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トップ>HAKUMON Chuo【2018年冬号】>中大ソフトボール部出身2人が司法試験に同時合格

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表紙の人

中大ソフトボール部出身2人が司法試験に同時合格

2014年8月30日インカレ大会1回戦 vs 立命館大学でサヨナラ勝ちした際の歓喜の円陣
(背番号10が植西氏、12が高橋氏)

ソフト部魂で難関突破
植西、高橋両氏の受験生活

 中央大学法学部時代、学友会体育連盟ソフトボール部(男子部)でも活躍した植西剛大氏(27)と高橋良氏(26)が中央大学法科大学院などを経て、平成30年司法試験に同時合格した。2人は「ソフト部魂で合格」と明言。白球を追いながら難関を突破するまで1日24時間では足りなかった、入魂の日々をつづる。

難関なら挑戦する
植西 剛大氏

鋭い打球を飛ばした植西さん
(写真提供=中大スポーツ新聞部)

 12歳の植西少年がテレビ番組を見て一大決心。「人のためになりたい」と家族に話した。日本テレビ系の『行列のできる法律相談所』。弁護士が、トラブルを抱えて悩む人を勇気づける。難解ともいわれる法律知識を分かりやすく説明し、心優しい言葉で相談者に寄り添う。

 小学校卒業の文集に『弁護士になりたい』と書いた。「難しいといわれるものに挑戦したかったという思いです」

 向上心はスポーツにも向けられた。進学校の高校で、硬式野球部に入って甲子園出場を目指した。難関に挑戦する気持ちはここでも強かった。強肩の遊撃手として知られた。

 中大法学部入学が決まり、硬式野球部見学のため球場へ向かう道。途中にあったグラウンドで、ひたむきに練習するソフトボール部員に見入った。使用球は革だった。「自分が見てきたソフトじゃない」。何かしらやりたかったスポーツが見つかった。

 部活動もスタートした。既に法学部の授業のほか、法職多摩研究室/多摩学生研究棟「炎の塔」に入った。法律家を目指す学生が最高の環境を求めて集まるところ。周囲に法律家や合格者がいる。共に学ぶ仲間がいる。

 法職多摩研究室には入室試験があり、合格者に定席(自席)と個人ロッカー利用権が付与される。

 2~3年次は少人数のゼミ形式「FLP」でアジア経済を勉強し、新たな知識領域を広げた。4年生になると部のキャプテンに選ばれた。高校時代に次ぐチームの顔だ。授業、法科大学院入試の受験勉強、部の主将と3つ重なった。

勉強中もソフトがよぎる

 中大ソフトボール部は、学生が主体となってチームを運営する。最大目標は、学生日本一を決める全日本大学選手権大会(インカレ=8~9月)出場と上位進出だ。

 主将がほかの4年生らと話し合い、活動方針、陣容などを決め、監督に提言する。監督や部長先生からのアドバイスが、大いに参考になったという。

 日々の練習メニューを決めるのは主将。練習試合の相手、グラウンドも探す。「勉強の合間、たまにオーダー(打順)を考えていましたね」と苦笑いした。

 毎週水曜日には「朝練」があった。午前6時過ぎ、大学近くの住まいを出発。同7時、多摩キャンパス内のグラウンドに入る。同11時まで日本一を目指して練習。その後夕刻まで授業・講座を受け、さらには炎の塔で大学既定の閉門時刻、午後11時近くまで勉強した。

 部に、法科大学院に進むための勉強を続けている1学年上の先輩がいた。授業、法科大学院入試準備、ソフトボールの大会・練習など年間スケジュールを俯瞰して、それぞれの注力時期を教えてくれた。今、何をすべきか-が分かった。

 「同級生にも先輩後輩にも、助けてもらいました」と植西氏。主将時代、部活動を休んだのは中大法科大学院入試日と練習試合が重なった、その1日だけ。

 週4日の練習、日曜の試合や練習試合。活動日にはキャプテンがいつもチームの先頭にいた。別の法科大学院入試日とインカレの試合日が同じ日だったときもソフトボール重視。インカレを選んだ。

 彼の大願と日頃の奮闘を知る同期8人は、自らにたとえ試合出場機会がなくても、チームのためにすることが必ずある、と考えて行動した。同期生に限らず先輩や後輩ら一同の思いは同じ、植西主将の大願を成就させてやりたい。試合にも勝ちたい。強大なものに立ち向かっていくソフトボール部魂。チームの結束がますます図られた。

 「何も言わないのにやってくれて…。おかげでチームがうまく回りました」と今でも感謝する。有形無形のサポートを得て、法曹を目指す受験勉強は「ソフトボール部を背負って」取り組んだ。

 9月11日、午後4時。司法試験の合格発表。帰省中だったため、法務省のインターネットで合格を知った。「これで一段落、でも、これからだな」。険しい顔をしていたようで、そばにいた母は不安そうな表情だった。

 合格を告げると「盛り上がっていましたね」。外出中の父へも吉報を届けた。「なんだか1週間くらい実感がなくて、ネットで3回くらい確認しました」。周囲から続々と入るお祝いメールなどでじわじわと実感し、感謝の言葉を返信した。

 法曹人となり、「やりたいことがありすぎて」と頭をかく。今後さらなる成長が期待されるアジア経済に関心がある。地方の発展にも寄与したい。スポーツ選手に寄り添う弁護士も魅力だ。法曹人による経営者像も描く。

 キーワードは「人のためになりたい」。12歳の少年が抱いた夢は、もうすぐ叶う。

2人のヒーローに憧れた
高橋 良氏

本塁へ果敢なヘッドスライディングをする高橋さん
(本人提供)

 高橋氏は植西氏の1年後輩。中大法学部卒業後、一橋大学法科大学院へ。

 大学入学から計6年間の勉強の末、司法試験に最初の受験で合格した。とくに学部3年次の年頭から4年次9月に迎える法科大学院入試までが大変だった。

 夏の、ある1日を紹介してもらった。午前9時頃、多摩学生研究棟「炎の塔」に入る。法職多摩研究室の入室試験に合格して、定席(自席)と個人ロッカー利用権を得た。

 静かな環境下、同9時過ぎから勉強開始、途中で授業に2コマ出席。炎の塔に戻り、勉強再開。午後5時、キャンパス内の野球場へ急ぐ。同9時まで全日本大学選手権大会(インカレ)出場を目指してチームメイトと共に練習する。ポジションは二塁手だ。代走の切り札でもある。

 練習が終わった9時過ぎ、炎の塔へ。シャワーを浴びたいが、シャワー後は落ち着いてしまって、勉強の流れが止まるという。ジャージに着替えて机に向かう。11時まで自席で頑張る。11時の閉門後は住まいの近くにあるカフェで、午前1時半頃まで勉強した。

 帰宅後、ようやくシャワー。ユニホームを洗濯する。就寝前に少しの間、教科書を開く。翌朝9時には炎の塔の重厚なドアを開ける。

 「炎の塔で、私は野球用具の入ったエナメルバッグにランニングシューズ。だいぶ浮いていましたね」と言いながらも、「勉強ばかりしていたら楽しくはなかったと思います。全国大会出場という目標もあり、真面目に取り組む環境が良かったです」とソフトボール部と仲間に感謝した。

 奮闘している姿を目の当たりにした同級生らが応援する。法科大学院入試とインカレ初戦が重なった秋の日、受験会場にいた高橋氏のスマートフォンに同級生による独自制作の動画メッセージ「頑張れ!」が入った。

 インカレでは同期生が活躍して2回戦進出。「負けたら終わりだったけど、お前のために打ったぜ」との言葉に厚い友情を感じた。

思いがけない涙

 9月11日午後4時。司法試験の合格発表だ。法務省内に自らの受験番号が掲示されていた。「今までで、いちばん感動しました。大学から6年間やってきたことが報われました」

 すぐ、名古屋市の母に電話した。「いろいろと話していたら自分が泣いてしまって…」。父に電話をすると通話中だ。母が連絡していたのだろう。祖母にも合格を知らせた。「体調が良くないのに心配かけてしまって」

 友人では「ずっと心配してくれていた」ソフトボール部の同期元主将に連絡した。平日の午後4時過ぎ。応答はなかった。「申し訳ない、勤務中だった」。夜にでも掛け直そうとしたら、自らのスマホが鳴った。「彼は発表の日時を知っていて、気にかけてくれたようです」

 合格を我が事のように喜んでくれる人たちがいる。胸が一杯になった。

 法曹を目指したのは、テレビドラマ『HERO』(2014年7月)がきっかけだった。

 志望の中大法学部に入学、「法律の勉強は楽しい」と感じていた頃に見ていた。型破りな検事を演じる木村拓哉さんのように「なれるものならなってみたい」

 大学2年次、アルバイト先の法律事務所に、もう一人のヒーローがいた。代表責任者がその人でバリバリ仕事をしていた。事務所スタッフにテキパキと指示を出す、事案依頼者には優しく親身になって相談に乗る姿が格好良かった。

 時を経て、憧れの2人に近づいた。当面の目標は「べンチャー企業が設立から上場するまでのスタートアップ支援をお手伝いしたい」

 中大時代、ソフトボールの試合ではチームの勝利のため、次の塁を奪おうと果敢なヘッドスライディングを見せた高橋氏。これからは依頼者の成功を願って全力疾走するだろう。

Voice 強者に、奮闘努力して向かっていく、それがソフト部魂

中央大学学友会体育連盟ソフトボール部 市村誠部長の話

 「2人の司法試験合格を先輩、後輩みんなが喜んでいます。誇りに思っています。部内は家族的な雰囲気で、先輩が勉強や就職活動のアドバイスをしています。OB会による就活相談会もあります。

 ソフト部魂は造語です。前任の部長や私らが考えました。対戦校にはスポーツ推薦で入学してくる学生がいて、プロ野球からドラフト指名される選手もいました。中大ソフトボール部には、現在スポーツ推薦入学がありませんが、チーム一丸となり奮闘努力して、スポーツエリートに立ち向かっていく。それがソフト部魂です」

Voice 植西元選手はオールマイティー、高橋元選手はスペシャリスト

中央大学学友会体育連盟ソフトボール部(男子部) 鈴木克彦総監督の話

 「植西さんは内、外野どこでもこなすオールマイティー、どこに入っても一定の成果を出しました。最後はキャプテンとしてチームをまとめるという点でも、彼のいいところが出ていました。

 高橋さんは芯が強く、就職活動中の同期部員がチームを離れたとき、彼は勉強しながら練習し、チームを仕切りました。4年生が主体となって部を運営します。試合では代走の切り札でもありました。スペシャリストです。

 2人に続けと文武両道を目指したチーム運営を継続します」

平成30年司法試験合格者(出展 法務省)

年齢別構成

男女別

1試合8打点!

 植西選手(当時)は1年次の秋、1部リーグ最下位と2部リーグ1位・明大との入れ替え戦で1試合8打点と大活躍した。2番セカンドで先発出場。2回裏に満塁ホームラン、続いて2点本塁打、タイムリー三塁打、適時打。スーパーヒーローの出現で中大は1部残留を決めた。

 2部降格ならば、1995年春季以来15年ぶり2度目となるところだった(95年秋に1部復帰)。「先輩たちは入れ替え戦でピリピリしていましたが、僕は1年生、思い切りやるだけでした。先輩に『8打点、これ以上はないからな』とお祝いの食事に誘われました」

飛躍のシーズン

 植西氏が中大在籍時、大学ソフトボール東京1部リーグは3強(日体大、早大、国士舘大)と呼ばれる時代が長く続いており、中大は4位以下とされていた。

 全日本大学選手権(インカレ)出場を逃した2010年秋季以降、部員の意識が変わり、同氏3年次の2013年春季には創部(1974年)以来、史上初のリーグ戦2位(4勝1敗)となり、インカレ出場を早々と決めた。

 これまでは予選からのインカレ出場が多かった。秋季リーグ戦も2位、2013年は飛躍のシーズンだった。

思い出のインカレ

 4年次に出場した、チーム最大目標の全日本大学選手権1回戦が植西選手(同)の思い出のゲーム。優勝候補で関西1位校にサヨナラ勝ちした。

 「1点ビハインドの最終回(7回)。僕が同点打、後続の下級生にレフトへのタイムリーが出て、僕がサヨナラのホームを踏みました」。チームの結集はキャプテンの喜び。目を閉じると、あのシーンがよみがえる。

思い出の場面

 高橋選手(当時)が2年次で臨んだソフトボール「東海オープン」(3月、全日本大学ソフトボール連盟後援大会)では、思い出に残る場面があった。「チャンスで代打に起用され、打てなくて。勝っていれば優勝でした」

 良い思い出もある。3年次のインカレ1回戦、2点を追うシーンに代走で登場。後続打者のタイムリーで一気に本塁突入。好走塁で勢いづいたチームはサヨナラ勝ちした。

2014年8月31日インカレ大会での集合写真(背番号10、植西キャプテン最後の写真)