松丸 和夫 【略歴】
松丸 和夫/中央大学経済学部教授
専門分野 社会政策
今、60代の日本人は、高度経済成長と完全雇用の時代を青年期のどこかで体験した人々である。経済が成長すれば働く機会に恵まれ、賃金も上昇し、豊かで“しあわせな”生活に近づく夢をもてた。 今、大学生である20代前後の世代は、日本のバブル経済が崩壊した頃に生まれた。経済の成長とか、収入が年々増加するということを期待できないばかりか、卒業後の自分たちの進路・「就職」に大きな不安を抱えている。学生の間では、「就活本」への関心から「キャリア・デザイン本」へのシフトが始まっている。
バブル経済が崩壊した1990年の日本の完全失業率は2.0~2.2%だった。2009年4月~2010年3月の平均完全失業率は5.2%と2倍以上に達し、対前年で68万人増の343万人が完全失業者となり過去最大の年度増加幅である。今や日常用語としても定着した“ワーキングプア”に隣接する非正規雇用の比率も過去3年にわたって全体の雇用者数の33~34%台で推移している。
2008年秋のリーマンショックからの回復過程で注目されているのは、09年の日本を含めた主要国の実質GDP増加率が軒並みマイナスだったのに対して、中国が+8.7%、インドが+5.7%の成長を遂げたことだ。日本は、ロシアのマイナス7.9%に次いでマイナス5.2%と落ち込みが大きい。かつて、1970年代の2度にわたる石油ショックから急速に立ち直った“経済の優等生”はどこへ行ったのか。
グローバル化した経済の基本に立ち返ろう。資本主義において、投資は利潤の極大化を目的とし、人々が働くことの意味は、色々と位置づけが可能だが、基本的には生活のために働く。投資と雇用の空間が、一国内の地域、一国レベルの国内市場、国境を越えた経済圏域内、そして地球を一つにとらえる意味でのグローバル経済と広がりをもつにせよ基本はかわらない。
2010年について世界各国の経済成長予測が出始めた。最悪期を脱出して成長軌道に復帰するとの期待が高まっている。しかし、21世紀初頭以来の“雇用なき成長”への危険信号が点っている。
2010年4月20日~21日に開かれたG20労働・雇用大臣会合は、次の5つの政策パクトを構成メンバー国首脳に検討するよう提案した。
「すべての人にディーセント・ワークの実現」を事業目的の冒頭に掲げているILO(国際労働機関)のフアン・ソマヴィア(Juan Somavia)事務局長は、5つの政策パクトがILOの目指す方向と合致すると歓迎しながら、「力強い仕事の回復なしに持続可能な回復はあり得ない」と主張した。この背景には、同事務局長の2010年1月に行った次の発言がしっかりと座っている。「雇用なき回復の回避こそが今日の政策優先事項であり、銀行を救済した政策に対して示したのと同じ断固とした態度で今度は人々の仕事と生計を救い、創出する」、と。
かつて、そして今でもすべての人々に仕事(雇用)を、というスローガンは、第一級の経済政策の課題である。ILOの表現を借りれば、ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現である。日本語で「雇用」ということばは、とかく他人に雇われて働くこととイコールにとられがちだが、雇用には“自分雇用(自営)”も含まれるし、会社役員も形式上は「雇われて働く人」である。
一部の超富裕層が国富の大部分を所有し、独裁的に国民に分配するような国でない限り、大多数の人々にとって、「働く」ことが生計を営む基本手段であり、経済活動の基本となる。働く意思と能力をもち、実際に仕事を探しても雇用にありつけない人が、343万人もいるというのが公式の統計数値である。
経済活動の目的は、最大多数の人々に安定した生活と幸福を追求する権利を保障することにある。そのための手段を働くことで手に入れる人々に、人間として生きていくのに必要な所得を得るための「雇用」を保障することは、経済政策の中心課題である。しかし近年、この「雇用」を、利潤実現の障害物、企業や官庁のコスト上昇要因としてしかとらえない短絡的なものの見方が普及してしまっている。だから、あえて“雇用中心主義”という挑戦的表現を私は用いる。
少子・高齢社会の出口がなかなか見えない。高齢者も女性も障害をもつ人も子供も生きにくい時代だ。特に若い世代が将来働くことに夢や希望を抱けない現状において、政策責任者や経営責任者が、雇用を通じた経済の成長と福祉の向上を追求する経済活動の本道に率先して立ち戻るときが来た。