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トップ>HAKUMON Chuo【2018年早春号】>駅伝チームを支えたふたりの奮闘記

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駅伝チームを支えたふたりの奮闘記

選手を追走する運営管理者(後方)。ランナーは10区の竹内選手

2年ぶりに出場して注目を集めた箱根駅伝の舞台裏で、中央大学陸上競技部長距離ブロックの2人が奮闘した。木村総志主務と赤松怜音マネジャー(ともに経済学部4年)。縁の下の力持ちの1年を追った。

藤原監督「素晴らしい主務でした」
木村総志さん

木村主務

 1月2日朝、東京・大手町の往路スタート付近。木村主務は藤原正和駅伝監督に続いて、大会規定の「運営管理車」に乗り込んだ。

 運転手席の真後ろに座る。助手席の藤原監督を左前方に見る位置だ。この車には中大勢2人のほか、競技運営委員ら2人が乗る。

 全神経を集中して選手を凝視する。車内での会話は必要なことだけ、カーラジオからレース実況が流れるなか、緊張した時間が続いた。

 各区間の1㌔、3㌔、5㌔、10㌔、15㌔といったポイント(P)には、チームスタッフが中大選手のタイムを計測している(2区、9区、10区は20㌔Pあり)。

 木村主務は各ポイントから逐一入ってくるタイムや選手の表情、足の運び、前を走る選手・後続選手とのタイム差などを指揮官に伝える。監督がランナーに声を掛ける際の最新データとなる。この情報はチームスタッフへ発信し、共有とする。

自ら考え、行動する

 長距離ブロックの選手は総勢33人(1月現在)。主務は監督の右腕といっていい。

 就任2年目の監督が掲げたチームテーマは「学生主体のチーム」。木村主務は自主性を重んじた。

 チームを良くするためには何をどうすればいいか。何が足りないのか。監督や選手と寮生活を共にするなかで、いつも考えていたという。

 「自分で考えてつかんだものが、力になると思っています。言われてからやるのではなく、分からないから聞くというのでもなく、まず考えます。この1年間はそれまでの何十倍もやらなきゃいけないと思っていました」

 課題を見つけ、克服を目指し、行動してきた。赤松マネジャーによると「選手を理解しようと本気で取り組んでいました」

 担当業務は十指に余る。

 ▽選手が出場する試合のエントリー。

 ▽遠征ならば宿泊施設と移動の手配。「自分で探して見つけていました」

 ▽夏は複数回ある合宿の日程調整。

 ▽宿泊先とは食事メニュー、分量などを共に検討する。

 ▽行動スケジュール表を分かりやすく書いて貼り出す。

 ▽毎日欠かせないのが選手の身体データ作成だ。体重、体脂肪率、毎朝の尿比重を調べることで体内水分量や疲労の度合いをグラフ化する。

 ▽外部の体調管理専門スタッフに来寮を依頼する。

 ▽関東学生陸上競技連盟や大学当局、OB・卒業生たちとの連絡。

 ▽箱根駅伝などで試合後に行われる「報告会」での選手紹介。

 ▽会計報告もしっかりこなす。

 「細かいことを挙げればキリがないです。業務は完ぺきにやって当たり前です」と、ちょっと怖い顔で話した。

 試合中は出場選手に指示を出す。

 競技成績が振るわない選手とは練習中、一緒に走り、コミュニケーションをとった。

 寮生活の食卓に食の細い寮生がいると木村主務は気が気でない。

 藤原監督と選手の間を取り持つこともあった。

目指すは駅伝コーチ

 高校時代から陸上競技を始め、1年先輩の渥美良明選手に憧れた。

 中大ランナーとして活躍する先輩を追って中大へ進んだ。

 ところが思うような戦績を残せず、「メンタル的に底へ落ちました。辞めようか、続けるか、迷いました」

 苦しんだときの経験がチームを支える主務となって生きた。

 「走れない人の気持ちが分かります。走れないとチームに入っていけない、なじめなくなってしまう」

 寄り添い、話を聞き、現状を理解する。2人で復活を目指し、励まして、成果を評価する。その選手が、いいレースを展開し、自己ベストを更新するまでになると、うれしくて「いちばん感動しました」

 戦列から一時離れかけたランナーが強くなって戻ってくる。木村主務の存在は大きかった。

 箱根駅伝は総合15位に終わった。1日置いた1月4日夕、藤原監督は「中大駅伝ブログ」にこう記した。

 「(中略)最後に、今年の4年生は結果には結びつけられませんでしたが、箱根駅伝を経て送り出せることができました。人数も少なく、苦しい想いをした4年間だったと思いますが、その想いが決して無駄な経験ではなかったと思える時がくるはずです。これからは社会人として輝いてほしいと切に願います。木村主務のお陰でこのチームはまとまり、結束することができました。素晴らしい主務でした」

 木村主務は近い将来、「駅伝コーチになりたい」と話している。

箱根駅伝復路終了後の報告会、木村主務(左から3人目)が選手を紹介

マネジャーの立ち位置を確立
赤松怜音さん

赤松マネジャー

 志願して、長距離ブロックチームに入った。入学直後から活動を続けながら思うことがあった。女子マネジャーのチーム内での立ち位置が定まらない。

 3年次から女子マネジャーのリーダーになった。女子マネジャーは総勢10人。箱根駅伝の往路・復路を走る選手と同じ人数だ。

 「チームの戦力となる、必要とされるマネジャーになろう。目標に向かって選手と一緒に闘いたい」

 他校選手のデータ収集を精査した。収集データをいま本当に必要なデータとして際立たせ、新しくベースを作る作業に取り組んだ。出場した大会・競技会は主催者HPで成績(タイム)を検索すればいい。出場機会の少ない選手は、マネジャー仲間のツテを頼って入手する。

 1校の選手30~50人、複数校の記録をまとめるには時間と労力を費やす。調査対象が相当数あるときは、手分けして期日までに仕上げる。

 プライベートの時間帯にパソコンに向かう夜もあった。そうして藤原監督・コーチらに提出した。

 「中大駅伝ブログ」を通して、チーム内の様子を積極的に発信した。選手紹介、練習や合宿風景。試合の案内と結果報告など。支援者からいただいた差し入れの御礼は大事な項目だった。

 一つ一つの情報が支援者・関係者とチームの友好関係を深める。「チームの状況がよく分かる。あれのおかげでパソコンに慣れたよ」とは中大オールドファンの喜びの声だ。

復路終わってウルッ

復路終了後、チームは円陣を組んだ。左から3人目が赤松マネジャー

 長距離ブロックの練習は週3回。マネジャーたちは選手と同じジャージーを着て、トラックの内側に立つ。白いウエアと赤いズボンのスクールカラー。

 「ポイント練習」と呼ばれる大事な練習がある。心肺機能に負荷をかけた強度の高いメニューで、必要なのは正確なタイム計測と万全な給水準備…細大漏らさずの心構えでサポートした。

 本気になった選手たちを間近で見ていると箱根駅伝出場にかける熱い思いが伝わってくる。昨年秋の箱根駅伝予選会(東京・立川)の3位通過は胸が弾んだ。

 「あんなに喜んでいるみんなの姿を見たことがなかったので感動しました。みんな、すごくいい顔だった。いちばんいい笑顔を見ました」

 そう話す顔も笑顔だ。予選会で2年連続の敗退ならば、この時点で4年生マネジャーの活動は終わり、引退となっていた。選手たちに感謝したという。

 「お芝居が好きでして」。上京した理由の一つが東京で演劇の道を探ることだった。一方で高校時代は陸上競技に打ち込んでいた。箱根駅伝は毎年のようにテレビ観戦した。

 初年度の授業が始まって間もなくの頃、多摩キャンパスの陸上競技場を訪ねた。下調べなしで行った初めての練習見学は、選手とスケジュールが合わなかった。

 それでも赤いアンツーカーと緑豊かな木々に囲まれた環境の良さに「きれいでびっくりしました」と前向きに。数回通った末、ようやく練習終了後の選手と出会い、思い切って声をかけた。

 「駅伝の選手ですか?」「はい、マネジャー希望の方ですか」。当時の主務に詳しい話を聞いている途中で入部を決めた。

 「一気に惹かれました。あの日も出会えなければ諦めていましたね」。学生時代から芝居の道へ進もうか迷っていたという。

 「今しかできないことをやりたい。大学トップレベルの選手が箱根駅伝に挑む、その舞台裏を支えたい。自分にも得るものがあると思っていました」

 目指したのは、女子マネジャーはだれがどの仕事をしても同じようにちゃんとこなす、女子マネジャーは部に必要だ、と感じてもらうこと。

 女子マネジャー全員が戦力でありたい。男性社会ともいえる部で、女子マネジャーを欠かすことができない存在にするため、部のさらなる躍進のために、気配り、目配り、心配りして日々奮闘した。

 視野と思考を広げるため、下級生マネジャーのアイデアは積極的に取り入れた。 

 1月3日、箱根駅伝は2日間の日程を終了した。報告会は東京・日比谷のビジネス街の一角で行われた。中大ファンらによる応援の輪が幾重にも広がっていた。

 木村主務がマイクを持ち、選手を紹介している。散会後はみんなで肩を組み、大きな円陣を組んだ。選手とスタッフが体をぶつけ合って健闘を称えあう。そのとき、赤松さんが落涙した。

 「Cのジャージーを着て円陣を組むのもこれで最後かなと思うとウルッときて…。そのときそのとき精いっぱいやってきた。チームの一員になれて良かった。ここにいられることがうれしかった」

 涙は充足感によるものだった。少しの間だけ、落涙のままにしておきたかった。

 多くのご声援、たくさんの差し入れをいただきました。
 多くの方々に支えられていますこと、部員一同、実感しております。
 今後とも変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。