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松田 美佐

松田 美佐 【略歴

自ら考えるケータイ・ネットとの「つきあい方」

松田 美佐/中央大学文学部教授
専門分野 コミュニケーション/メディア論

 「15分ルール」とはどんなルールか、ご存じだろうか。あるいは、「リアル」とは何か、耳にしたことがあるだろうか?

 いずれも大人にはなじみがないが、子どもたちならよく知っているケータイ用語だ。本稿では子どもたちへのケータイの普及が進むなか、懸念されている日常生活や友だち関係への影響とそれに対する対応策について考えてみたい。

ケータイ依存!?

 さて、冒頭の「15分ルール」とは「友だちと揉めたくなければ、メールが届いてから15分以内に返事をすること」といった中高生の間でのケータイ・メールに関する「ルール」である。集団によっては、これが30分だったり、5分だったりする。この「ルール」に触れないように、ケータイを片時も離さずいじっていて、集中して勉強するようすがない。メールのやりとりを終わらせることができず、深夜まで起きていて、翌朝眠そうな顔をしている――ケータイに依存しているかのような子どもの日常生活に、不安を覚える保護者は少なくない。

 ケータイ依存になるのは、メール交換だけでなく、コミュニティサイトなどの利用も大きい。無料ゲームで人気が高まったSNSサイトの『モバゲータウン』は、日記やコミュニティ機能の利用も多い。また、自己紹介サイトである「プロフ」は、自分の写真や個人情報を簡単に掲載することができ、友だちの「プロフ」へリンクをはることもできるものである。ただし、一度作成したものを利用し続けるのではなく、むしろ、頻繁に書き換えて「今日の自分」「今の自分」を知らせるために使われている。ツイッターのようにブログを利用することは「リアル」と呼ばれ、中高生を中心に人気を集めている。だから、常にケータイをいじる必要があるのだ。

 メールの頻繁な利用はもちろん、これらのサイトの利用も、目的は友だちとのコミュニケーションにある。つまり、「ケータイ依存」の原因は思春期特有の友だち関係の取り方にあるのだ。実際、「ケータイ依存」の中高生も、大学生になると自然と依存から脱するのが普通である。周りの大学生に聞くと、「そうそう、昔はお風呂でも手放せなかったよね」と懐かしそうに話してくれる。なので「長い目で見ると『ケータイ依存』はたいした問題ではない」と考えることも可能なのだが、日常生活に支障をきたすのであれば静観もできまい。

 さらに、上記サイトは友だちとのコミュニケーションの場として利用されるがゆえに、時にはネットいじめの場ともなる。少し前に話題となった通称「学校裏サイト」――児童生徒が自分たちで非公式に開設する学校別のサイトも、誹謗中傷やいじめなどが多い場として悪名高い。対面でのいじめとは異なり、ネットいじめはその場限りのものではなく、被害者は24時間逃げられない。ネットへの書き込みや流された映像などは、いつまでも残る。しかも、いじめの舞台がネットであるだけに、保護者や教師が気づきにくく、対応も遅れがちだ。

ケータイ・インターネット対策の問題点

 では、いったいどのようにすべきなのか。

 単純だが、子どもたち自身がインターネットとの「つきあい方」を身につけるしかないと私は考える。「ケータイの問題」と言われることのほとんどは、インターネット関連であって、通話機能についてではない。もちろん、家庭や学校などでパソコンからインターネットを利用するのとは違い、子どもたちが常に身につけているケータイからのインターネット利用には特有の問題点があるので、その点を含めたインターネットとの「つきあい方」である。

 「子どもとインターネット」については、2008年に成立した「有害サイト規制法」によって、有害情報へのアクセスを遮断するフィルタリングサービスを提供することが携帯電話事業者などに義務づけられるようになった。たしかに、フィルタリングサービスを利用すれば、詐欺や援助交際など悪意を持った大人との出会いを減らすことは可能であろう。

 しかし、友だちとのトラブルには効果がない。それに、子どもたちも成人すれば、フィルタリングなしでインターネットに触れざるを得なくなってくる。成人すれば判断力もつくからトラブルには巻き込まれないはずだ――という推測は、残念ながら、大人もまたインターネット関係のトラブルに巻き込まれる事件が多発する現状を見る限り無理がある。「子どもはケータイからのウェブ利用制限/禁止」では、問題を先送りにするにすぎない。

子どもたちが自ら考える

 具体的には、まずは学校や家庭でケータイやインターネットについて、基礎的な知識を教えることが大切である。ネチケットと呼ばれるネットの世界でのエチケットや犯罪の実例、それぞれのメディア特性など、教えることが可能なケータイやインターネットとの「つきあい方」の原則はすでにまとまっている。その上で、実効性があるのは、子どもたちの利用実態や日常生活に合わせた、具体的な「つきあい方」を子どもたち自身に考えさせることだ。同じケータイやインターネットを利用していても、その使い方は大人と子どもではかなり異なる。実際、「15分ルール」にしても、「リアル」にしても、子どもたちなりのケータイとの「つきあい方」だ。その実態はもちろん、対策となると大人にはわからないのも当然ではないか。

 それだけではない。大人が原則を示し、子どもたちが自分たちの状況に合わせて考える。大人はそのサポートをする――このようにすれば、子どもたちは自分自身の問題として、ケータイやインターネットとの「つきあい方」をとらえるようになる。今後も変化のスピードが速いと考えられるインターネット社会で生きていく必要がある以上、教わるだけの知識や受動的な関わりでは十分ではない。必要なのは、自らの体験を踏まえて自分で考える姿勢を身につけることである。

 現在、小学校でインターネットを利用することも多くなっている。子どもが興味を持ちはじめたら、多少面倒でもケータイやインターネットとの「つきあい方」を一緒に考えることが必要だろう。思春期に入り始め、親に反発することの増えた息子を前にそう考えるのだ。

松田 美佐(まつだ・みさ)/中央大学文学部教授
専門分野 コミュニケーション/メディア論
1968年兵庫県生まれ。1991年東京大学文学部卒業。1996年東京大学大学院人文社会系研究科満期退学。東京大学社会情報研究所助手、文教大学情報学部専任講師、中央大学文学部助教授を経て、2008年より現職。共編著に『Personal, Portable, Pedestrian:Mobile Phones in Japanese Life』(MIT Press、2005年)『ケータイ学入門』(有斐閣、2002年)など。「メディアが社会を変える」といった決定論的な視点ではなく、メディアと社会の関係性を動態的にとらえる視点を探っている。