2000年代の初めのころ、「失われた10年」という言葉がはやりだった。いまは「失われた20年」が普通となり、このままでは「失われた30年」あるいは「失われた40年」になりかねないと懸念されている。じっさい、躍進するアジアのなかで、唯一、日本だけが年率1%という低成長率に悩んでいる。出口はないのだろうか。
東京が稼ぎ、余剰を地方が分配
3月末に出版した『関西経済論 原理と議題』は、閉塞する日本経済にわたしなりの出口を示したものだ。表題は「関西経済」となっているが、主張内容としては関西に限らない。閉塞する日本経済を立て直すには、各地域の経済の自律的発展を実現する以外にない。こういう認識に立って、「どうすべきか」、「どう考えたらよいか」を論じた。
現在の日本は、簡単にいえば、東京が稼ぎ、余剰を地方が分配しあっている構造だ。高度成長期以降の日本の経済政策は、中央・地方関係でみると、地方にあらゆる種類のばらまきをすることだった。それでも、地方は疲弊し、東京や一部の大都市圏のみが成長した。なぜだろうか。この大きな謎を解明しないかぎり、日本経済の復活はない。
余剰を分配しつづけても、東京が成長できるなら、日本はなんとかなるかもしれない。しかし、現状ははるかに厳しいものだ。地方を支える重みで、すでに東京は、自分自身が沈没しかねない状態だ。地域経済の自立は、各地方の問題であるばかりでなく、東京の問題でもあるのだ。
経済的自立なき「地方分権」の議論
地方分権は、この構造を変えるためにある。権限と財源の委譲、地域主権型分権、道州制。いろいろな提案がある。しかし、残念ながら、多くの議論は核心をはずしている。地域の経済的自立が視野に入っていないのだ。道州制のような「国のかたち」を変える提案も、行政のスリム化や効率化を求めるものばかり。道や州が経済的に自立するにはなにが必要か。そういう視点も議論も欠けている。
なぜ、このようなことになるのか。ひとつは、専門家の問題だ。地方制度を考える人たちの多くは、行政か財政の専門家だ。だから、そうした目でしか問題が提起されない。しかし、もっと大きな原因は、もちろん、経済学にある。
問題の根は深い。ふつうの経済学には、地域を経済発展の基本単位と考える発想がない。経済学は、その成立以来、国民国家を単位として考えてきた。アダム・スミス以前からの(すなわち重商主義の時代以来の)この大前提に異議を唱えたのは、じつは経済学者ではなかった。ジェーン・ジェイコブズという一市民活動家だった。この4月に全訳の出た『アメリカ大都市の死と生』により、彼女は、20世紀の都市計画思想を一変させた。しかし、経済学の世界でも、彼女はアインシュタインかプランク級の大理論家だった。
『関西経済論』の表題には「原理と議題」という補足がついている。日本という単位で経済発展を考えるのは誤りだ。そうとすれば、個々の地域が、みずからの経済をその発展の原理から考えなおす必要がある。経済学の原理そのものの変革なしには、地域経済を語ることはできない。このような観点にたって書かれた地域経済の本は、いまだかつてなかった。
内編第1章の終わりに書いたように、日本には、『関西経済論』に並んで、「九州経済論」「北海道経済論」「沖縄経済論」「中京経済論」などが書かれなければならない。そういうものの集大成として日本経済論がありえる。現存する地方経済論は、歴史的発展を記したものか、諸産業の現状を分析したものでしかない。将来を見通し、地域の自立を図る目的にはほとんど役立たない。明治以来の中央集権が経済学という学問の世界まで支配している。その意味で、『関西経済論 原理と議題』は、今後書かれるべき各地域の地域経済論の雛形でもある。
地域に必要な経済政策を考える人材の育成
2003年に専門職大学院制度が定められて以来、政策系の大学院が全国に10以上できた。多くは公共政策大学院と名づけられているが、総合政策その他の名称の研究科もある。これらの大学院の人材養成目標のひとつに「政策に強い地方公務員」がある。しかし、実情はさびしいものだ。ありきたりのミクロ経済学とマクロ経済学、それによくて日本経済論と開発経済学が教えられているに過ぎない。それでは、地域は、地域に必要な経済政策を考える人材を育成できるだろうか。
地域の政策を考えようとするものは、既成の学問を前提することはできない。若い研究者たち、政策担当者、活動家たちは、自分たちで考えていく以外にない。『関西経済論 原理と議題』が、そうした人々が考えはじめる枠組みのひとつになることを願っている。