豊岳 信昭 【略歴】
豊岳 信昭/中央大学法学部教授
専門分野 商法(会社法)
社会が社会として存続し続けるためには一定の規律が必要である。それを法と呼ぶとすれば、まさしく社会あるところ法ありである。さらに、国家を前提として存在する狭い意味の法も、当然、社会の在り方に規定されるが、他方で国家による強制を伴う法規範は、社会の在り方や人々の法意識を変えてしまう。ここでは簡単な例を取り上げながら、社会と法および国家との関係を見ていきたい。
例えば理想主義的に大変立派な法律が定められ、しかも定められたとおり文字通り厳格に運用されると「水清くして魚住まず」というようなことになってしまいかねない。フランスは、絶対主義王制の伝統からか、政府・行政の権限はいかにも強いが、他方で現実主義者でもあって、書かれた法は大変厳格だが、運用は緩やかにということもある。ところが、そうなると、対応する行政窓口の担当者の裁量によって非常な不公平が生じてしまうといった、現場裁量主義がまかり通ってしまうことにもなる。
「Ripou=リプ(腐ったやつ!)」というフランス映画があって、二人の警官が、飲食店や酒屋に行って、小さな法律違反を指摘し、タダで飲み食いをする場面がふんだんに出てくる。日本でも同様な映画、ドラマがあるが、規制と運用とのずれがあるとどこでも起こる問題である。
さて、フランスでも駐車違反の反則切符が切られる。ところが、駐車違反反則金の納付率が、筆者在外研究中の90年当時のフランスでは25%前後と言われていた(日本ではほぼ100%だそうだ)。ある時、街中で、日本人旅行者から、反則切符を切られたと相談を受け、納付の仕方をアドバイスした話をフランス人の友人にしたところ、「フランス人の20%しか払わないのに、これからフランスとおさらばする人間におまえはなんと馬鹿なアドバイスをしたんだ!」と笑われてしまった。先ほどの『リプ』の逆で、市民の側でタダ酒を飲んでいるようなものである。
さて、制限速度違反であるが、日本でも100km制限の高速道路を少しオーバーして走っていても、ほとんど違反キップを切られることはないと聞く。フランスも、高速道路は130km制限であるが、以前は、時には170~180kmくらいで走ることも珍しくなかったという。
ところが、そのフランスが、今では本気でスピード違反の取り締まりをやっている。先日、知り合いのフランス人が「クルーズコントロールをピタッと130kmにセットしていて、自分は1kmも違反をしない」と以前とはまるで違うことを言っていた。92年からレーダー監視装置が設置されるようになり、今では1kmでも(実際は若干の誤差を見込んでいるらしいが)オーバーすると自宅に反則金振込用紙が送られて来る。早期納付割引、高率遅延手数料等の工夫で納付率も高いという。フランスもやろうと思えばやれるじゃないか、といったところか。
いずれにせよ、法的規制そのものは同様でも、その規制の実態は、国民全体が持つ法的意識によって大きく異なること、また、国家の側が本気になれば、かなりの程度で書かれている通りの国民の法意識を形成することも必ずしも不可能ではないことを示している。
さて、国民意識と法との関係を考える上で興味深いエピソードを紹介したい。 企業活動のグローバル化に伴い国際的M&Aが日常的に行われており、法制度もそれに対して開かれたものになって来ている。そこで、たとえば株主資格に国籍条項を入れるなどして、外国企業による内国企業株式の取得を正面から禁止するようなことは、典型的非関税障壁として大きな批判の対象となる。ところで現在、中国は、ドイツの全企業を数回買取るだけの資金力を有しているそうで、ドイツではドイツ系企業が中国系企業に乗っ取られてしまうことに対する対応策をどう構築したら良いか、深刻な議論が展開されているという。
ところが、その話を聞いてフランス人は、ドイツ人は真面目だなあ、と大笑いしたという。というのは、フランスではそんなことが起こったら、労働者がストをして企業そのものを潰してしまうので、誰がそんなばかなことをするか、というのだ。
日本では、まさか、そんなことにならないように国が企業を守ってくれる良い手段を探してくれるに違いない、と考えたりはしないだろうが、ちょっと心許ない気もしないでもない。
(提供:白門第62巻3号:白門時評)