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トップ>HAKUMON Chuo【2016年早春号】>箱根駅伝終え リーダー交代の季節 復活、一丸、涙 闘い抜いた2人

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箱根駅伝終え リーダー交代の季節

復活、一丸、涙 闘い抜いた2人

小谷 政宏副将

藤井 寛之主将

藤井 寛之主将/小谷 政宏副将

箱根駅伝(1月2、3日)が終わると、中央大学陸上競技部駅伝チームは新体制に移行する。新旧分岐点「1月3日」前後の動きを追った。

 チームの顔となる主将は、4年生の互選で決める。

 新年1月。藤井寛之選手(経4)はすぐに決まった。過去3年間の生活態度と競技生活が同級生にも一目置かれている。背中で引っ張るタイプが箱根を走る中大のリーダーとなった。

静と動のコンビ

箱根駅伝7区の快走で、キャプテンの存在を見せた藤井選手

 副将がなかなか決まらない。沈黙を破って小谷政宏選手(経4)が手を挙げた。主将の目には「半ば立候補のよう」に映った。

 副将には腹案があった。「藤井は静かだから、副将はしゃべるタイプがいいと思って」。家庭に例を引くと、寡黙な藤井お父さん、面倒見がいい小谷お母さんか。

 寮生活する朝の玄関で、下級生からあいさつされた小谷副将は1、2年生の表情を見て、笑顔でひと言ふた言話しかける。陸上のこと、学校生活、雑談で終わることもある。

 練習後にも「ひと声かけて、引き揚げるようにしています。まとまりがよくなるかなと思いまして」

 チームを元気づけたい。体の故障や心の不安を小さな芽の段階で発見し、大事に至らないよう心掛けた。「いまどういう状況なのか。自分も苦労したときがありましたから。箱根に向けてチームが一つになりたかった」

 毎日積み重ねのコミュニケーションは1、2年生が上級生に話しやすい雰囲気をもつくる。食卓で、その日の出来事をあれこれと話す、温かい家庭を思わせる。

 春のトラックシーズン、夏合宿が過ぎ、10月はビッグイベントの箱根駅伝予選会(立川)が待っている。

 藤井主将は脚のケガで出場を見送った。2年次から3年連続の欠場で歯がみしている。背中で引っ張るタイプが、存在感を示せない。

 予選会を8位通過した後。主将は同僚から励まされた。「箱根で一緒に走ろう」

 復調の兆しがみえる藤井選手は、12月10日のチームエントリーメンバー16人に入ったものの、同月29日の区間エントリーからは漏れた。3年次で3区を走り、今回も3区の予定が、補欠へ回った。「走りたい。でも厳しいかな」

「ラスト出し切れ!」

小谷選手は3年連続で山上りの5区を走った

 2016年1月2日朝、往路がスタートした。5区の小谷選手は小田原中継所で準備に入った。3年連続で山を上る。入学時から「走りたい区間の一つ」だった。

 2年次は順調に練習を積み、希望して出場チャンスをつかんだ。以来3年間、試走を重ね、体を山に合わせて「集中してやってきました」。

 自身初出場の2年次は「完走」を目標とした。「走れることをアピールしたかった」。区間13位で往路ゴールへ飛び込んだ。前年チームは5区で棄権。失くしたピースが戻ったかのようだった。

 2度目の山上り、3年次は前年よりタイムを2分近く更新して区間7位。最終学年、最後の公式戦出場、ラストの山上りに期するものがあった。

 食事はウオーミングアップ1時間前。自ら決めた“レース前定食”。栄養ゼリー、おにぎり2つ、カステラ2切れ。おにぎりの具では初体験となる品は避ける。コンディションを最高にするのは試合前の大切なことだ。

 4区の鈴木修平選手(法3)がやってきた。「ありがとう」。たすきをつないでくれた礼を言い、労をねぎらい、標高差864メートルの天下の険へ。途中、山中で突風に見舞われた。162センチ、48キロの体が吹き飛ばされそうだった。

 下り道に変わった残り300~400メートル地点。後方の運営管理車からマイク越しに声が掛かった。「小谷、最後の箱根駅伝だから、ラスト出し切れ!」。レースを見守ってきた浦田春生監督だ。

「この日もずっと付いてきてくれて、4年間まるまる見てもらった。ほんと感謝してもしきれないです」

 感動して、ゴールで待つ仲間の胸に倒れ込んだ。14位ではあるが、満足したフィナーレだった。

走れる喜びあふれ

 明けて3日朝。藤井主将はこの日朝の出場選手交代により、7区を任された。

 前夜にファミリーレストランでオムライスを食べ、レース日には、おにぎり2つ、カステラ3切れ。飲み物は水かスポーツ飲料。彼の“定食” である。「これで20キロはもちます。食べすぎはいけません」

 復路スタートの6区。山を駆け下りてきた谷本拓巳選手(経3)を見て、「疲れているなあ」と忖度(そんたく)していた。思いのまま「お疲れ」と言い、肩をやさしくたたいた。谷本選手が自らの肩をたたき返したシーンが号砲だった。

 3人を抜いた。「前半ゆっくり、後半上げて行くぞ」。浦田監督の車越しの指示は自らのレースプランと合致した。

 ケガに泣いた日々。いまでは走れる喜びが体を突き抜ける。ややオーバーペースになったのか。またしても浦田監督の声がした。「ふくらはぎばかりじゃなく、お尻やハムストリングス(太もも後面の筋肉)を使おう」

 快調に走り、8区の平塚中継所が視界に入ってきた。1年生の苗村隆広選手(文1)が硬い表情で待っている。たすきを渡すだいぶ手前で叫んだ。

「緊張するな!」。ルーキーランナーは、うなずいただけで走って行った。藤井主将がこの7区で順位を3つ上げて、チームは12位。シード権(10位)が見えてきた。区間順位6位の好成績だ。背中で引っ張るタイプが本領を発揮した。

 中大は15位に終わった。4年連続でシード権を失った。

 復路ゴール近くで開かれた報告会で、藤井主将は落涙した。沿道を埋め尽くした中大ファン。レースが終わったいまでも目の前に熱心な応援・支援者が集まっている。「多くの方に応援していただいたのに、シード権を取れずに申し訳なくて…」。入学後、初めての涙だった。

“思い”詰まった一本

2016年 箱根駅伝総合成績
順位 大学 時間・分・秒
1 青山学院大 10・53・25
2 東洋大 11・0・36
3 駒大 11・4・0
4 早大 11・7・54
5 東海大 11・9・44
6 順大 11・11・24
7 日体大 11・11・32
8 山梨学院大 11・11・51
9 中央学院大 11・13・31
10 帝京大 11・15・21
<10位以上が来年シード権獲得>
11 日大 11・16・50
12 城西大 11・20・6
13 神奈川大 11・20・7
14 明大 11・20・39
15 中大 11・21・48
16 拓大 11・23・54
17 東京国際大 11・24・0
18 大東大 11・28・45
19 法大 11・31・12
20 上武大 11・36・46

 選手らは3日夜、寮に帰ってきた。食堂に全部員らが集まり、みんなで食事をした後に4年生は一人ひとり、感謝の言葉と後輩へ託す思いを口にした。

 3年生主体の新チームが始動する。彼らは翌4日朝から練習だ。4年生は一つの部屋に集まった。これまでの役目“部屋長” にもピリオドを打った。

 箱根駅伝は国民的関心事となり、テレビ視聴率は毎年30%に迫る。いつも結果を求められてきた。称賛があれば、厳しい声も浴びた。歯を食いしばり、自らにむちを打ち、反発心を示そうとした。さまざまな思いが去来した。

「1年生から4年生まで幅広く声をかけてきました。結果はあまりよくなかったけれど、チームがまとまったという充実感があります」と小谷副将。藤井主将は「自分がしっかりしていなければ周りはついてこない。責任感が養えたと思っています」

 中大駅伝チームには、キャプテンだけに贈られるものがある。部員全員、監督・コーチ陣の名前が直筆で書かれた伝統の赤い「たすき」である。

 藤井主将、小谷副将、4年生はこの世に一本だけのたすきをじっと見る。仲間とともに体感した喜怒哀楽がぎっしり詰まっている。

2人のこれから

 藤井選手は実業団へ進み、陸上競技を続ける。小谷選手は自動車メーカーに入社。将来は海外を拠点に仕事する国際ビジネスマンか。「陸上と同じく粘り強くいきます」

主食2品食べる?!

 レース前の食事は十人十色のようだ。「パスタにオムライスと主食を2品食べる選手もいます」(チーム関係者)。小食派、ガッツリ派。選手は自らの適量を経験則で知り、ベストフードを選んでいく。

~取材を終えて~
下を見るな!前を向け!

学生記者 山田俊輔(法学部3年)

快調な走りで1区4位につけた町澤選手

「私らが学生のときはなぁ、何もなかったんだよ。それでも勝ってきた!」

 後方から聞こえた怒声に驚いて振り返った。1月3日午後2時半すぎ、箱根駅伝復路、東京・大手町のゴールに近いビジネス街の常磐橋公園。会社経営者の先駆者、渋沢栄一像が有名だ。公園内では中大陸上競技部報告会が行われていた。

 2日間のレースを終えた中大選手たちに放たれた激しい叱咤。年輪を感じさせた声の主は、中大卒業生か熱烈なファンか。勝ってきたとは1964年までの6連覇を意味するのだろうか。現役選手たちは支援者に正対し、横一列に並んだ。一様にうつむいていた。

 中大は予選会を経て最多出場数となる通算90回目の出場を果たし、15位に終わった。シード権からはこれで4年離れる。2連覇を完全優勝で飾った青山学院大学には30分近くの大差をつけられた。

 箱根駅伝はテレビ観戦した。速報を知る携帯電話を手に緊張しながら見ていた。1区を2年続けて任された町澤大雅選手(法3)が、先頭集団でしっかり存在感を表した。

「一走入魂」と記した白い鉢巻き姿も、もうおなじみだ。一時はトップ集団を引き離した。テレビは彼ひとりを画面いっぱいに映した。

 区間4位で伝統のたすきを渡した。昨年より区間順位(10位)で上回り、区間タイムも41秒縮めた。成長をまざまざと感じさせた。

 果敢に攻めた姿勢に、私は男ながら見とれてしまった。

 復路はゴール付近で観戦した。目の当たりにした中大選手はシード権獲得を目標に死力を尽くしていた。私は震えた。中大生であることに誇りをもった。

 アルバイト先に町澤選手も勤務している。普段の彼は丁寧なあいさつ、少しもじもじした謙虚な話し方が印象的だ。チームの先導役には見えない。

 昨年10月の予選会(立川)前日。勤務シフトに入っていたが、勤務代行者をたてて周囲に迷惑がかからないようにした。もちろん自らのコンディション調整もあったのだろう。

 予選突破、本戦出場を決めた直後、アルバイトメンバーからなる「LINE」(ライン、無料通信アプリ)は町澤フィーバーとなった。

「ありがとうございます!」。お礼とともに彼が発信する個性的なスタンプに喜びと安堵が如実に表れていた。

 箱根駅伝が近づいてくると、アルバイト先のデスクの上に、誰が置いたのか鉢巻きランナーが表紙の駅伝雑誌や中大スポーツ新聞などが並べられていた。「僕の顔、いつも苦しそうじゃないですか」。表紙や紙面を見て、照れくさそうに言っていた。

 1月3日の公園に戻ろう。「下を見るな!前を向け! 顔を上げないといけないだろうが!」。顔を上げられない選手に向けて飛んだ激しい言葉。オールドファンの胸には〈来年こそはこの悔しさをバネに笑顔でたすきをつないでほしい〉。そんな思いがあったのだろうか。

 レースが終わった数日後、町澤君に会った。本心からの労いの言葉と感動を伝えた。またしても照れくさそうに礼を言う彼は、アルバイト先や教室で見る、ごく普通の学生だった。

「ギャップがすごいって、よく言われるんだよね」「4年生が卒業する来年は、もっと厳しくなる、大変だな」

 ふと言った鉢巻きファイター。その顔は一変していて、中大のエース・町澤選手そのものだった。