づいた合意形成が必要となる。いま、日本も国益を一方的に主張するだけでなく、国際社会のなかでグローバル環境ガバナンスの枠組に積極的に関与し、そこでリーダーシップを発揮することが求められている。国際社会では合意形成自体が稀少資源であるが、日本は同時にその資源を増やすための努力も継続していく必要がある。