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柳川 重規

柳川 重規 【略歴

誤判防止に向けて

――足利事件再審無罪判決について考える

柳川 重規/中央大学法学部教授
専門分野 刑事訴訟法

誤判原因の具体的な究明を!

 3月26日、4歳の女児が誘拐・殺害された足利事件について、宇都宮地裁で再審の判決言渡しがあり、被告人の菅家利和さんに無罪が言い渡された。これにより菅家さんの身の潔白は証明されたが、17年半もの間自由を奪われたという事実は重く残る。

 この足利事件では、元々の裁判(確定審)で有罪の根拠とされた主な証拠が、DNA型鑑定と菅家さんの自白であった。これが、新しい格段に精度の向上した鑑定法(STR法)により犯人と菅家さんのDNA型が一致しないことが判明し、さらに、そこから自白の信用性にも疑いが生じて、今回の再審無罪判決につながった。こうした点を捉えマスコミなどは、誤判が生じた原因が、逮捕当時のそれほど精度の高くないDNA型鑑定(MCT118法)を過信したことと自白の偏重にあると報じているが、抽象的にこうした点を指摘しても誤判の防止には役立たない。誤判の原因については警察庁と最高検察庁が検証報告書を発表しており、また、日弁連も調査のための第三者機関の設置を求める意見書を提出している。原因の本格的な究明はこうした検証結果を充分に検討したうえで行われることになろうが、これまでのところで既に浮かび上がっている捜査・公判上の問題点もある。

旧DNA型鑑定を証拠としたことは妥当だったのか?

 元々の裁判で有罪認定の根拠とされたMCT118法の精度は、血液型などの他の条件も加えると、1千人に1.2人の割合でDNAを特定できるというもので、事件が発生した足利市内では同型のDNAを持つ男性は50人程度いたということになる。新たに用いられたSTR法が4兆7千億人に1人以下という精度でDNAを特定できるのに比べると著しく精度は劣る。とはいえ、この程度の精度であったからといって、MCT118法によるDNA型鑑定を証拠に採用すべきではなかったということにはならない。STR法が開発される前の段階では、1千人に1.2人の割合でDNAを特定できるという限度で、判断を有罪認定の方向に傾かせる価値を持った証拠であったことは間違いないからである。

 (足利事件でのDNA型鑑定についてはこの他に、DNA型鑑定にミスがあったのではないか、という問題があり、宇都宮地裁は、「(DNA型の)異同識別に疑問が残る」として、DNA型鑑定を証拠とすることを認めなかった。この判断は、元々の裁判での最高裁の判断とも異なるもので、事件が上訴されていればさらに争われていたであろう問題であって、最終的な決着はついていないともいえる。)

自白の信用性はどのように判断すべきだったのか?

 もちろん、MCT118法によるDNA型鑑定には、これだけで有罪を証明しきるだけの証拠価値は認められない。他の証拠と併せて有罪・無罪が判断されることになるが、足利事件の場合、他の証拠というのは菅家さんの自白であり、自白の信用性が高ければMCT118法の精度を前提にしても有罪と認定をすることは可能である。自白の信用性は、供述内容の一貫性、詳細さ、迫真性などで判断されてきているが、客観的な証拠と符合するかということも重要である。この点、菅家さんが女児を乗せた自転車を止めたと供述した場所で、自転車を見た人が誰もいないとか、殺害後に缶コーヒーやおにぎりを買ったと供述しているスーパーでレジの記録がないなど、自白の裏付けがほとんど取れていない。それにもかかわらず、警察・検察が菅家さんを犯人と断定し、裁判所も有罪判決を下したということは、DNA型鑑定の過信、自白偏重があったといわれてもしかたがないように思われる。憲法や刑事訴訟法が自白に補強証拠を求めるのには、自白の信用性判断を客観化しようとする狙いもある。こうした法の趣旨により忠実な法運用が望まれる。

刑事弁護の一層の充実を!

 足利事件の再審公判では、検察官による取調べの一部を録音したテープが公判廷で再生された。取調べが録音・録画(可視化)されれば、違法な取調べ、強制的な取調べが行われなくなり、虚偽の自白もなくなるとの主張もあるが、今回、録音テープから明らかになった取調べの様子は、強制的なものとはいえないように思われた。それにもかかわらず、菅家さんは、取調べ当初犯行を否認しつつも、その後これを撤回し、犯行を認めている。菅家さんのDNA型が犯人とは一致しないという事実が判明していない段階で、この取調べでの自白が虚偽であったと見抜くのは、困難であったのではないかと思われる。

 さらに、足利事件では、菅家さんが捜査段階で一旦自白した後、犯行を否認したのは、公判も終盤にさしかかった被告人質問の段階であった。より早い段階で否認していれば状況も変わっていたのではないかとも思われる。一審の弁護人は、菅家さんと信頼関係が築けていれば、自白が虚偽であることが見抜けたかもしれないと悔やんでいたが、刑事手続で被疑者・被告人の利益を擁護できるのは弁護人だけであるということを考えると、この点はきわめて重要である。幸い2006年からは、一定の重大事件について、起訴前の段階から国選弁護人が被疑者につけられることになっている。接見を充分に重ね、被疑者と信頼関係を築き、自白が虚偽であれば早い段階で発見し、否認に転じさせるような取り組み、刑事弁護の一層の充実が望まれる。

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柳川 重規(やながわ・しげき)/中央大学法学部教授
専門分野 刑事訴訟法
秋田県出身。1962年生まれ。1985年中央大学法学部卒業。1988年中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了。1992年中央大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。
松山大学法学部専任講師、中央大学法学部助教授を経て2006年より現職。
現在の研究課題は、被疑者・被告人の権利侵害と証拠排除の問題などである。主要著書に、『プライマリー刑事訴訟法(第2版)』(共著)(〈不磨書房〉2008年)などがある。