佐々木 信夫 【略歴】
佐々木 信夫/中央大学経済学部教授
専門分野 行政学、地方自治論
ことしの夏、日本で初めて本格的な政権交代が行われた。戦後半世紀以上続いた自民党政治に代わって、新たな民主党政治の始まりである。企業、経済重視の生産者起点の政治ではなく、弱者、市民目線の生活者起点の政治へ転換することを国民は選択した。
国民が求める民主党政権への期待は2つある。1つは行政のムダを省き、政官財の癒着構造を断ち切る行政刷新への期待(「水戸黄門」役)であり、もう1つは生活者起点、地方重視の新しい政策への期待(「ドラえもん」役)である。
アメリカ、イギリスでは新政権が誕生の際、100日間は新政権への批判は慎むルールがある。政権移行を暖かく見守れという意味だ。日本でも、いまのところ新政権への支持率は6割超と高い。外交面でも鳩山政権は国連総会での環境演説、オバマ大統領ほか、韓国、中国首脳などとの友好関係を築くなど、順調な滑り出しにみえる。
その中で歴史的に注目されるのは、日本を地域主権国家に変えるという政権公約だ。中央集権と官僚依存によって成長戦略を図ってきた旧来の政治ではなく、政治家主導で地方分権を進め、身近な自治体を「第1の政府」と呼べるような地域主権国家に変えようという話だ。おそらく、そこには山のような既得権としがらみの壁があろう。自民党ほか財界、族議員、官僚など、いわゆる抵抗勢力との戦いは待ったなしである。
それを突破する政治力が不可欠だ。
しからば、地方分権は国の政治に任せ座していれば進む話だろうか。県、市町村をはじめ、国民も観客民主主義よろしく、中央政治の動きを眺めていれば自ずと地域主権国家ができるという話なのか。そこには大きな誤解があるように思う。
確かに地方分権は、中央省庁、「霞ヶ関」の力を弱め、地域の自治体を強くするという、権力構造のパラダイム転換を意味する。そこでの権力闘争は政治主導でなければできない。国の官僚は、地方分権といっても、依然として自治体へ下請け仕事を渡す程度の感覚しかない。その官僚の意識を変え、国のしくみを大きく変えるのは政治家の役割である。
しかし、国と地方もさることながら、身近な都道府県と市区町村との間にも、国と地方と同じ集権的な構造がある。敵は本能寺にあり。地方分権は待っていても実現しない。隗より始めよ! である。まず各地で府県と市町村の関係を変える「分権基本条例」をつくったらどうか。それを基に地域主権型の「地域づくり構想」を策定し、県から市町村へ権限移譲を進め、民間、地域にも地域内分権を進めて新しいまちの姿を明らかにしたらどうか。
もう1つ大事な点がある。いま国会のあり方に注目が集まっているが、今後、地域に大きな統治権を認める以上、より大事になるのは地方議会のあり方だ。47都道府県、1800市区町村にどれぐらいの地方議員がいるか、私たちは意外に知らない。その数は都道府県で約2800人、市区町村で約35000人に上る。多いか少ないか見方は色々あろうが、ともかくこの人たちが、じつは日本全体の行政活動の三分の二を占める地方自治体の決定者だ。地方分権を進めるということは、権限、財源を国から地方へ移すことを意味するが、そうなると、国会の役割は地方議会に移ることになる。今まで以上に地方議会のあり方・地方議員のあり方が問題となる。
そうしたことを説こうと、筆者は最近『地方議員』(PHP新書)という本を書いてみた。わが国で地方議員に関する初めての本ということもあって、全国から大きな反響がある。
じつは日本では既に、2000年に地方分権改革が始まり、地方議会の権限は飛躍的に拡大している。それまで半世紀以上、国の各大臣の地方機関と位置づけられた知事、市町村長のもとで、自治体自身、あたかも国の下請け機関のように業務の七、八割を国の委任事務の執行に費やしてきた。そこでの地方議会は、多くを占める機関委任事務に審議権も条例制定権も予算の減額修正権も持たなかった。地方議会は政治の脇役に過ぎなかったのである。
しかし、2000年改革でこの制度は全廃された。多くの仕事は地方の自治事務となり、地方議会は自治体全ての業務に審議権、条例制定権を持ち、全てが予算審議の対象となった。不必要な仕事はやめることができるし、予算の減額修正もできる。議会がその気になるなら、政策提案を通じて首長ら執行機関をリードすることも可能なのだ。まさに政治の「主役」に躍り出たのである。
だが、そうした権限、立ち位置の変化に多くの地方議員は気づいていない。旧態依然として議会は「チェック機関」だといっている。これでは何のための分権改革かわからない。
ウェィク・アップ! 地方議会が変われば、日本の政治は大きく変わる。政治は世の中をリードする木鐸(ぼくたく)でなければならない。地方政治も同様だ。各地の地方議員の奮起に期待したい。