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トップ>HAKUMON Chuo【2017年夏号】>【グローバル人材育成】ボストンマラソンで力走 箱根駅伝へ手応え

HAKUMON Chuo一覧

グローバル人材育成

走る喜びにひたる岩佐選手

ボストンマラソンで力走 箱根駅伝へ手応え

岩佐快斗選手/経済学部2年

 第121回を迎えた伝統の米国ボストンマラソン(4月17日)で、中央大学陸上競技部の岩佐快斗選手(経2)が力走した。海外初挑戦で得た好感触を箱根駅伝出場へつなげたい、と意気高らかだ。

 ボストン郊外から市中心部へ向かう独特の片道コース。ランナーを眼前で応援できるのは一瞬とあって、ファンの熱気はスタート地点から各所で高まっている。

 岩佐選手も高揚していた。自身初のマラソンとなった勝田全国マラソン(1月29日、茨城・ひたちなか市)で3位に入り、ボストンマラソン出場権を獲得。居並ぶ世界の強豪らと共に「招待選手」としてスタート地点に立っている。

名うての選手とともに

 最前列からの出発だ。見渡せばリオデジャネイロ五輪マラソン銅メダルのゲーリン・ラップ選手(米国)=2位=ら名うての外国人選手が散見できる。

 早大時代に箱根駅伝に4度出場し、現在は米オレゴン州を拠点に活動中の大迫傑選手(ナイキ・オレゴンプロジェクト)=3位=の顔も見える。

 この日朝も招待選手として遇され、移動の際には専用バスへの乗車を案内された。下車後、すぐに始まったウオーミングアップでは、つわものらの動きを食い入るように見つめた。

「今まで味わったことのない雰囲気でした。しっかりと見て、学ばせてもらいました」

 ボストンマラソンが決まった2月に、目標タイムを「2時間20分切り」とした。勝田では2時間25分27秒だった。タイムを見るたびに、藤原正和・中大駅伝監督の偉大さが分かる。2003年・びわ湖毎日マラソン大会で記録した2時間8分12秒は初マラソン日本最高で、いまもこの部門の記録保持者である。

 身長168センチ、体重55キロの岩佐選手は、力の限りを尽くして、先頭集団に付いていった。集団は中盤からばらけた。

心臓破りの丘

昨年夏の北海道合宿、力を振り絞った

 「単独走になっても、うまく刻めていましたが、アップダウンのきついところで失速してしまって…。悔しかったです」

 コース終盤でアップダウンが続き、35キロ付近には「心臓破りの丘」と呼ばれる76メートルもの急勾配がある。例年、多くのランナーの表情をこわばらせている難所だ。

 鼓動が聞こえるような感覚にとらわれるなか、歯を食いしばってゴールインした。成績は2時間27分11秒、39位だった。

 国内で映像を見た中大の花田俊輔コーチは、陸上競技部の駅伝ブログ『~栄光への道~』で、こうコメントした。

 「今の状況での100%が出せたと思います。出場権を得た勝田マラソン後、トレーニングが積めず、自信を失ってもおかしくない状況でした。そこを折れずに戦える精神が岩佐の強さであり、今回も見せてくれました。初の海外マラソン挑戦で、大迫選手やラップ選手の表情を間近で見られたことも、非常にいい経験になったと思います」

 勝田マラソン後、胃腸炎に苦しんだ。練習を思うようにできない。もどかしい。当初の練習計画をかなり軽減して臨んだボストンだった。が、現地入りして復調の兆しを感じた。

活力くれたボストンの風景

ボストンマラソンでゴールするランナーたち(ロイター=キロ共同)2014年4月撮影

 体調の回復もあったのだろうが、米国で目に映った風景が活力をもたらした感があるという。米国最古の公園「ボストンコモン」やヨーロッパを思わせ、歴史の重みを感じさせる建造物など、「走ったコースは全部覚えています。沿道からの歓声が途切れることなく続き、悲鳴のような声もありました。街全体で盛り上がっている。レースは苦しかったですが、とても楽しい雰囲気でした」

 きょう感じた充実感が、あすへの希望となった。

 練習の合間には有名なハーバード大学のキャンパスを歩いた。

 大リーグ・レッドソックスの本拠地フェンウェイパークではタンパベイ・レイズ戦を観戦した。

 バックネット裏の良い席に恵まれ、スタジアム特有の高さ約11メートルもの左翼フェンス「グリーンモンスター」を超えていく本塁打を目の当たりにした。

 レース2日前には、勝田マラソンからの派遣グループらと共に、車でマラソンコースを下見。前日は世界有数の理工系大学、マサチューセッツ工科大学陸上競技場で最終調整の1000メートル走。

「良い感触がつかめたんです。コンディションが上がっている実感がありました。よし、〝やってやる″って思いました」

 パスポート取得から始めた初の海外遠征。レースには2013年に遭った連続爆破テロへの不安を感じたものの、挑戦する気持ちが不安を追い抜いた。

 花田コーチが評価した「苦境にあっても戦う姿勢を見せた」岩佐選手。ボストンで世界のトップレベルに接し、高みへ近づこうと気持ちを新たにする。自己管理の大切さを再認識し、箱根駅伝出場へ奮い立つ。

「自分の世界が広がったようです。これからも頑張ります」

平塚近くに出身高校

箱根駅伝予選会場、熱い応援の中大ファン

 ボストンで見聞を広めながら思ったというのは、派遣してもらった感謝と中大駅伝チームに寄せられる熱い支援である。

 「箱根駅伝予選会でも、中大の周りには全国各地から応援に来ていただいた人の輪ができていました。すごいです」

 前回はサポートに回ったが、今秋(10月14日=立川市)には出場して予選会を突破し、箱根路を走りたい。子どもの頃から箱根駅伝に憧れ、高校2年から中大を強く意識した。神奈川県立大磯高の出身である。

 「平塚中継所のすぐそばに高校があります。そこを走れたら幸せです」

レース前にはおにぎり

 初の海外試合では食事もままならなかったようだ。滞在中は行動も食事もほぼ自由。レース前日は本番に備えてエネルギー源の炭水化物を取ろうとパスタの店を探したものの、見つからず「大きなピザ2枚」に変更。

 レース日の朝食はツアー関係者が用意してくれた。おにぎり3つ(シャケ、コンブ、おかか)とバナナなど。「久しぶりに日本の食事を食べられて満足しました」。ここでも日頃の大学寮生活に感謝した。

中大OBとの深交も

 中大からの参加は、岩佐選手ひとりだったが、当初の不安は消えて多くの知己を得た。中大OBで、実業団チーム「ラフィネ」陸上部の木村ヤスト監督らと深交を結び、同監督には自らのレース中の奮闘を動画に収めてもらった。藤原監督や花田コーチと旧知の間柄。中大の絆をボストンで感じたという。

へぇ~もっと知りたい ボストンマラソン

 レースは1897(明治37)年に始まり、五輪以外では世界最古のマラソンと言われている。日本人選手の優勝は過去7人で、瀬古利彦選手が2度、栄誉に浴した。

 なお、同マラソンは国際陸連が求める条件を満たしていない片道コースのため、公認記録とはならない。

へぇ~もっと知りたい 今回の成績上位者

 男子はジョフリー・キルイ選手(ケニア)が2時間9分37秒で優勝した。2時間10分28秒で3位の大迫選手は、1987年大会覇者の瀬古利彦氏以来30年ぶりの表彰台。女子は世界選手権2連覇(2011年、2013年)のエドナ・キプラガト選手(ケニア)が2時間21分52秒で制した。車いすの男子で山本浩之選手(Team Heart Space)が3位に入った。