目指すは横綱稀勢の里関―中央大学相撲部主将の矢後太規(やご・たかのり)さん=法学部4年=が、天皇杯第65回全日本相撲選手権大会(昨年12月4日・両国国技館)に優勝して、初のアマチュア横綱の座に就いた。尾車部屋入りの記者会見(2月)では「稀勢の里関のような、どっしりとした相撲を取りたい」と力強く話した。
「大きな体の矢後君に早くから注目していました。大関、横綱になれるよう全精力を注いで育てていきたい。相撲に対する純粋で熱い今の気持ちを何年経っても忘れないでいてほしい。これが一番大切ですから」
「真面目にコツコツやるタイプです。素直でもあります。きつい練習のときでも、素直に話を聞きます。下半身強化の練習を自ら考えて、器具を持ちこんでやっていた。責任感が強く、部員みんなを引っ張っていった。これからは今まで以上に下半身強化を心がけ、頑張ってもらいたい」
準決勝で相手を見据える矢後さん(写真提供=中央大学相撲部)
アマ横綱をかけた決勝戦。国技館はそれまでの喧騒(けんそう)がウソのよう。静寂のなか、主審の掛け声が響いた。
「発気揚々(ハッケヨイ)」
西方の矢後さんは踏み込みよく、対戦相手・深井拓斗選手(東洋大1年)の右まわしをつかんだ。右上手を取れば、矢後さんの相撲だ。ぐいぐい前へ出て、大きな体を相手にぶつけ、正面土俵外へ寄り倒した。立ち合いから5秒後の栄冠獲得だ。
勢いがついていたから、自らも土俵を割る格好となった。その際、土俵下に倒れている相手にぶつからないよう、ジャンプして相手の向こうへ跳んだ。186センチ・170キロ。幕内平均(184センチ、162キロ)を上回るサイズは身軽でもある。
徳俵の内側に戻り、立礼を待つ前だった。こみあげるものがあったのだろう、目頭を押さえた。土俵周りでは応援者の派手なガッツポーズが相次いだが、新生・アマ横綱は静かで謙虚だった。
中大では栗本剛氏(元十両・武哲山関)以来26年ぶりの快挙となった。全日本相撲選手権覇者には、大相撲の幕下15枚目格付け出しの資格が与えられる。大物新人の誕生である。
最近のアマ横綱には、プロ入りした遠藤関(2012年、日大)、大翔丸関(2013年、日大)、御獄海関(2014年、東洋大)ら強者がいる。彼らに続くのが矢後さんだ。
土俵近くで優勝インタビューが始まった。「信じられないです。まだ実感がわきません」「自分の相撲を取ることを第一に考えていました」「自分の形にすぐなれたことが良かったです」「きつい練習をしてきて、最後にこういう結果が出て本当に良かったです」
実力がありながら、ビッグタイトルに縁がなく「無冠の大器」とも言われた。全国規模の大会の個人戦で、昨年は準優勝(5月・全国選抜大学・実業団対抗和歌山大会)、3位(7月・全日本大学選抜金沢大会)。あと一歩のところで悔しい思いをしてきた。
3年連続3度目の出場となる学生生活最後で、ついにビッグタイトルをつかんだ。
中大相撲部の練習は週6日、授業が終わった午後5時から始まる。基本動作の四股(し こ)一つとっても毎回200回を数える。股わり、腰わり、すり足、ぶつかり稽古、取組へと続く全体練習は約3時間。全体練習の前後には個人で練習する。筋力トレーニングなどで鍛えに鍛える。
学生寮では午前7時に起床して、深夜11時過ぎに就寝するまで、授業と練習の日々。鍛錬の積み重ねが、たくましい肉体と粘り強い精神力をつくる。主将ゆえに部員や後輩への目配り、気配りもしてきた。強くて優しい22歳である。
ぐいぐい前へ出る矢後さん
相撲を始めたのは小学校5年生。
出身の北海道芽室町は第62代横綱・大乃国関=現・芝田山親方=(54)のふるさとで、大相撲力士を多く輩出するなど相撲が盛んなところ。
柔道をしていた矢後少年は、「芝田山親方杯少年相撲大会」に初出場で初優勝。
「相撲って楽しいな」と喜びを感じ、勧誘もあって、町の十勝相撲道場へ通い出した。その後、本格的に取り組もうと意識しだすとメキメキ上達した。
北海道中学校大会で3連覇、道小中学生選手権・中学男子の部では連覇。圧倒的な強さだった。
誕生時は体重3120グラムの標準サイズだった。それが、「ミルクが好きでいっぱい飲みました。1日2~3リットルは飲んでいたと思います」。体は徐々に大きくなった。父母、兄妹の家族の体型はごく一般的。家族でも異彩を放った。
高校は「強いところでやりたくて」と全国屈指の強豪・埼玉栄へ。大関・豪栄道関(30)らの出身校だ。
親元を離れ、先輩らとの寮生活が始まった。ただでさえ勉強と練習で1日がアッという間に終わる15歳に、寮生として共同生活の役割が加わる。
食事づくりの手伝い、後片付け、洗濯、掃除などを毎日の暮らしで身に付けた。苦しいときもあったようだが、寮生と苦楽を共にして、人間的に大きく成長したという。
豪栄道関は母校訪問の折り、後輩たちの練習を見てくれる。「カッコいいです」と憧れる先輩に稽古を付けてもらうと、またまた感激した。
この頃から大相撲へ進む気持ちが徐々に高まり、昨年12月、アマ横綱を手にするまでになった。
国技館の土俵上で天皇杯を手にする矢後さん
表彰式終了後、北海道から駆け付けた両親と顔を合わせた。母は泣いて喜び、父は感慨に浸っていた。
子どもの頃、週2~3回通った十勝相撲道場。車で片道約30分かかる。多忙な父が時間をやりくりし、送り迎えをしてくれた。道場到着後、父は息子の練習をそっと見守る。母はたくさんの食事を作り、疲れて帰ってくる次男を待った。
銀色に輝く優勝トロフィー「天皇杯」を見つめながら、さまざまな感懐を噛(か)みしめた。
「優勝できたのは応援してくれる人たちのおかげです」
中大相撲部、中大関係者、埼玉栄高関係者、十勝相撲道場、地元関係者、そして両親・兄と妹のきょうだい…。
祝福メールが殺到していた。いつものメールの3倍も入った。胸に期するのは恩返しだ。
「下半身を鍛えて番付を駆け上がりたい。稀勢の里関のようなどっしりとした相撲を取りたい」
2月7日の記者会見で明言した。目指すは、横綱稀勢の里関。中大出身力士、矢後さんにご注目。
成績(敬称略)
- 準々決勝
- ○矢後太規(おくりたおし) ●古川貴持(日大3年)
- 準決勝
- ○矢後(おしだし) ●荒木関賢悟(東洋大職員)
- 決 勝
- ○矢後(よりたおし) ●深井拓斗(東洋大1年)
土俵上でガッツポーズはしない
土俵上、矢後さんの表情が変わらない。ほかの選手にガッツポーズが散見されるなか、試合に勝っても、優勝してアマ横綱になっても、口元を緩めない。「うれしくてガッツポーズをしたいときもありますが、してはいけません。冷静でいようと」。心のコントロールも盤石だ。