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トップ>HAKUMON Chuo【2016年秋号】>東京五輪に向けてもっと強くなる~イタリアプロチーム「ラティーナ」 バレー短期留学~

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グローバル人材教育

東京五輪に向けてもっと強くなる

~イタリアプロチーム「ラティーナ」 バレー短期留学~

石川 祐希選手(法学部3年)

記者発表後、マスコミ撮影に笑顔で応じる(左から)酒井総長・学長、石川選手、松永監督
(撮影=学生記者・髙瀬 杏菜)

 バレーボール全日本チームの中核を担う中央大学の石川祐希選手(法3)=191センチ、84キロ=が、世界最高峰と称されるイタリアのプロチームで再びプレーする。前回同様、大学に籍を置いたままの短期留学だ。

 記者会見が7月8日、中大多摩キャンパスで行われた。期間は3連覇を目指す全日本大学選手権が終了した12月上旬からの約3カ月間で前回と同じ。

 所属するチーム「ラティーナ」(セリエA・1部リーグ)は1972年に創立された。ローマから車で約1時間半の距離にある。昨シーズンは全12チーム中の8位。新たに就任し、戦力強化を図るビンチェンツォ・ナッチ監督からチーム入りを強く勧められていた。

 同氏はリオデジャネイロ五輪出場を懸けた世界最終予選(5~6月、東京)に出場したベネズエラ監督で、大会期間中も石川選手のプレーをよく見ていたという。

 海外進出は1年生だった2014年冬、セリエAの強豪チーム「モデナ」入りしたのに続く自身2度目。モデナは1966年創立の古豪。世界のスター選手が名を連ね、リーグ優勝11回(当時、現12回)を誇る。

 2年前の石川選手は出場機会に恵まれなかったが、カップ戦「コッパ・イタリア」では通算11回目の優勝に貢献するなど大物の片鱗(へんりん)を示した。

 今回も世界の強豪選手に伍(ご)して闘い、レギュラー定着を目標とする。より高いレベルの精神力・技術力向上を目指し、自身初の五輪出場となる2020年東京大会出場を確実のものとする狙いがある。

レギュラー取るぞ

 中大は創立130年を機に昨年12月、中長期事業計画『Chuo Vision 2025』を発表した。基本方針にある「グローバル化の推進」「スポーツ振興」などの観点からも学生を支援している。

 記者会見で酒井正三郎総長・学長は「大学の方針に合致しました。全学を挙げて応援します」と話した。

 次に石川選手が「中央大学、バレーボール部の協力に感謝しています」と一礼し、力強く抱負を述べた。

「前回は力試しでしたが、今回は先発メンバーとなり、世界と戦う気持ちです。次の東京五輪に向けて、やるべきことがたくさんあります。海外経験はその一つです」

 同席した松永理生・中大監督(元全日本代表選手)は「試合出場が大前提」と見ている。「彼の良さは空気や水のようにいろいろな形になれること。チーム方針で攻撃重視ならばサーブやスパイク力が上がっていく。守備重視なら課題とされるサーブレシーブ力が強化されます。本人の挑戦する高い志に協力します」

ラティーナのナッチ監督の話

ラティーナのナッチ監督(写真提供=共同通信社)

「私たちは祐希と契約にたどり着いたことを大変うれしく誇りに思います。私たちは彼の能力としての素晴らしさを知っています。3月にユース・ナショナル・チームのメンバーとしてイタリアに来たとき、ラティーナと親善試合をしました。祐希が高い素質を持っていることが理解できました。そしてイタリアバレー界において成長させることができるでしょう。ラティーナは彼が勉強とバレーボールに集中できるようチームで後押しします。ラティーナはことし45周年を迎えます」

 石川選手との一問一答は次の通り。会見には新聞・通信社など26社、記者ら48人が集まった。

――2度目のイタリアでどんなプレーをしようと思っていますか

「前回は19歳の大学1年生の武者修行。経験することを目的としていました。プロ選手はすごいプレーをする一方、ミスもします。海外で試合、プロと戦うといっても気後れしなくなりました。平常心でコートに立てます」

「今回は世界最終予選で負けてリオ五輪出場を逃し、さらに強くならないといけない。ラティーナではディフェンス、オフェンスどちらもしっかりやっていく。プロ選手と勝負をして結果を求めにいきます。上位チームを倒してアピールしていきたい。(チームメイトの商3)大竹選手らも海外へ行けるといいと思います」

「3年生となり、就職を考えます。将来の自分をどうしていくか。一番大事なところにいると感じています」

ポイントを取り、声をあげる石川選手
(撮影=「中大スポーツ」新聞部)

――将来はプロ志望ですか

「はっきり決めてはいませんが、バレーボール1本でやっていきたい。プロなのか、(国内トップリーグの)企業チームなのか。いろいろ相談して決めていきたい」

――ラティーナの環境は

「学生選抜の一員として行ったことがあり、チームにはよく知っている人がいます。行きやすいチームです

――2020年東京五輪の目標は

「メダル獲得、一番上のメダルです。それに向かってやるべきことがたくさんあります。今のままでは勝てないのでアクションを起こす、先頭に立ってやっていければいい」

へぇ~ もっと知りたい
石川選手の戦歴
高校時代(愛知・星城高) 2年連続3冠(春高バレー、高校総体、国体)
中大入学後 関東大学1部リーグ優勝、
全日本大学選手権優勝2回、
春季、秋季リーグ各優勝ほか。
全日本 2012年 アジアユース3位(18歳以下、イラン)
2013年 世界ユース17位(19歳以下、メキシコ)
      世界ジュニア10位(21歳以下、トルコ)
2014年 アジア大会2位(韓国)
      アジアジュニア5位(20歳以下、バーレーン)
2015年 ワールドカップ6位(東京ほか)
2016年 リオ五輪世界最終予選7位(東京ほか)
酒井総長・学長からエール

 記者会見の7月8日は、中大の創立記念日で石川選手の新たなスタートと重なった。酒井総長・学長は「再出発の日と位置づけながら、イタリアで飛躍して帰ってきてほしい」とエールを送った。

集結、マスコミ26社・48人

 注目の石川選手の記者会見とあって、マスコミ各社から26社・48人が集結した。発表後の質疑応答では記者7人、フリーライター1人が質問した。このほか学内メディアの中大スポーツ、本誌学生記者からも手が挙がった。

 石川選手は記者会見、質疑応答、個別取材、写真撮影と相次いでスケジュールをこなし、約1時間半、大忙しだった。

中大五輪選手パネル展示

 会見場の受付にバレーボール五輪で活躍した中大選手のパネルが並べられた。1964年東京大会で「銅」、68年メキシコ大会「銀」、72年ミュンヘン大会「金」へと続くメダルロード。

 東京の森山輝久選手、メキシコの白神守、小泉勲、木村憲治、横田忠義、嶋岡健治、三森泰明各選手。ミュンヘンの木村、横田、嶋岡各選手ら往時のプレーが、よみがえったかのようだった。

 会場入口手前には2016年リオ五輪出場5選手の紹介パネルも。石川選手もいずれは、こうしたパネルに名を連ねるのだろう。


取材を終えて 学生記者5人

石川選手の決意に共感

学生記者 文&写真 本間 友理香(法学部1年)

記者会見後の個別取材で、記者の質問に一人で答える石川選手

 記者会見開始30分前。会場には間近で初めて見た大型カメラが何台も立ち並んでいる。早々に到着した私は、多少の場違いさを感じながらも、空いている席を探した。

 勇気を出して、前の方に陣取ったものの、緊張した心はなかなかほぐれてはくれない。早めに会場入りしたせいか、報道陣の数もまばらだったが、初めての取材で落ち着けるはずもなく、常にあたりをキョロキョロ見渡してしまう。

 会見に訪れている人は本物の新聞記者やテレビ関係者がほとんどだ。学生である私は完全に浮いた存在だったように思う。知り合いもいないので一人黙ったまま、初めて感じるこの重圧に押しつぶされそうになっていた。

 そんな中で、記者会見はようやく始まりを迎えた。司会者の紹介の後、会場後方から石川選手らが入場するのを拍手で迎える。拍手をするその手が震えていた感覚を今でも覚えている。

 会見出席者が着席したその途端、さっきまで感じていた重圧はどこかへ吹き飛ばされたかのように、私はただ、目の前にいる人に釘付けになっていた。これまでテレビの中でしか見たことのなかった人が、今自分の目の前にいるという現実に自分がついていけていなかった。この夢見心地のような気分だけは、会見が終わるまでずっと抜けることはなかった。

 会見中、彼は一貫して今回のイタリア留学の目標を、「試合に出て、しっかりと結果を残し、自分の実力をアピールすること」だと述べている。

 学生の身でありながら、今や日本を代表する選手の一人として、注目を浴びている彼ならではの目標であるように思った。

 2度目の留学について、松永監督は、卒業後の進路について考える1つの判断材料となる、と説明していた。

 自分の進路を考える1つの手段であるといった点は、学生である私もとても共感が持てた。目指していることや、成就までの道のりは一般的な学生と違っていても、自分の将来を考え、新たな挑戦をしようとしている気持ちは私たちと同じだ。そのような姿を見ていると、自分も背中を押されたような気になった。

 だが、その半面、会見中に見られたふとした仕草からは「あ、やっぱり、まだ学生なんだな」と思ってしまうような様子もみられた。

 緊張が抜け切れずに、少々つっかえながらインタビューに答えている姿、写真撮影の際、カメラマンさんからの少し強引な要求にたじたじとなりながらも、爽やかに、ややはにかんで、笑顔で応じた姿など、まだまだ学生らしさが垣間見える石川選手であった。

 中央大学の学生として、選手として、イタリア再挑戦が新たな活躍のスタートになることを期待している。

勇気を出して質問した

学生記者 文&写真 内藤 伊音(商学部2年)

ずらり並んだ取材陣。左端には石川選手がいる

 石川選手の取材は今回が2度目である。1度目は最初のイタリア留学から帰ってきた直後の1年ほど前(2015年本誌夏号掲載)。もう一人の学生記者と計3人による、小さな対談形式で行った。

 今回はテレビでよく見る、いわゆる「記者会見」。新聞記者たちに混ざっての取材に、私の緊張感は高まっていった。石川選手の面持ちも心なしか緊張しているように見えた。

 1年前の取材で強く印象に残ったコメントがある。当時から全日本選手であったにもかかわらず、「将来、バレー1本でやっていけるとは限らない」と話した。「話があればどこへでも行きたいです」とも言ったが、学生選手としてのレベルアップを強調していた。

 今回の会見で、バレーボールを職業・仕事としたい気持ちが伝わってきた。変わったのはなぜか。直接話を聞いた私だからこそできる質問だ、会見直前まではそう考えていた。

 しかし実際に質疑応答の時間になると、プロの記者たちがどんどんと手を挙げて選手に質問していく。皆さん、しっかりとした口調だ。

 学生でしかない私が質問していいものか。聞きたいことがきちんと伝わらなかったら、どうしよう。不安と緊張でいっぱいになった。それでも聞かずに後悔するくらいなら、と勇気を振り絞って手を挙げた。

「中央大学広報誌の学生記者です。2度目の海外派遣に将来の見据え方や気持ちの変化はあるのでしょうか」

 私の質問にも石川選手は丁寧に答えてくれた。「そうですね、前回の留学は1年生だったということもあり、そういう考えもあったと思うんですが、3年生になって、就活というか自分の今後の進路も考えなくてはいけない時期に入ってきたので、それも含めた今回のイタリア行きになると思います」

 卒業後もバレーボールに関わっていくと決めたようだ。前回イタリアで学んできたことは昨年9月、日本が6位に躍進したワールドカップで実証されたという。好きなことを職業とする自信が芽生えたのだろう。

 今回の取材で私なりの大きな収穫があった。

 自分が聞きたいと思ったことを当人から聞き出せる感動と答えてもらえたときのうれしさ。そして、毎日接する新聞記事やテレビニュースは、こうした記者と取材相手とのやり取りから発信されるということを体感できた。

 私の質問に答えてくれた石川選手のまじめな顔つきとはにかむような笑顔は忘れられない。

 イタリアから戻ってきたとき、3度目の取材ができることを期待しつつ、石川選手の活躍に今後も注目したい。

表情の変化に気付いた

学生記者 文&写真 森 真優(法学部3年)

チュー王子とのツーショット。手をつないでいます

 学生記者として初取材となった私は、緊張とワクワクした気持ちを胸に記者会見場へと向かった。既に大勢の報道陣が準備を進めている。

 テレビのニュースなどで見ている記者会見の様子を生で見るのは、もちろん初めてのことで、この空間に自分がいることが信じられないと感じた。同時にこの場で取材をさせてもらえることに大きな喜びを感じた。

 学生記者になろうと思ったのは、入学して3年目を迎え、学生生活も折り返しに差し掛かった春だった。周りを見渡すと多くの学生が部活動やサークル活動に打ち込み、充実した学生生活を送っている。

 私は授業を受け、終われば帰宅する。放課後や休日はアルバイト。毎日同じような生活を繰り返していた。

〈このまま終えてしまっていいのだろうか。後悔しないだろうか。今からできることはないだろうか〉

 そんなとき、ふと見かけたのが、広報誌の学生記者募集のポスターだった。〈学生記者になっていろいろな人の話を聞いてみたい!〉

 マスコミ関係の仕事に就きたいと思っていたこともあり、思い切って学生記者の活動をすると決めた。

 記者会見が始まり、石川選手が会場に現れると、会場中に無数のシャッター音が鳴り響いた。酒井総長・学長のあいさつ、海外派遣の経緯説明、石川選手の決意表明、質疑応答、写真撮影、囲み取材の順に進んでいった。その中で私は石川選手表情の変化に気づいた。

 石川選手の表情に変化があったのは、写真撮影に移ったときだった。中大のマスコットキャラクター「チュー王子」が突然登場し、ツーショット写真を撮ることになって、緊張がほぐれたかのようにぱっと明るく、優しい笑顔になった。撮影が終わる頃には、会場全体が和やかな雰囲気になっていた。

 強い意志を持つ石川選手。私の意志は始まったばかり。同じ3年生である。私も“世界を舞台に”とまでは言わないが、何か頑張れることを見つけたい。刺激を受けた一日だった。

 イタリア派遣の決意を熱く話しているとき、記者から多く寄せられる質問に一つひとつ丁寧に落ち着いて答えていた。シビアな環境の中でも自分を貫きたい、そして2020年の東京五輪では自分が先頭に立って動いていきたい、その真剣な表情から石川選手の熱意が感じられる。

 日本に限らず、海外からも注目されている石川選手。注目されている分、受けるプレッシャーも大きいだろう。

 そんな中で自分の決意を話し、さらに自分が海外チームに挑戦することで自分以外の若い選手がもっと海外のチームでプレーできるようにと他の選手たちのことも気にかけている姿に日本のバレーボールをより強くしていきたいという気持ちが感じられた。

先を見た戦い

学生記者 文&写真 佐藤 檀子(法学部3年)

一緒に撮ろう、と招かれる松永監督(右)、
左から酒井総長・学長、石川選手、チュー王子

 バレーボールはチームプレーが絶対である。特に、気持ちで負けてはならない。コートに立つ一人ひとりが強い意志を持ち、不足しているところをカバーし合うことで、「チーム」は形成される。

 世界で戦う日本代表は、これらの技術や精神面について考えることが多いはずだ。

 今回の記者会見で注目したのは、石川選手が「先を見据えている」ことだ。私にしても「先」について、考えさせられる会見だった。

 将来は、バレーボール1本でやっていきたい、と強い意志を示した。

 決めたことをきちんと、弛(たゆ)まず続けるのは、なかなか難しいと思われる。ましてや多くの人に支えられ、日本の期待を受ける立場なら、強い意志を持ち続けるのは容易ではないはずだ。石川選手の決断は、考え抜いた末の決断だったのだろう。

 注目される、期待される選手でも、実力上位の逸材が登場すれば、とって変わられる。

 メディアや世間の目は厳しく残酷だ。すべては結果で判断される。

 選手がどれだけ頑張ったのか、何を苦悩していたのかなど、私たちはその過程を全部見ることはない。想像しかできない。

 これは日常でも、勉強や仕事にも言えることだが、私たちと決定的に違うのは注目度である。たえず好成績を残し、変わらぬ注目選手でいることは、とてもつらく苦しいだろう。

 日本代表ともなると、その重圧は計り知れない。注目度の高い石川選手に、生半可な気持ちはない。いつ入れ替わりがあってもおかしくない厳しい競争社会で、彼はイタリアで「先」を見据えた戦い、あすの準備を始めると決断したのである。

 石川選手の一挙手一投足に目が離せない。

中央大学の星、世界へ羽ばたく

学生記者 文&写真 髙瀬 杏菜(法学部4年)

石川選手の写真パネルの前に並んだ学生記者
(左から)佐藤、内藤、本間、森、高瀬

 リオデジャネイロ五輪・世界最終予選を東京体育館で観戦した。大会中の試合は全試合録画して見たし、チームの愛称「龍神NIPPON」の写真集を何冊も買ってインタビューを読み込んだ。

 テレビや雑誌で見る石川選手はいつも力強い。2020年東京五輪では、間違いなく日本代表の中心に立っている。そう思わせる実力選手である。

 多くのマスコミ記者たちが登場を待ちわびている。2度目のイタリア挑戦を決めた話題の選手。全日本チームや中大バレーボール部の所属を超えて、今や世界から注目されている。

 記者発表が始まると、普段の石川選手からは想像もつかない姿を目撃することになる。酒井総長・学長、松永監督が話しているとき、下を向いて一点を見つめている。

 石川選手の決意表明の番が回ってきた。確かにしっかりと対応しているものの、どこか学生らしさが漂っている。少し照れた表情だ。会見に立ち合って初めて、私たちと同じ大学生なのだと実感した。

 しかし、やはり世界と戦う選手だ。意気込みを語る姿は、スタンドやテレビで見た熱戦のシーンそのもの。「スタメンを張って世界と戦い、結果を出すこと」と強調。同世代が輝く姿を見て、私も元気をもらった。

 思い切って、こんな質問をしてみた。「世界最終予選が終わった後、中央大学のチームに帰ってきて、仲間から何と声をかけられましたか」

 少し間を置いた後、笑顔で私の方を向いて、こう答えてくれた。

「実は、帰った日はオフだったので、寮にチームメイトがいなかったんです」

 記者から、どっと笑いが起きた。その後、石川選手が合宿参加のためチームを離れる。ようやく顔を合わせた仲間から「お疲れさん」と言われただけだった。

 東京体育館では、応援に駆け付けた中大バレーボール部員の姿も見ていたので、エースを全力で応援はするものの、特別扱いしすぎない気遣いが中大バレーの良さではないかと感じた。

 イタリアへ行く石川選手。中大部員にとっては、試合を生で見られない寂しい時期になるかもしれない。しかし、武者修行から戻ってきたとき、背中の名前表示「ISHIKAWA」や「背番号14」は、いっそう輝いていることだろう。