「えっ !?」。周囲から驚きの声が上がる。子孫はどこかにいるのだろうと思っていたが、まさか目の前にいる温厚な青年がその人だとは...。
ファンを自任する女性が手を挙げた。「私、命日を知っています」。龍哉さんが、彼女の返答後に言った。
「そうです、11月15日ですね」
法学部2年生。法曹界入りを目指して、学術研究団体連合会「白鴻会」に所属。授業のほか学内研究棟「炎の塔」で学ぶ日々。
子孫であることが分かったのは小学校高学年。「生い立ちを調べて作文にしましょう」という授業課題と向き合ったときである。母に詳細を聞いて、「やっぱりと思った」
「観光特使」「龍馬ファンの集い」などで東奔西走する祖父・登氏や父・匡弘氏の会話に龍馬がたびたび登場していた。ことしは龍馬が仲介した薩長同盟から150年となる。祖父は米国ニューヨークで講演したこともある。
「うすうす知っていました」と龍哉さん。母は、ご先祖にあやかって名付けました、とも話した。弟は悠馬さんという。
それからというもの龍馬に高い関心を寄せるようになった。漫画「おーい! 竜馬」(原作・武田鉄矢、作画・小山ゆう)に始まって、長編小説「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著)、NHK大河ドラマ「龍馬伝」(主演・福山雅治さん)は日曜日の夜に家族で見た。各媒体で龍馬が活躍するシーンでは、ご先祖につながる血が騒いだ。
明日の日本を築くため薩長同盟や大政奉還に動き、平和的な倒幕を目指した。高知県立坂本龍馬記念館によると、龍馬は立場の違う人の言うこともしっかりと聞いていた。良いところを吸収する柔軟な考えを持っていた。実現不可能だと思われたことでも成功へ導く行動力を持っていた。優れた人脈を持っていた。
龍馬に関する歴史書、刊行物は相当数ある。龍哉さんは自宅所蔵の書籍を読み、ときには公立図書館へ。
貸し出しのカウンターでは、自分の名前と龍馬本のタイトルを見比べられて、再度顔を見られることがあった。通学先の図書館は、自分が何を読んでいるか分かってしまうので、龍馬本は避けていた。
郷土坂本家の祖先は、龍馬の意志を継ぎ一族を引き連れ土佐から蝦夷に移住し、蝦夷開拓に従事した。
曾祖父が描いた六花亭包装紙
曾祖父である直行氏は北海道の山岳画家であり、道内の有名菓子店「六花亭」の包装紙をデザインしたことでも知られている。白地に地元の花(えぞしゃくなげ、きたこぶしなど)や野草をあしらった。文庫本や書籍のカバーにするファンもいるそうだ。
龍哉さん、実は龍馬のふるさと高知県へは行ったことがない。「一度は行かなくちゃいけません」と硬い表情で話した。空路なら高知龍馬空港(愛称)が迎えてくれる。太平洋を望む桂浜の龍馬像は雄大だ。
龍馬の子孫として生きる有りようがある。いずれは父とともに「郷士坂本家11代」の活動もするだろう。「龍馬の子孫という冠に負けないような自分をつくっていく、つくっていかなきゃダメなのかなと思っています」
龍哉さんの胸に龍馬の志が宿っている。
- 人に優しい法曹人に
- 法曹界入りを志望するきっかけは、小学校の授業「法律とは何か」だった。龍哉さんはそこで「法律は人を守るためにある」こと知った。「法律は“それはダメです、これもダメです”と規制するものだと思っていました」。人に優しい法曹人を志す。
- 知らされた人、誰もが驚く
- 東都大学野球春季リーグ・中大―国学院大戦、中大応援のため父とともに神宮球場へ。 5月の大型連休中とあってスタンドは満員だった。試合の合間に龍哉さんが中大側スタンドで紹介されると、応援席が驚いた。「みなさん、びっくりされていました」。落ち着いていたのは龍哉さん、1人だった !?