Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>HAKUMON Chuo【2016年冬号】>グローバル人材育成 韓国文化から学んだこと~中大文学部シンポジウム「アートとドラマから見る韓国」~

Hakumonちゅうおう一覧

グローバル人材育成

韓国文化から学んだこと

~中大文学部シンポジウム「アートとドラマから見る韓国」~

文&写真 湯原 夕希さん(文学部4年)

 中央大学文学部主催シンポジウム「アートとドラマから見る韓国」(11月12日開催)の舞台裏で奮闘した学生がいる。文学部4年の湯原夕希さんだ。好きな韓国料理がきっかけで、韓国を知るようになった。シンポジウムの成功を機に寄稿をお願いした。

尹東柱詩碑は静かな場所にあった(延世大学)

「いつか絶対、韓国に行こう!」。友人とそう決めたのは、お互いが中大に入学したての2013年春だった。

 数ある国の中から韓国を選んだきっかけはいたって単純。お互いに韓国料理が好きだということ。それからおよそ3年半。互いに韓国をどこか意識した学生生活を、気づけば送っていたように思う。2016年11月、ついにその機会をつかんだ。

 入学後3年半の間で、私と韓国の接点は日本語教育という切り口から、より深くなった。夢である日本語教師に近づくために始めた日本語教育のボランティア活動を通じて、韓国の方と実際に接する機会を得たことから始まる。

 日本語を教える実践を通じながら、教授法の理論なども同時に学び始め、日本語学習者の中で、国内外問わず韓国の方が非常に多いことを知った。

 そこで、「いつか韓国に行くなら、韓国の日本語学校をぜひ一度、この目で見てみたい!」と、やりたいことリストに項目が一つ加わった。

 旅行の段取りを決めながら、日本語学校を調べ、現地の先生にメールを送り、コンタクトを取れないかと奔走した。

 ゼミの授業の際、教授から、中央大学文学部主催で韓国アートやドラマをテーマとしたシンポジウムが開かれるというお話を聞いたのは、ちょうどその頃だった。

「せっかく韓国に行くのだから、とことん学んで、それを使って何かしたい!」と思い、ジンポジウムの前に、学内でセミナーを開くことにした。

 ここで問題が起こった。私は韓国芸術を何一つ知らない。母の影響で韓国ドラマを数本見たことがある程度だ。「韓国といえば焼肉・韓服・アイドル」。こんなイメージしかなかった。

 しかし、ならばいっそ完全にまっさらな視点で韓国芸術に向き合ってみようと考えた。その中で、尹東柱(ユンドンジュ)という詩人に出会い、一緒に韓国に行った友人が詩の勉強をしていたこともあって、尹東柱文学館(ソウル市鐘路区)と尹東柱記念室(延世大学)に赴くことになった。

韓国の英雄的詩人

シンポジウムを前に韓国を訪れた2人の中大生、左から友人の古浦桃衣さん、筆者・湯原夕希さん

 長い坂をずっと上がったところにある、静かでシンプルな佇まいの施設。並べられたショーケースには自筆の原稿が置かれていた。

 案内書きはすべてハングルだ。「よ、読めない…!」。それでもじっと原稿に目を落としていると、ところどころで漢字が使用されていたり、用紙の端にアルファベットがプリントされていたりするのを見つけた。

 私もよく知る日本の有名な大学の名前だった。読めない文字だらけのところで、読める文字・理解できる言葉に出会えて、うれしくなった。

 けれども次の瞬間には、事前に学んだこの人物の生涯が思い出されて、何とも言い難い気持ちになった。尹東柱は、韓国の英雄的詩人であり、日本の大学への留学経験もある。そして、若くして亡くなったのだ。日本の獄中だった。

 日本に留学していたというと、その人物を「親日的な人なんだ」と今の時代を生きる私は考えてしまう。でも、決してそうではない時代があった、ということを突き付けられたような気分だった。

 日本に居ながら、ハングルで詩を書き続けた尹東柱にとって、日本はどんな国で、日本人はどんな人だったのだろう。

 彼の作品と韓国の地で改めて向き合った。「自国の文化を、言語を奪った日本を恨んでいたんですか?」。問いかけは浮かんでも、亡き人物との対話は叶わない。

 だが、これから出会う生徒さんや外国の方とはそうではない。

 今回、自分が外国人の立場になって、改めて実感したが、言葉が通じない場で自分の気持ちを主張していくことは本当に難しい。

 その中で、少しでも語ってくれようとしていることには、文字通り14の心を持って「聴く」姿勢を忘れずにいたい。14の心とは、「聴」という文字は『耳に十四の心』と書く。深いなあと常々思っていたことだ。

 こう考えたとき、新たな問いが生まれた。尹東柱が生きた時代の、日本人に対しての問いである。「あなた達には、彼の言葉を聴こうと思う気持ちがありましたか?」。とてもシンプルだが、私が日本人であるがゆえに日本にいるだけでは抱きえなかった問いだ。

 時代がそのようなことを考える風潮でなかったのだろうとは思う。しかし、疑問を抱く人だっていたはずだと、現代の視点を持つ私は信じたい。

日本人として、地球人として

国立中央博物館

 今回の韓国訪問や、セミナーの開催、シンポジウムへの参加を通して「韓国文化」に深くかかわっていく中で、お隣の国、韓国について知らないことばかりだということに気づかされた。

 日本が目を瞑ってしまいがちな戦前の韓国と日本の関係についても思いを巡らせたり、「韓国がこうなら、日本はどうだろう?」と、韓国を契機に日本文化について考えたりする部分も非常に多かった。

 私は、お隣の国についても、日本についても、まだあまりにも知らなすぎる。そう感じた。日本語教師という夢へと続く道は、まだまだ果てしなさそうだ。

 しかし、日本語学校に訪問させていただいた際、現地の先生がおっしゃっていた言葉が、とても印象深く心に残っている。

「日本語教師はもしかしたら、生徒にとって初めて直接会う日本人、直接話す日本人になるかもしれない。自分を通して日本のイメージが作られる。そう思ったら、責任も重いですけど、すごいやりがいですよね!」

 はっきりとした笑顔で言い切る先生は、本当に格好良かった。

「いつか私も」―そう奮い立つ心があるのを感じた。時に日本人として、時に地球人として、人との「対話」を大切にして夢への道を進み、「いつか」をまた実現させていきたい。