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学生日本一を決めた次の瞬間、望月選手はスタンドのチームメイトへ、やったぞポーズ(写真提供=月刊スマッシュ)
福井烈先輩以来、40年ぶりの男子シングルス制覇
望月勇希選手(法学部3年)
中央大学硬式庭球部の望月勇希選手(法3)が、8月の全日本学生テニス選手権(インカレ)男子シングルスで初優勝した。
中大勢では1978年の福井烈選手以来、 40年ぶりの快挙だった。
望月選手は猛暑の8月21日、岐阜(長良川)メモリアルセンターのセンターコートに立った。
インカレ最終日。決勝の相手は羽沢慎治選手(慶大)。1年生ながら学生ランキング(6月現在)は望月選手の4位に続く5位の実力者。
両選手は昨年冬の全日本選手権でプロ選手と戦い、共にベスト8入りしている。
力感あふれるプレー
(写真提供=月刊スマッシュ)
4時間を超えた決勝は、5-7、7-6、6-4で決着した。勝敗を分けたのは第2セットだ。
第1セットを先取した羽沢選手が、タイブレークで迎えたマッチポイントだ。
望月選手は、ここでポイントを奪われると準優勝に終わる。
注目のマッチポイント。炎天下にもかかわらず、観衆の涼を取るうちわや扇子の動きが止まった。結果は羽沢選手がダブルフォールト。
「まだテニスができる」。望月選手が息を吹き返し、自らのプレーを存分に展開した。サーブで崩し、鋭いフォアで左右に揺さぶった。チャンスと見ればネット際に詰めるプレーも。さらに、北澤竜一監督がたたえるのは「競り合ったシーンでの勝負強さ」
第2セットからは7-6、6-4と接戦を次々とものにした。がむしゃらに向かってくる相手を豊富な経験と確かな技量で突き放した。最後は相手のジャンプショットがネットに掛かって試合終了。
ガッツポーズも力強かった。両手の指先をスタンドで応援していた中大チームメイトに向けた。大きな歓声で呼応する部員たち。
質実剛健のチームカラーが自らに合っていると中大入学を決め、「中大テニス部の雰囲気が大好きです」という。
平成最後の夏に、平成初の男子シングルス優勝。中大硬式庭球部の名を学生テニス界に知らしめた。
「3年になって、タイトルが欲しいなと思うようになりました。勝てば次のステージへの自信になる。よし、獲りに行こう、そう決めていました」
決勝前夜は300グラムのハラミステーキ、大盛りごはん、サラダなどを平らげた。
大学3年で初めて学生チャンピオンとなった。高校3年で高校総体(インターハイ)優勝。期待された中大入学後も1年次で全日本学生選手権シングルス準優勝。2年次は国際テニス連盟主催の男子フューチャ ーズ大会(6~7月・香港)を制するなど順調だった。が、足をけがしてしまった。
このときだ。災いを「福」に転じようと考えた。入学時の体重は56キロ(身長173センチ)。負傷時に体を鍛え直し、栄養学を勉強して、けがをしにくい体づくりを目指した。体重はフューチ ャーズ大会香港V2時に8キロ増の64キロ。筋肉がパワーアップした。
昨年12月には、全日本選手権大会混合ダブルス準優勝。男子シングルスではベスト8。成績は再び上昇カーブを描きだした。
表彰式、賞状と優勝トロフィーを手にして、にっこり(写真提供=月刊スマッシュ)
父は元テニスコーチ。母は高校時代にソフトテニスをしていた。「物心つく頃からラケットとボールが身近にありました」。小学2年からテニススクールに通った。妹は今夏の高校総体に出場した。
テニス一家はインカレをスタンドで観戦した。息子の優勝はもちろんうれしいが、母には「けがなく終えてよかった」と別の思いがあった。
ロジャー・フェデラー選手(スイス)に憧れる。ウィンブルドン選手権男子シングルス最多優勝8回などの実績もさることながら、「難しい局面でも簡単そうにプレーをするところがいい。無駄な動きがない。お手本のようなプレーヤーです。プレー以外のしぐさも格好良い」
コートでは図抜けた技術をさらりと披露し、崇高感を漂わせる。テニスを愛し、ファンを大切にする。
「応援したくなりますよね。魅入 ってしまう。僕も応援される選手になりたい」
自らもテニスを愛する人を楽しませたい。その一心で心・技・体に磨きをかける。錦織圭選手のように、いずれは4大大会に出場したい。
目指す道へ、一歩前進、また一歩。ラケットを握る右手に力が入る。
「私以来40年ぶりというのはびっくりしましたが、望月選手の優勝には驚いてはいません。彼のテニスを見て実力を知っています。ベストプレーをすればチャンピオンになれる選手です。目標はもっと先にあるはずです。インカレ優勝で、さあ次は! と彼はもちろん、テニス部も元気が出る、勇気付けになる。そういう発信ができた優勝ですね。おめでとうございます」
テニス選手としては小柄ながらも、繰り出すダイナミ ックなショットが持ち味である。また競り合ったシーンでの勝負強さと一球一球に込める気合の入ったプレースタイルが魅力である。
(中大硬式庭球部・北澤竜一監督=日本体育協会公認コーチ)
猛暑に見舞われた大会だった。会場の岐阜県内では8月8日、美濃市で全国歴代2位となる日中の最高気温41度が記録された。
大会期間中も暑い日が続き、8月15~17日は38・4度、39・8度、38・2度。決勝の21日は36・5度という厳しさだった。
炎暑のなかでプレーする。望月選手が決勝のコートサイドに持ちこんだのは水、スポーツドリンク、過度の発汗による脱水状態を防ぐ経口補水液、オレンジジュース、バナナ、氷嚢。ウエアは同じものを3枚ずつの計6枚。「暑いのは好きです。テニスしている、と感じます」と明るい表情の望月選手。相手に勝って、暑さにも勝った。
望月選手は体調管理にも気を付けている。香港遠征時、本場の中華料理にはあえて背を向けて、食べ慣れている日本食を選んだ。
トップアスリートに多く見られる傾向のようで、海産物がおいしい場所へ行っても大会中は食べずに、閉会式後に名物料理を楽しむそうだ。