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トップ>オピニオン>「魚の正義」からの脱却を図るには-東洋の心を現在に活かせ-

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保坂 俊司

保坂 俊司 【略歴

「魚の正義」からの脱却を図るには

-東洋の心を現在に活かせ-

保坂 俊司/中央大学総合政策学部教授
専門分野 宗教学

日本社会は病んでいるか?

 現在の日本社会は、歴史上類を見ない豊かな社会です。日本中に物も情報も溢れかえっていますし、それらを利用すれば当人の努力と少しの機会さえ得れば、名声や富を得ることも決して夢ではない社会でもあります。しかし、そのようないわば「勝ち組」ばかりを持て囃す社会のあり方は、本当に幸福を生む社会であるのか、ということを少し立ち止まって考える必要があります。つまり優れたものや強い者のみが、富や名声を独り占めして、他を省みない、そのような社会が本当に優れた社会なのか、ということです。このような問いを数年前に発していたなら、読者の共感を得られなかったかもしれません。つまりアメリカの新自由主義経済体制という美名に追随して、小さな政府、自己責任の社会ルールを重視するというような事が盛んに叫ばれていたからです。

 しかしその結果、人々はより大きな豊かさのために、他者を思いやる心を忘れ、更なる豊かさ、際限のない欲望の追求に、血道をあげることになりました。昨今の日本社会の金融至上主義とは、まさにマネーゲームに修羅の如く邁進した社会であったのです。しかしこの新自由主義経済体制の限界が、サブプライムローンの破綻を契機として顕になった今、急激にその体制の闇の部分がクローズアップされてきました。今や日本中にはかつて無いほどに貧困と孤独と不安、そして無秩序という不安定要因が溢れています。

「魚の正義」という正義

 ここで、私はあるインドの古典を思い出します。それはインド古代の政治指南書、現代流に言えば政治学書として有名な『アルタシャー・スートラ』(日本語訳は『実理論』)と呼ばれる書物です。この書物は、仏教を保護したことで有名なアショーカ王(紀元前263年頃~同223年頃)のお祖父さんで、マウリヤ王朝を起こしたチャンドラ・グプタ王の宰相として、彼を補佐したカウテリーヤによって書かれたとされる書物です。この書物は、ドイツの有名な社会学者であるマックス・ウェーバー(1864~1920年)が、「この書物の前ではマキャベリも舌を巻くであろう」と表現した程徹底した国家主義を唱えた書物です。その冒頭部分の王権が何故必要かというくだりで、「正義にはいろいろな正義があるが、強力な王権は『魚の正義』から民衆を守るために不可欠である」と言っています。この「魚の正義」とは、現代流に言えば強いものが弱いものを省みずに、自らの富や名声の追及に奔走する、血道をあげる「弱肉強食」社会という事になります。

 この書物が言うには、人間の社会は放っておけば必然的に強い者が、弱いものを虐げ、搾取し、破滅に追い込むことになる。それは大きい魚が小さい魚を飲み込むようなものであり、これを「魚の正義」と呼んでいます。仮に、そのようなことが罷り通る社会であれば、政府は必要ない、ともいっています。しかしそこには、暴力と恐怖、そして相互不信が渦巻き、決してそのような社会は長続きしないともいっています。つまり永久に勝ち続けるものは存在しませんから、今日の勝者は明日の敗者となり、滅びの道に陥らないものはない、ということです。勿論、これもある種の正義であると認めているところが、面白いのですが、しかし、このような正義は長続きしないとも結論付けています。

 同書は、ここに王権あるいは政治の役目を求めます。つまり「この『魚の正義』から弱者(民衆)を保護し彼等の繁栄も保証するのが、王や政治の役目である」と述べています。 しかし、この『実理論』もまた限界がありました。つまり、王そのものが実は最高の強者であり、彼がその権力を一方的に振るえば、それはまさに「魚の正義」そのものとなるからです。そして、この『実理論』の限界に直面し、新たな政治哲学にめぐり会いこれを実践したのが、他ならぬアショーカ王であった、と私は考えています。

 つまり、アショーカ王は即位後の一定期間『実理論』の忠実な実践者として、古代インドにおいて侵略戦争を繰り広げ、多くの人を殺し、傷つけ続けました。しかし、ある時、余りの犠牲者の多さに自らの過ちを悔い、仏教の教えに深く帰依します。

縁起と他先自後の教え

 昨今の日本では仏教というと「葬式仏教」程度にしか理解されていませんが、仏教はれっきとした政治哲学を持った宗教です。だからこそアショーカ王は仏教に帰依し、その精神を政治に生かすことで、以来今日に至るまでインドにおける聖王として崇められているのです。

 そのアショーカ王は、自らを現代的にいえば「民衆の下僕」と称しておりました。インドを支配する大王でありながら、民衆の幸福を先として自らの最後とするという仏教の考え方を政治の場で実践しました。これを日本的にいえば「先憂後楽」となります。しかも面白いことに、この民衆の中には、人間のみならず牛や馬はおろか鳥や獣まで含まれており、これらを治療する病院まで作ったのです。現代でいえば高度医療や福祉を動物にまで施したということでしょうか。それほどまでにアショーカ王は、生きとし生けるものの「命をいつくしみ」これを大切にしようとしたのです。何故ならアショーカ王が信奉した仏教の教えでは、全ての生き物は互いに繋がっており、支えあって存在していると考えるからです。たとえ独立、孤高の如く見えているものでも深い縁で繋がっており、誰一人他者の助けなく生きることは出来ない、という考えです。これが仏教の「縁起」の教えです。

 つまり、生物は皆互いに縁で結ばれているということであり、この絆を切ってしまうことが、いわば「魚の正義」である、ということになります。その結果は先に述べた通りです。そこで重要になるのが放って置くと利己的に為ってしまう人間の行動を抑える、ブレーキをかける教え、これを倫理・道徳と言ってもいいのですが「他先自後」の原則です。先ず、自己主張ばかりでなく、他者のことをまず考える、そうすると結果として自らの利益にも繋がるという考えです。これも皆が繋がっているという「縁起」思想が基本で成立する考えです。

 ここで紹介したことは今から2000年以上前のことですが、さて現在の日本社会が直面している諸問題解決の参考になるような気がするのは私だけでしょうか? どうも、最近の日本の議論は、経済優先の議論が多く、そのためにかえってその経済的な利益さえ失うというような悪循環に陥っているように思えます。

 因みに、アショーカ王に象徴される仏教の教えは、古代より日本精神の根幹を為してきたものです。しかし、最近はその文化伝統を上手く利用していないように思われます。
ここらで歴史の智慧に学ぶという謙虚な姿勢に立ち返ることも問題解決には必要なのではないでしょうか?
日本社会の持続的発展のために。

保坂 俊司(ほさか・しゅんじ)/中央大学総合政策学部教授
専門分野 宗教学
1956年群馬県生まれ。早稲田大学大学院修了。専攻は、宗教学、哲学、比較思想、比較文明、社会学。2008年より現職。現在は、宗教と政治や社会の関係性について、従来のように互いに無関係を装う(所謂政教分離)のではなく、両者の関係を現実に即した関係(例えばイスラームの宗教と政治の関係)まで包括的に整理できる宗教と政治の捉え方の新たな方法論を模索中。著書には『シク教の教えと文化』(平河出版社)、『イスラームとの対話』(成文堂)、『仏教とヨーガ』(東京書籍)、『インド仏教は何故亡んだか』(北樹出版)、『国家と宗教』(光文社)、『癒しと鎮めと日本の宗教』(北樹出版)、ほか多数。