トップ>オピニオン>「人間とは何か」を撮る-大学でなぜ番組制作を教えるのか?
松野 良一 【略歴】
松野 良一/中央大学総合政策学部教授
専門分野 メディア論、ジャーナリズム論
大学で、映像制作や番組制作を教えて、何か意味があるのだろうか。このテーマは、マスコミ学会をはじめ様々な研究会やシンポジウムで議論されるほど混沌としている。さらに、大学で番組制作を学んでも、就職に直接は結びつかない。日本では、欧米のようにジャーナリズムスクールで人材を養成するというよりも、マスコミに入ってからOJTで育成される。だから、下手に大学でメディアを学んで来て欲しくないのだ。
しかし、それでも私は、番組制作を7年間にわたり教え続けて来た。その理由は、番組制作実習のプロセスには、普通の大学教育では学ぶことができない素晴らしい能力開発プログラムが内包されていると確信しているからである。
私の場合、学部のゼミでは卒論作成を指導し、全学部から選抜されるFLPゼミで、番組制作実習を教えている。ゼミ生が制作しているのは「多摩探検隊」という10分間の地域密着型番組(月1本)で、2004年5月から多摩地区の5つのケーブルテレビ局で放送されている。学生たちは放送法や著作権などの法令を理解し、企画、撮影、構成、編集、納品までのすべてを毎月責任持って行っている。
この番組のポリシーは「Act Local, Think Global」である。多摩地区の話題を取り上げるが、その話題が全国的な広がり、全世界的な意味を持っているのではないかと考え続ける姿勢である。「特異性」とともに、「普遍性」を探す姿勢でもある。
これまで収集したデータに心理学的分析を加えることによって、番組制作活動が学生たちの複数の能力を向上させることがわかった。(1)「メディアリテラシーの向上」(2)「感性の向上」(3)「集団作業を円滑に進める能力」(4)「コミュニケーション能力」(5)「積極性、精神力に関する能力」である。しかし、統計学的解析や数量化では表現できない、もっと人間的な部分で、学生たちが成長することに気づいた。言い換えれば、「人間とは何か」や「生きる意味」に関係する部分だ。
例えば、こういうことがあった。ある男子学生が八王子の老舗の手作りコンニャク屋に取材に行った。しかし、「忙しい」の一点張りで取材には応じてくれない。そこで、その学生は授業の合間を見て、3ヶ月間もそのコンニャク屋に通い詰めた。庭先や店内の掃除を延々とやり続けた。そして3ヶ月目に、その主人から「あんたも好きだねー」と苦いコーヒーを勧められて会話が始まった。その主人は、大学を出て商社マンになりたかったものの、やむなく家業を継ぐことになったこと、どうせなら自分独自の手作りコンニャクを作りたいと意気込んで生きて来たことなどを語った。
ある女子学生は多摩にある日本酒の酒蔵を取材した。社長は女性だった。しかし、番組が放送された後に、その酒蔵が130年の歴史を閉じることになった。後日談を追うために彼女は取材に行き、その酒蔵の最後の日を見守ることになった。売りに出された酒樽がトラックで運ばれていった。ガランとした酒蔵の中で、その女性社長は泣いていた。そして、女性社長を追って酒蔵に入った女子学生は、何も無くなった酒蔵を目の当たりにして、現実の厳しさを知って号泣した。女性だからこそ、その女性社長の無念さをより理解できたのもかもしれない。その後、女性社長から自分の半生を綴った手紙が届いた。その手紙は、女子学生にとって、生涯のお守りになったという。
また「多摩探検隊」は毎年8月に多摩の戦跡を特集し、多摩に残った戦争の傷跡を丹念に追っている。2005年には八王子市に疎開していた児童が機銃掃射で死亡したランドセル地蔵物語、2006年には八王子の湯の花トンネルで起きた列車銃撃空襲、2007年には青梅市に墜落したB29爆撃機搭乗員と吉川英治にまつわる逸話、2008年には立川空襲と山中坂防空壕の悲劇、2009年には米国公文書館で発見された八王子空襲の映像をモチーフに、撮影したカメラマンと映像の中に描かれた人々の交流をドキュメンタリーにすることに成功した。これまで放送された5回分の番組はDVD化され、東京都内の図書館や学校など約300箇所に配布されている。
放送される番組は、学生が体験したものの一部である。ある意味、氷山の一角である。氷山の下には、彼らが長い時間をかけて交わした取材相手との会話、交流、そして学び取ったことが一杯詰まっている。大学の外に出て行う番組制作が、メディアリテラシーだけでなく、学生たちの様々な能力を開発することは間違いない。何よりも一番大きな成果は、学生たちが現場に出て多くの人と語り、そこで「人間とは何か」、「生きる意味とは何か」について、考えるきっかけになっていることではないかと思う。