2019年春号

ヨットマン復活 障がい者国際大会で世界3位

推進力となった多くの人の優しさ

青野鷹哉 さん(文学部4年)

 前ヨット部員で文学部4年の青野鷹哉さん(24)が昨年10月、障がい者セーリングの国際大会「2018ハンザクラスワールド&インターナショナルチャンピオンシップ」(広島市)に初出場し3位に入った。大けがから見事カムバックした。

 ハンザと呼ばれる一人乗り小型ヨットは、子ども・高齢者・障がいのある人らが楽しめるように開発された。アジアでは初開催となる注目の国際レース。出帆の舞台は風光明媚で知られる瀬戸内海の広島観音マリーナだ。

 セーリングナンバー「2774」の青野選手は、電動舵取り付きの「リバティ」という種目でオランダ勢に続く世界3位。表彰台に日の丸を立てた。

 自身をはじめ、彼を知る多くの人が感慨を抱いた。命が危ぶまれた事故後、初の快挙だった。

 中央大学に入学した2014年の8月。旅行先の沖縄の海辺で頸椎を損傷、一時は危険な状態にあった。

 海面がひざ下ほどの浅瀬を歩いていた、次の瞬間だった。前期末試験や大会出場などで、たまっていた疲れからか貧血を起こした。倒れた場所が波底の陥没で、そこに頭から落下した。

 同行の友人は青野さんの姿が見えなくなっても、潜っている、とみていたようだ。青野さんはマリンスポーツの練達者、水の申し子だ。

 海面に体が浮いてきたところをライフセーバー(救命隊)が発見し、現場へ急行した。居合わせた休暇中の医師が蘇生処置をした。

 病院へ搬送され、緊急手術を受けた。その後は入院治療、リハビリ、車いす、休学...19歳の生活スタイルは一変した。

 休学は2014年後期からで、復学したのは2016年4月、再び1年生からのスタートとなった。大けがから1年9カ月余りが経っていた。

 福岡県内の病院でリハビリ生活を送った。九州はセーリング競技が盛んで見舞客は関係者が多く、大会の前後にやってきた。

 話題は自然とセーリングになるのだが、「海が怖くて、テレビで海の中が映し出されると動悸がしたものです」

 毎回励まされているうちに気持ちが変わり、再び海を見ることにした。カムバックを決めた日は絶好のコンディション。海が「お帰りなさい」と歓迎してくれたようだった。「やっぱり、海はいいな、と思いましたね」

 父と母は学生時代からダイビングやマリンスポーツに親しんできた。両親に連れられて海へ行くようになり、セーリングは小学生高学年から始めた。

 地元・愛媛県で2017年国体があり、ジュニア選手育成につながる体験教室に参加した。体験教室では飽き足らず、セーリングを競技として捉え、中学・高校と続けてきた。

 大学進学では学業とセーリングの両立を第一に考えた。自らに合っていたのが中大だった。神奈川県葉山町に練習拠点を置くヨット部に入部した。1年生の履修全教科の前期単位を修得、部活動も手応えをつかんだ頃、事故に遭ってしまった。

 事故直後、沖縄の病院で出会い、リハビリ病院へ転院するまでの2カ月間、「お世話になった方は数え切れませんが、ある看護師さんには大いに励まされました。めちゃくちゃいい人でした。その人がいてくれたから立ち直れたと思います」

 手厚い看護に接し、前向きに生きていこう、という気持ちになったという。

 「その人が30代過ぎで、事故で亡くなってしまい、ショックでした。後日にはなりましたが仏壇に手を合わせたくて沖縄へ行ってきました。お世話になった人たちのなかでもすごくお世話になった2人が亡くなりました。もうおひとかたは福岡の病室で一緒だった50代男性で、僕のことを気にかけてくれました。人間どうなるか分からないです」

 ある日、沖縄の看護師さんから、上京します、との連絡が入った。「ごはんを食べに行きましたよ」とうれしそう。旧友に会ってきたかのようだった。

沖縄好きです

 時間の経過につれて思うのは「許容量が大きくなったことでしょうか。現実を受けとめ、できることを一つずつやっていきます」

 出身高校、松山東のスローガン『がんばっていきましょい』を実践する。そして照れながらこう付け加えた。「勉強ができるようになりましたね」

 iPS細胞を用いた再生医療が現実になりつつある。

 「僕の障がいも将来的には治るだろうと言われています。やる気を失って、いま何もせずにいたら、そのとき、何もない人間になってしまう。それは嫌ですものね」

 今では事故のあった場所を「沖 縄、好きですよ」と笑顔で話す。沖縄の人と海がほっとしているだろう。

 事態を好転させたのは、多くの人たちの絶えることのない優しさ、といえそうだ。

活躍がNHK国際放送で

 一昨年のプレ国際大会の模様がNHK国際放送、NHKWorldで紹介された。

 番組タイトルは「Disabled Yachtsman Races Again」(障がい者ヨットマンがレース復活)。

ヨットからセーリングへ

 1999年4月、財団法人・日本ヨット協会と社団法人・日本外洋帆走が統合され、財団法人・日本セーリング連盟が発足。2012年、公益財団法人に移行された。