山田 昌弘 【略歴】
山田 昌弘/中央大学文学部教授
専門分野 家族社会学
幸福に関する関心が集まっている。特に、物の豊かさよりも心の豊かさを強調する人が増えている。それも、幸福の感じ方の時代的な変化を反映している。
一昔前までは、何か欲しいものがあり、それを手に入れるために努力し、それを買うと幸福になるというシステムが働いていた。
経済の高度成長期(1955-1973年)には、家族の生活が豊かになることが幸福だった。豊かさの象徴が、家電製品や自家用車、住宅、家族レジャー、そして、子どもの教育だった。テレビが家に来ただけでうれしかったし、今までアパート住まいだった家族がマンションを買えばそれだけで幸福を感じることができた。何もないところから、中流の生活に一歩近づくことが幸せの源泉だった。
日本社会が中流化して、豊かな生活が現実化すると、今度は、人々はブランド消費に走るようになった。日常生活とは別のところで、買うと幸せになることを約束する商品やサービスに群がるようになったのである。ブランドとは、これを買えば幸せになりますよと言う商品を次から次へと提供するものを意味する。バッグや車などの商品のブランドもあれば、海外旅行やスキーやディスコも一種のブランドであった。世の中には、ブランドを紹介する記事や雑誌に溢れていた。例えば、スキーなら、ここのスキー場はおしゃれであると宣伝されればそこに行き、次に新しい素敵なスキー場ができたと言われればそこにいく。デート消費も盛んで、おしゃれなレストランに行って、高級ホテルに泊まってと言った消費スタイルがもてはやされた。一人の人が一つ、もしくは複数種類のブランドにはまって、そのブランドが提供する商品、サービスを消費するときに幸福を感じるというシステムが全盛だった時代だ。
その主役となったのが、私のいう「パラサイトシングル」であった。当時の若者は、学卒後も親と同居しつづけ、親に基本的生活を依存しながら、収入の大部分を小遣いとして使うことができた。当時の若者は、まさに、消費の主役であった。望めば正社員となれ、ボーナスはたくさん出た。なにより、給料は右肩上がりでどんどん増えていくことが期待できた。だから、将来のことは考えずに、借金してでも消費にまわしていたのだ。
1990年のバブル崩壊からの21年は、若者の経済環境が悪化すると同時に、ブランド消費による幸福が衰退する時期であった。就職氷河期から金融危機を経てリーマンショックと続き、若者の就職状況が極めて悪化した。正社員の職に就けない大学卒業生も珍しくなくなった。正社員であっても給料は増えず、失業の危機と隣り合わせである。もうブランドを買い続ける余力もなければ、将来、豊かな生活が築けるかどうかも疑わしくなっている。
試しに、今の学生に幸福は何かと聞いてみた。すると、「コンビニで新製品のお菓子を買って食べたらおいしかった時」「彼氏とテレビ見ながらだらだらしているとき」などという回答が返ってきた。お金をあまりかけることなく、日常的な小さな幸福で足という若者が増えてきている。
「ささやかな幸福」は「つながり」の中にあるというのが、私の持論である。例えば、今、海外旅行で学生に人気なのは、ボランティア旅行というジャンルである。発展途上国の孤児院に行って寄付して子どもと遊んでくるとか、リゾートビーチのゴミ拾いをしに南の島に行くと言ったものである。そこでは、仲間と一緒に現地の人との「つながり」を作ることが幸福をもたらしている。エコ商品が売れているのも、「自然環境の保全に役立っている」つまり、自分が地球とつながっているという感覚を呼び起すからだ。その他、様々な事例は、拙書『幸福の方程式』に詳しく述べているので参照されたい(電通チームハピネスと共著、ディスカヴァー21)。
ただ、そのような小さな幸福を感じるには、生活が安定していなくてはならない。特に、若者は、将来、安定した生活を築けるかどうか不安である。中年の人は、今ある生活が維持できるか不安である。高齢者は、年金がもつのか不安である。そのため、ささやかな消費さえ我慢して、貯蓄に回し、少しでも将来不安を和らげようとする。その結果、消費不況と言われる状況が生まれているのだ。
とにかく、将来生活に不安を感じないように職の安定や、信用できる社会保障制度を作ることが必要である。そのような条件を整え、その結果、つながりによるささやかない幸福を増やしていくことが、これからの日本社会にとって必要なことだと考える。