Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>オピニオン>ベンチャービジネスは日本の伝統となるか

オピニオン一覧

秋澤 光

秋澤 光 【略歴

ベンチャービジネスは日本の伝統となるか

秋澤 光/中央大学商学部教授
専門分野 経営学(アントレプレナーシップ研究)

インセンティブ?

 数ヶ月前、ある国際会議で米国の著名な研究者に、どうしたらベンチャーは増えると思うかと聞くと、「簡単だよ、とびきり優秀な人が起業したくなるようなインセンティブ(誘因)を与えることさ」といわれた。確かに、簡単であるし、それがシリコンバレーの原理でもある。では、日本でそのようなインセンティブを与えてきたかといえば、ノーである。開業率も80年代以降低迷したままである。そこでインセンティブを「与える」という方法をいろいろ考えてみたが、どうもしっくり来ない。そもそも私の尊敬する企業家たちがチェスの駒のようで失礼である。そう感じるのは、インセンティブを与えるという方法が、米国とは歴史も社会も異なる日本において効き目がない徴候である。しかし、そうなると日本でベンチャーが活躍する日は来ないのか。いや、答えは意外に古い伝統の中にあるのかもしれない。

創造的継承の伝統

 哲学者の桑子俊雄は、藤原定家や千利休に見られる日本の伝統的な価値創造の方法を「創造的継承」と呼んでいる。古い美によく親しみ、それを使って生き生きとした自分の体験の中で新しい美を創るのである。素材は古いものを使い、デザインは新しくである。創造されたものが、次の時代の創造へ繋がり、このプロセスが永遠に続く。日本のものづくりがひと味違っていたのもこのような伝統のせいかもしれない。ところがその千利休は、茶の湯はまもなく廃れるであろうと予言したそうなのである。なぜなら、この創造的継承のプロセスは、容易に伝統墨守に変質してしまうからである。

 伝統墨守に陥らないにはどうしたらよいか。日本の古い芸能は、守・破・離という独特の学習方法を持っている。型を守り、型を破り、型から自立して離れる。歌舞伎の役者も、能や狂言の役者も、小さいときに伝統の型を徹底して身につけ、若い時期に現代劇をやってみたり、シェークスピアをやってみたり、スーパー歌舞伎といった型破りなことをする。それは、若者が習得した型を自分の時代の中であえて冒険的に使う「破」の行為である。そのような経験を経て、やがて伝統の自在な表現者が誕生する。

創造的継承のエンジン

 ベンチャーは資本主義のエンジンといわれ、経済成長の原動力とされる。しかし、日本ではむしろ創造的継承のエンジン、文化発展の原動力と認識した方がいいのではないだろうか。つまり、それまでの社会のあり方を組み替え、新しい価値を創る「破」の力と見るのである。日本的な繊細な感性を持ってすれば、モノも、ソフトウエアも、サービスも、型どおりではない斬新なものが創れるはずである。時代が今、百年単位の構造変化の中にあるとすれば、これまで創ってきたものはいたるところで機能不全を起こしているはずである。そのような時に、前例主義、横並び主義で型にはまった考え方をしていないだろうか。教育したあげく、少々、風変わりな若者が出てきたら大成功である。彼らの冒険を応援しようではないか。せめて安心安全などといってじゃまするのを止めよう。もし、許容できないなら、伝統墨守に陥っているのかもしれない。過去の努力の結晶を保とうとして、「破」の力に水を掛けるなら、過去の創造もやがて歴史から消えてしまうだろう。

草食系男子=職人説

 さて、まさに「破」の力を発揮する若者を本学でもときどき目にする。実際に相手にすると結構面倒な輩だが、愉快で頼もしい連中でもある。では、大半の若者はどうなのか。このところ草食系男子という変わった呼称を耳にする。そこで、朝一斉に登校する男子学生を眺めてみると、確かにアフリカの草原にいるガゼルのようにもみえる――整った毛並み、やや神経質で臆病、運が悪いとライオンの餌食(前途に待ち受ける過酷な就活)。しかし、ものは見方である。この特性は伝統を繋ぐ職人に似ていなくもない――丹念な仕事、繊細な感性、容赦のない時代変化の中での生き残り。洗練されたものづくりの職人のように、彼らにも非常に可能性がある(なお、前例に縛られない自由奔放な女子学生はもとよりである)。後は、こういった若者が冒険できるよう、どこかでちょっとだけ背中を押せばいいのではないだろうか。

ベンチャーあっての伝統

 どのような国にもそれぞれの伝統があるが、日本が誇れるのは、創造的継承の伝統である。米国は移民社会である。常に貧しさから抜け出したい俊才が沢山いる。インセンティブがあればいくらでも優秀な人間が冒険をかって出る。しかし、日本社会は、貧富の差も能力の差も比較的少ない。繊細な感性を持ち、常に改善していく習性を持つ人間が沢山いる。与えられたインセンティブではなく、自ら道を究めていくのが伝統である。古い知識は、今の時代に社会で冒険的に使われることで、新しい知識として継承される。構造変化の時代であればなおさらである。創造的継承のために、ベンチャービジネスはなくてはならない活動なのである。

秋澤 光(あきざわ・ひかり)/中央大学商学部教授
専門分野 経営学(アントレプレナーシップ研究)
熊本県生まれ。1999年東京工業大学大学院社会理工学研究科(価値システム専攻)博士課程修了、博士(学術)。1986年~1995年監査法人トーマツ マネジメント・コンサルティング部門(当時)。文京女子大学経営学部非常勤講師、中央大学商学部専任講師、同助教授を経て2007年より現職。2008年HECモントリオール客員研究員。主要な著作に、「ベンチャー研究のフロンティア」(『企業研究』第1号)、「新産業開放期におけるベンチャーの急成長マネジメント-豊富な資源のある環境下での投入資源最小化」(『商學論纂』第42巻第1・2号)、「歴史ある呉服問屋の生存をかけた自己変容」(『感性哲学』6)ほか。