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オピニオン一覧

西田 治文

西田 治文 【略歴

生物多様性

-持続可能な発展のためのキーワード

西田 治文/中央大学理工学部教授
専門分野 植物系統進化学・古植物学

生物多様性年とCBD COP10

 今年は国連が定めた生物多様性年であるとともに、10月には名古屋で第10回生物多様性条約締約国会議(CBD COP10)が開催される。おかげで生物多様性に対する国内の関心が、ようやく高まりつつある。もともと生物多様性と地球温暖化の問題は共に、1992年のいわゆるリオ環境サミットにおいて、緊急に対応すべき課題として世界が確認したことである。しかしながら、日本では温暖化問題の認識と関心は高まったものの、国民の半数以上が生物多様性という言葉さえ知らない状態が続いてきた。このような状況を改善するべく、日本学術会議においても、本年2月に統合生物学委員会が「生物多様性の保全と持続可能な利用新規ウインドウ」という提言を発表し、学界も重要性を訴えた。ここでは生物多様性の重要性を解説する余裕は無いが、今や生物多様性は民主主義に匹敵する近代の良識だという人さえいる。

日本人の環境モラル

 環境問題の根本的な解決をめざすためには、国民すべてが問題を正しく認識し、行動する必要がある。温暖化問題の啓蒙に大きく貢献したアル・ゴア氏はその作品の中で、環境問題はモラルの問題であると明言している。翻って我が国を見れば、日本人は自然を大事にすると当たり前のように言われる。本当だろうか。確かに日本人は住み慣れた地域の自然から農林漁業などを介した恵みを受け、里山・里海のような自然と調和的な生産生活と独自の地域文化とを伝統的に織りなしてきた。しかし、「自然を大事にする日本人」たり得る適切な環境モラルが、個々人に備わっているかというと、現実は美辞麗句で納得できるようなものではないというのが私の経験的観測である。都市への移動による自然環境からの乖離と、科学技術への過剰な依存、適切な教育の欠如ゆえに、国民の多くは現在の生物多様性が抱える問題を、他の環境問題と同様、各家庭でスイッチを押せば解決してゆく程度のものだと考えているふしさえある。

地域の歴史は地球の歴史

 私の専門は、植物化石の研究である。植物の歴史を明らかにすることは、そのまま生物多様性の歴史を復元してゆくことなので、自然に生物多様性問題にも関わることとなった。現在の生物多様性は、地球だけにみられる唯一の歴史的所産である。地上に生物が進出したのは、わずか5億年前であるとか、人類が今存在しているのは約1億5千万年前の恐竜時代に花(被子植物)が登場したからだ、というような長大な歴史はそのまま、裏の小川にいたメダカや浮き草がなぜそこに住むことになったのかという歴史につながっている。世界の生物多様性は地域の生物多様性の集合であるから、地域の生物多様性を適切に管理し利用することは、世界の生物多様性と生態系を保全することにつながる。その結果、地球規模の水や大気の循環あるいは気候の急激な変化が回避され、人類の未来を支える持続的な生物生産がいくばくかでも保証される。この簡単な論理を、今は早急に実行に移さなければならない時期に来ている。

全ての地域と分野がかかわる

 我が大学生や一般の方々に、環境から連想することや、環境問題に対する興味を問うと、風力発電や太陽エネルギー、ゴミ処理など、技術で解決しやすい範疇の答えを得ることが多い。現在の日本人に、科学技術の重要性が深く染みついていることは、明治以来の国策とその成果をみれば当然のことである。しかしながら、生物多様性に配慮しなければ、工業生産を高め経済を活性化するどころか、ヒトのいのちを保証してくれる「食」さえ危機に直面するのだという現状を、まずは謙虚に見据えるべきである。そのうえで、国以上に地方自治体と地域社会全体が、積極的に生物多様性に目を向け、その保全と適切な利用について世界的な視野のもとに最善の努力をしなければならない。では、何ができるのかというマニュアルはまだ無い。人類が初めて直面する問題だからこそ、全ての分野において、積極的にこの問題に関わろうとする姿勢が必要なのである。

感性を育てる教育

 生物多様性や環境に配慮しようというモラルを生み出すものは、教育である。それも、ああすればこうなりますというような、知識の押し売りでは果たせない。第一に、様々な事象に対して積極的に取り組もうとする姿勢、そして異なる存在同士が共存することが善であると判断できるような感性の育成が重要であると私は考えている。言い換えれば、好奇心と理性である。経験論的に物事を決めるのは、科学の世界では法度とされるけれども、現実世界では、経験に基づく予防措置はそれなりの効果を示す。そこで、私の経験を持ち出せば、少なくとも小学校から中学校にいたる初中教育までの間に、自然や生物との五感を通したふれあいをすること、それに親や教師が適切な助言をすることがとても効果的だと思える。このあたりの詳細は、下記の著述を参照していただきたい。

関連著作

西田治文 「自然史・古生物学と生物多様性教育」、学術の動向15(3)、109-113、2010
西田治文 「地球史から考える生物多様性」、日本経団連自然保護協議会だより、 46、20-22、2008
西田治文 「ヒトと生物多様性-新たなモラル形成の時代-」、中央評論 265、31-33、2008

西田 治文(にしだ・はるふみ)/中央大学理工学部教授
専門分野 植物系統進化学・古植物学
1954年千葉市生まれ。千葉大学大学院理学研究科修了。1983年京都大学理学博士。1997年より中央大学理工学部教授(生命科学科)。日本学術会議連携会員。自然史学会連合代表。生物多様性JAPAN事務局長。専門は植物化石の研究。2010年の正月もチリパタゴニアで現地調査を行った。