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トップ>オピニオン>米(コメ)戸別所得補償制度は日本農業再生の切り札になるか

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大須 眞治

大須 眞治 【略歴

米(コメ)戸別所得補償制度は日本農業再生の切り札になるか

-民主党米政策に対する一考察-

大須 眞治/中央大学経済学部教授
専門分野 農業経済論

「米戸別補償モデル事業」登場の経緯

 これまで長らく政府が米の価格・流通を管理する制度の根拠になっていた食糧管理法(食管法)が1994年に廃止され、新たに食糧法(「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」)になり米価は市場の動きに任されることとなった。その結果、米価は不安定となり農家の所得安定させるために新たな制度が必要となった。

 自民党政権の時代の2007年産から導入されたのが水田・畑作経営所得安定対策は農家からの評判は大変悪かった。というのはこの安定対策の対象を4ヘクタール以上の認定農業者、20ヘクタール以上集落営農に限定したからである。米作付け農家166万戸の約9割に当たる150万戸は3ヘクタールに満たない農家であり農家の大部分が対象から外されたので不満が起こるのも当然であった。

 これに対して民主党は2009年の総選挙向けのマニフェストですべての販売農家を対象に米所得補償制度の構想を打ち出し、自民党との違いを鮮明にした。総選挙の結果、自民党が大敗し、民主党が政権を獲得することになった。そんな経過のなかで政権交代後の2010年度予算で民主党が農業政策の最重点にしたのが「米戸別所得補償モデル事業」である。

 民主党はマニフェスト工程表で、2010年度は調査・モデル事業、11年度から1兆円規模で本格実施するとしていたが、赤松農水相は09年10月に米での先行的実施を発表、予算5,618億円は全額確保を表明し、米戸別所得補償モデル事業が前倒し実施されることとなった。

米戸別所得補償モデル事業の主な内容

 事業の内容は、米の標準的な生産にかかる費用と米販売価格との差額を全国一律単価として政府が直接農家に交付するもので、これにより米生産にかかる経費を米農家が米販売で確保できるようにするものである。

 政府が農家に支払う交付単価は定額部分と変動部分からなる。定額部分は全国一律10アール当たり1万5千円で、その算定の仕方は標準的な生産に要する費用(過去7年のうち最高と最低の年を除いた5年間の平均額)から過去3年平均の販売価格を差し引いた差額である。変動部分は当年産の販売価格が過去3年平均の販売価格を下回った場合のその差額を基に変動部分の交付単価を決める。(農水省webサイトをご参照ください。新規ウインドウ

 交付対象者は米の生産調整に応じ「生産量目標」に即した生産を行った販売農家及び集落営農で、具体的な認定は不作等に備える水稲共済加入者又は前年度出荷・販売実績のある農家である。

 交付対象面積は主食用米の作付面積から一律10アールを控除した面積で、10アールを控除をするのは自家用の生産部分を差し引くということである。

米農家は1年でどの位の所得を得られるのか

 米生産にかかる経費を見るために全算入生産費(注1)のここ7年間の推移を見てみる(左表参照)。一番高いのは2008年産の18,640円、一番低いのが07年産の16,412円である。これらを除いた5年間の平均は16,923円となる。これが平均の生産費ということになるが、全販売農家に対する交付単価算定の水準はこれではない。農水省が言う標準的な生産に要する費用は全算入生産費ではなく、経営費+家族労働費の8割である。家族労働費は、家族労働時間に「毎月勤労統計調査」(厚生労働省)の建設業、製造業及び運輸業に属する5~29人規模の事業所における賃金データ(都道府県単位)を基に算出した男女同一単価を乗じたものになっているので、モデル事業では農家の労働に対しては零細事業所の賃金の8割しか補償しない仕組みになっている。

 一方、農家の米販売価格を08年産でみると、米価格形成センターの落札加重平均価格(注2)は60kg(1俵)当たり15,159円、収量は10アール当たり533kgなので60kg当たりの交付金は1,688円となる。農家の米1俵当たりの収入は15,159円に1,688円を加えた16,847円で全算入生産費16,497円をなんとか満たすことができる。

 07年産でみると、米販売価格は14,185円、交付金は1,762円で農家の手取りは15,947円となり全算入生産費には465円不足する。

 こうした結果、米生産農家の収入がどのくらいになるかを計算してみる。平均的な規模で米を1ヘクタール作付の場合、08年産米で計算してみると、
販売による収入は15,159/60×533×10=1,346,624円
補償制度による交付金が15,000×10=150,000円
これらを加えて米による収入が1,496,624円
これにかかる生産費が16,497÷60×10×533×10=1,465,483円
その差額(1,496,624円―1,465,483円)が31,141円である。
これに家族労働費366,520円と自己資本利子75,600円、自作地地代132,290円を加えた605,551円が米1ヘクタールを耕作して農家が得られる1年間の所得である。所得補償を加えても農家の米による1年間の所得は60万円程度ということになる。

注1)全算入生産費とは費用合計+支払利子+支払地代+自己資本利子+自作地地代である。本来支払わない自己資本利子、自作地地代も費用に含めているのは、もしこの部分が保障されなければ、経営拡大の経済的な動機が得られないことになるからである。
注2)農家の米販売価格を米価格形成センターの年平均落札加重平均価格で見てみる。銘柄別価格の違いを取り扱い量で加重平均したものである。

米価は低落傾向、米の生産調整廃止でさらに過剰(米余り)の恐れ

 米価は近年低落傾向にあり、米生産は過剰基調にある。その根源には米の消費量が2002年から08年までだけでも1人当たり1年で4.1kgの減っていることがある。過剰が顕在化すれば米価の水準は低下し、農家の所得はさらに減ることになる。ところが農水省はモデル事業の実施とともに米生産調整を廃止している。モデル事業は米を目標にそって生産した人を交付対象にしているので、モデル事業に参加する人が増えることで生産調整の効果は現れるというのが農水省の見解である。しかし、この農水省の見方は甘いというのが農協や米穀業者の見方である。近年米はずっと過剰であった。効果的な過剰米対策をとらなければ米価低落はいつ起こっても決して不思議ではないのである。

 政府の備蓄米も過剰米対策として活用すべきであろう。鳩山首相が3月の参院予算委員会で述べた一定期間経過後に主食用として販売する「回転方式」から非主食用に販売する「棚上げ方式」に変えることも有力な方法の一つであるが、それすらも実現しておらず、政府の過剰米対策はほとんど何も実施されていないのが現状である。

EPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)の推進で農産物過剰は激化

 過剰米対策を行っていないだけでなく過剰を引き起こすことが明白な政策を政府は推進している。民主党の当初のマニフェストは「農産物の国内生産の維持・拡大と世界貿易機関(WTO)における貿易自由化協議及び各国とのFTA締結の促進を両立させます」としていた。現に赤松農相は本年3月に日韓EPA交渉の再開をとりつけ、5月にはメキシコやコロンビアなどの中南米諸国とEPA交渉の再開や早期締結を約束してきている。貧弱な農産物過剰対策の下で、海外から安価な農産物が大量に流入することになれば、農産物価格の低下は間違いなく、大規模な財政支援がなければ所得補償制度だけで農業再生を図ることは不可能であろう。十分な農業予算が担保されなければ戸別所得補償制度も農業再生政策として有効に機能し得ない。

 過剰対策も未整備のまま自由化方向に進むのであれば、戸別所得補償制度自体も有効に活用されることなく終わってしまうことも大いに危惧される。

 日本農業の再生と農業自給率の抜本的な向上を図るには、十分な予算を確保することが第一の課題である。

大須 眞治(おおす・しんじ)/中央大学経済学部教授
専門分野 農業経済論
神奈川出身。1965年中央大学経済学部卒業。1975年中央大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。1976年中央大学経済学部専任講師。1988年より現職。近著「都市酪農危機の性格と危機打開の可能性について」(2010年経済学論纂、中央大学経済学研究会)