2019年夏号

常に考えたい、私たちにできること

西日本豪雨被災地でボランティア活動 学生2人が体験記

石山智弥(経済学部3年)/北見洋樹(文学部3年)

 岡山、広島、愛媛3県を中心とした広範囲な地域が甚大な被害を受けた2018年7月の西日本豪雨。中央大学ボランティアセンターの学生たちは被災地や被災者の支援に継続的に取り組んでいます。広島と岡山の被災地で昨年と今年、支援活動を行った学生2人が、その体験記をつづりました。

活動が被災者の心の支えに

中央大学ボランティアセンター公認学生団体「チーム女川」
経済学部3年 石山 智弥

 2018年8月、私は豪雨災害で被害を受けた広島県呉市と尾道市で1日ずつ、災害救援ボランティア活動を行いました。ちょうど中央大学ボランティアセンター公認団体の「チーム女川」代表を任せられたばかりだった私が広島に向かった背景には、1年生の頃から携わってきた宮城県女川町でのボランティア経験が大きく影響しています。

 当時は東日本大震災から7年が経ち、ハード面(見た目)の復興がどんどん進んでいく東北地方で自分たちに何ができるのかと悩み続けていました。チーム女川は長期休暇を利用してコミュニティー支援を行い、住民が何を必要としているのかを考え、復興に向けて一緒に活動していますが、昨夏はコミュニティー支援活動を始めたばかりで右も左も分からず、「ボランティアの意義とは何なのだろう」と日々考えていました。

惨状に言葉失う...

 そんな中、西日本各地に被害が及んだ豪雨災害が起き、広島県や岡山県を中心に外部のボランティアの募集も始まりました。被災地のために何か力になりたいと思うとともに、肉体労働中心の災害救援ボランティアなら、ダイレクトに被災者の役に立てるのではないかと考え、 広島県で活動することを決めました。

 しかし、現実は厳しいものでした。広島県内でも特に被害のひどかった呉市では、活動の拠点であるボランティアセンターに多くのボランティアが殺到し、私が到着してから活動先へのマイクロバスが出発するまでに1時間以上かかりました。活動現場までもだいぶ離れていて、バスで1時間近く揺られていたと思います。

  現場に着くと、あまりの惨状に言葉を失いました。流されてきた木や土砂はそのままになっていて、住居も著しく損壊しており、とても人の住める状況ではありません。ボランティアは班ごとに担当の民家が割り当てられ、住民の方々の要望を聞きつつ土砂のかき出しなどを行うのですが、担当した家もとても人の手でどうにかなる状況ではなく、私たちは少ししか役に立てませんでした。

 加えて、猛暑のせいで呉市のボランティアセンターから「10分ごとに休憩をとってほしい」と言われており、撤収時間も決められていたため、作業時間は実に限られたものでした。十分な活動ができていないにも関わらず、ボランティアセンターは飲み物やマスクなど手厚い支給をしてくれますし、住民の方々は気を遣って差し入れをくださるので逆に申し訳ない気持ちになってしまいました。

 対照的に、ボランティアセンターとは別に個人で長期間活動するボランティアの方は朝から夕方まで臨機応変に動けますし、中には重機を運転している方もいて、自分の無力さを痛感しました。

 一方、被害が局所的かつ軽微だった尾道市では、高齢の女性が1人で暮らす民家の土砂のかき出しを行いました。作業中にボランティア同士で会話できる余裕もありましたが、女性が1人で寂しそうにしていたので、作業するより話し相手になった方が力になれるのではないかという歯がゆい気持ちになりました。

「話したいことを話せる」住民の交流の場に

 被災者が社会福祉協議会を通じてボランティアを募集する目的として、自らができない作業をしてもらうということだけでなく、話し相手になってほしいという理由もあるようです。この女性のように1人暮らしで、近所に身内が住んでない場合、孤独感はとてつもなく大きいと思います。被災地支援というと分かりやすい肉体系のボランティアに目が向きがちですが、コミュニケーションによる心の支援こそ本質的に重要なのかなと感じた瞬間でした。

 その後、豪雨被災地の状況がどうなっているのかということは常に気になっていました。そんな中、中大ボランティアセンターとして岡山県倉敷市真備町に学生を派遣するという話を耳にしました。昨年12月から今年の3月の間に計5回の活動があり、私は3月4~6日の活動に参加しました。活動内容は仮設住宅でのコミュニティー支援が中心です。集会所でたこ焼きパーティーを開いたり、足湯を設けたり、看護師のボランティアの方々と共同で住民の方々の健康チェックなども行いました。

 活動の目的は、住民が話したいことを話せる楽しい場にすることと、住民同士の交流を図ること。このため、基本的にはどのプログラムも住民同士または学生対住民でコミュニケーションを図れるように、ということを意識しています。住民の方々も私たちを歓迎してくださり、 とても楽しい雰囲気でイベントを行うことができました。

 一方で、それぞれの仮設住宅によって課題は山積しているように見受けられました。災害発生後、被災地では若い世帯を中心に他地域に移住する傾向があります。倉敷市内でも被害の大きかった真備町では人口が急激に減少し、逆に被害の小さかった地域では人口の増加が見られます。夜になると、真備町は家に灯る光がまばらで、家があっても人が住んでいないことがよく分かりました。地域に残る住民も高齢者が多く、とりわけ仮設住宅に残る住民の中には経済的に厳しい方も含まれます。

活動がコミュニティー再生の"芽"に

 話し相手や自分の居場所がないと人間は気持ちが暗くなって閉鎖的になりますし、困ったときに頼れる人もなく、結果として生活にも支障をきたすことになるので地域コミュニティーの構築は必要不可欠だといえるでしょう。ただ、仮設住宅は入居状況の全体像が把握しづらく、自治活動の運営や住民同士の交流が現実的に困難なことも多々あります。私たちが開いたイベントなどで住民同士の交流が生まれ、それがコミュニティーの"芽"になればいいなという思いで活動してきました。

 コミュニティー支援の効果は容易に目に見えてくるものではなく、一度行っただけでもあまり有益とは言えないと思います。被災した現地に赴くたびに状況は変わります。住民と一緒になって地域の課題に継続的に取り組み、「私たちに何ができるのか」「ニーズは何なのか」をその都度考えながら行動に移すことで、初めて力になれるのかなという思いを強くしています。

 自分の活動が本当に被災者のためになっているのか不安に感じることもあります。しかし、現在の生活への不満、将来への不安を抱えながら仮設住宅で暮らす住民の方々から、「学生が来てくれてうれしい」「また来てね」と声をかけてもらい、逆にパワーをもらって、それが活動を継続するモチベーションにもつながっています。ボランティア活動が少しでも被災した皆さんの心の支えになれればいいなと思います。

真摯に活動に取り組んでいく

中央大学ボランティアセンター公認学生団体「面瀬学習支援」
文学部3年 北見 洋樹

 ボランティア活動にあたって、一体自分はどういった心持ちでいればいいのだろうか。それを私に強く考えさせた初めての機会が、昨年8月上旬と9月上旬に広島県安芸郡坂町で参加したボランティア活動だった。

 今は長期休暇中に宮城県気仙沼市面瀬地区の小学生に宿題指導と体験学習を行う公認学生団体の「面瀬学習支援」に所属しているが、高校生のときまでボランティアに直接関わったことはなく、今回のように災害後まもない時期に現場に入ったのも、当然初めてだった。

「被災地にプラスになることを」と決心

 正直に言えば、別段崇高な理由があったわけではない。夏休みなので時間があったこと、父親からの提案があったこと、自分の中でこのボランティアに行く以上に優先すべきと感じるものを持っていなかったこと、この程度のことだ。だが、行くからには、決して現地の人を傷つけたり迷惑をかけたりするようなことだけはせず、そしてほんのちょっとでも被災地のためにプラスになることをすると心に決めていた。

 坂町は、土砂崩れと、それに伴う建物や交通網の寸断という大きな被害を受けていた。山の斜面に面した地域が多いだけに、土砂崩れによる被害は大きくなる。作業を担当した斜面に建つ住宅では、屋内に土砂が大量に流れ込んでいた。また、道路は一面に砂を被り、川の中には土砂に巻き込まれたのであろう車がひっくり返っていた。

 だが、そのような被害を受けたにも関わらず、坂町の住民の方々や現地のボランティアセンターのスタッフの方々には、活動のサポートや休憩場所の用意などに大変気を使っていただいた。そのおかげで、私たちは土砂のかき出しなどの作業にひたすら集中することができたのだ。具体的には、土砂を袋に詰め、それを建物の外に運び出し、後に回収しやすい場所に積んでおく、という作業だった。

 被災者として苦しんでいるにもかかわらず、私たちのために配慮してくださる姿勢に報いるには、少しでも作業を進めて応えるしかない。そう思い、全国から集まったボランティアと一緒に4日間、汗を流した。

 昨夏に参加したボランティア活動は、ここまでに述べたような状況、心境で参加していた。こういった活動は、自分にとってはある意味で楽だったのかもしれない。肉体的には負担がかかっても、物理的に現地の被害を軽減することに加われるし、その実感があるからだ。

被災者との会話に緊張

 しかし、現在携わっている岡山県倉敷市真備町でのコミュニティー支援は、家屋に流入した土砂を取り除くといった物理的な障害をどうにかすればいいという話ではない。被害を受けた方々が生活する仮設住宅に出向き、足湯・折り紙・ハンドマッサージ・たこ焼き作りなどのイベントを開くこと、仮設住宅を戸別訪問させていただくこと、地元の社会福祉協議会の職員に仮設住宅で得た情報を伝えることが主な活動である。その目的は、仮設住宅の住民とコミュニケーションを図り、住民の方々が気持ちを整理するお手伝いをすること、日々の暮らしや思いについて被災者から聞いたことを現地で協力してくれている人々に伝えることにある。

 一口に仮設住宅の住民といっても、その心に抱えている感情はさまざまだと思う。私たちの訪問を喜んでくれる方、現状やこれからの生活に対して不安をこぼす方や、今回の水害は防げたはずだと行政への怒りをあらわにする方もいた。

 豪雨で大きな被害を受け、元の生活に戻ることができていない方々と実際にお会いし、話をさせていただくというのは、正直、非常に緊張した(今も緊張する)。水害で多くのものを失ってしまった方々の心境は、そういった経験をしたことのない自分にとって決して完全には理解できないものだろう。

被災者、被災地への心配り

 だから、安易に理解を示したり同情したりするというのは、被害に遭われた方の辛さを軽んじていると、私は思っている。しかし、そう思えば思うほど、何をどう話せばいいのかわからなくなる。私が倉敷市真備町の仮設住宅を訪問したのは今年1月が初めてだが、その時も最初はなかなか上手にコミュニケーションを取れず、せっかくボランティアとして行かせてもらっているのに、あまり力になれなかったという思いがある。さまざまな思いを聞き、少しでもいい方向に持っていこうと思っても、こちらが何も話せなくては、コミュニティー支援という目的は果たせないのだ。

 経験豊富なほかのメンバーの助言もあり、コミュニケーション力は徐々に改善しているが、今も自分の課題の1つだと考えている。「考えて」と書いたが、ここが夏の土砂のかき出しと大きく違うところであり、大変なところだと感じている。何もコミュニケーションに限った話だけではなく、「現地の状況はどうなっているのか」「どういうイベントを開くべきか」「誰に連絡を取るべきなのか」「今後ボランティアセンターとして活動するにあたって、どうこの団体を動かしていくのか」など、とにかく考えて行動していかなくてはならない。それは私にまだ足りていない部分でもあり、改善していきたい。

 そして、この記事の冒頭で述べた問いに対する私の答えは、「考えることと、被災者や被災地の状況に心を配り、真摯に活動に取り組む」ということになるだろう。自戒の念も込めて、ここで改めてしっかり述べておこうと思う。

 最後に、日頃からボランティア関連でお世話になっている全ての方と、今回この記事を書く機会を与えていただいたことに感謝するとともに、この文章を読んでボランティアに興味を抱く方がいたら、ぜひボランティアセンターを訪ねてほしいということを伝えたい。

中大生の継続的なボランティア支援

 西日本豪雨でとくに被害の大きかった岡山県倉敷市真備町には昨年12月から今年3月までで計5回、延べ21人の中央大学の学生が支援に赴きました。東日本大震災や熊本地震でも被災地に寄り添い、被災者への支援を継続しており、その際の試行錯誤、ノウハウが西日本豪雨の被災地支援にも被災者、被災地への心配り生かされています。災害発生直後と一定の時間が経過した後とでは、適切な支援の在り方も異なり、学生2人の体験記を読んでも分かる通り、元の生活を取り戻すための地域コミュニティーの再構築が課題として見えてくるようです。