細野 助博 【略歴】
細野 助博/中央大学大学院公共政策研究科教授
専門分野 都市政策・公共政策
月に2回平均で、地方に出かけている。どこの目抜き通りもシャッター街化している、あるいはしつつある。この印象は、年に3万店ほど閉店していると商業統計に出ていることとも合致している。郊外型のメガモールや大型店舗に客を奪われ、少子化と高齢化の波をもろに受けにぎわいが失われ、折からの経済停滞が消費意欲に追い打ちをかける。だから全国有数の目抜き通り商店街であっても、朽ちかけたアーケードを修理したり、撤去したりする資金が手当てできない状況が続く。モータリゼーションや情報通信網の発達で移動力と情報収集力が格段とアップした消費者の選択眼は一層厳しくなっている。と同時に商店街自身も後継者不足や経営意欲減退などで反転攻勢の機会を逸しているケースが多い。商店街はこのまま朽ち果てるのだろうか。
では郊外型のメガモールを構成するスーパーなどの大型店舗、都心型の百貨店の将来は明るいのか? これも最近は元気がない。一つは過当競争、もう一つは消費意欲の減退。それに米国流のメガモールは本家本元が80年代90年代にブームが来て、今や不良資産化が云々されている。中には倉庫や小学校や市役所に衣替えしたモールまで出る始末。日本ではこの種のメガモールは90年代後半からこの10年くらいが建設のピークだった。今でも休日ともなればメガモールの駐車場は満杯で車が数珠つなぎになるが、それが売り上げにどれほど貢献し続けるか未知数だ。リージョナル食品スーパーにナショナルチェーンのスーパーが苦戦し、ユニクロに代表されるファストファッションが若者に支持され、百貨店など先端のファッションフロアの客を奪っている。そろそろ「大きいことは良いこと」という図式が崩れつつある。メガモール時代はもう終わりに近づいている。
国の中小商業関連予算は経済産業省関連で65億円。この数字を過大とみるか過少とみるか、評価軸の違いで大いに異なってくる。財政逼迫のこの時期、今までもこれからも殆ど何の成果も期待できない事業への「ばらまき」だと弾劾する一方の極が存在する。また少子高齢化の今、コミュニティも崩壊し、商店街がその受け皿となって「近隣住民の絆づくり」や「安全・安心のまちづくり」の拠点として、また車に依存しない「環境にやさしいまちづくり」に利便性を提供する拠点として、再生すべき時が来ている。この商店街の公共性を確認し、確固としたものにするためには、まだまだ事業費としては少なすぎるとする一方の極が存在する。私自身この「商店街の公共性」から再生事業をもっともっと厚くすることを著作や講演で述べてきた。平成19年統計で、小売業の事業所は全国に113万8千近い。だから地域にそれだけ密着し、生活ニーズの充足に始まり雇用の受け皿としての使命も大きい。そして商店街はこれらの集合体として構成されている。これらの店の一軒一軒が「公共性」に早く目覚めることが、商店街をひいては地域社会を活性化する。商店街から地域の明日が見えてくる時代がもうすぐやってくる。
ではどのように疲弊しつつある地域商業を再生してゆくか。その成功を支える黄金律は大きく分けて3つに分類される。その3つとは自助と共助と公助である。まず、自助の黄金律は、よく調査研究し、それをビジネスにつなげること。ただ漫然と客を待つのではなく、ITや足を使って客を呼び込む、客に近づく。商店街のイベントも自分のビジネスに。イベントはただでできる市場調査。イベントの来街者は情報とお金を持ってくる。
共助の黄金律は、まず人材が重要だから「出る杭」を発見し、育てる。若手に汗も頭も使わせる。年寄りは足を引っ張らない。若手をサポートする、尻拭いするだけ。また向こう三軒両隣の店舗と協力する。お隣さんのお客をついでに自店の客にする。お互い様の効果を生みだせる。ポイントカード事業や、住民生活サポート事業などの利便性を向上させる。と同時に安全、安心で快適な消費空間を演出するため、不燃化し、防犯設備を整備し、ベンチや街区の緑化に努める。また周辺に居住人口を増やす集合住宅の建設や駐車場の整備も必要だ。
そして公助の黄金律は、自助、共助は「フリーランチ」ではないのだから、人的資金的なサポートは欠かせない。商店街が「公共性に目覚める」ために、まず商店街が新たな一歩を踏み出すための成功モデルを官民一体となって作り、学習させることだ。その上で、地域に合った成功モデル作りを側面で支援してゆく態勢づくりが必要だ。そのためには、縦割りと繋文縟礼の「お役所仕事」の弊害をどう除去するかを役所自身が工夫しなければならない。そして政策評価分析をしっかり実行する必要がある。