女優でタレントの藤原紀香さんらを輩出した「ミス日本コンテスト2016」が1月25日、東京・西新宿の京王プラザホテルで行われた。晴れ舞台に中央大学女子学生の雄姿があった。
着物姿で、しとやかに(写真提供=ミス日本コンテスト事務局)
経済学部1年の本山琴美さんが、その人だ。同コンテスト出場時は京都の高校3年生、17歳だった。身長175センチ、素晴らしいプロポーションである。
コンテストに出場できるのは「ファイナリスト」と呼ばれる全国5地区を勝ち抜いたブロック代表13人。全国から2,804人の応募があり、ここまで216人に1人の狭き門をくぐってきた。
西日本地区代表の本山さんはエントリーナンバー1番。真っ先にステージに現れた。今ステージ出場者の最年少だ。
会場には審査員の後方にマスコミが大勢集まり、何十台ものテレビカメラが自分に焦点を合わせている。大会の注目度に驚いた。
最終審査は着物、ドレス、水着、審査員からの質疑応答、自己PR。
各部門で美しく、可憐(かれん)に存在をアピールした。
総合美を磨く
世界で活躍する日本人ドレスデザイナー、タダシショージのドレスを身にまとって登場した本山さん(写真提供=ミス日本コンテスト事務局)
ここに至る前の4カ月間、ファイナリストを対象にした「勉強会」(主催・ミス日本コンテスト事務局)があり、13人は視野を広げ、研さんを積んできた。17歳には驚きの連続だった。
日本語、道徳、日本史、茶道、能、ビジュアルセンス、メイク、歯科検診、セルフプレゼンテーション。生理学に基づいたミス日本式ダイエット。ウオーキング講師は元宝塚のトップスター、鳳蘭さんだ。
鳳さんは全体ミーティングで「自分の魅力を体で表現しましょう」と“自分らしさ”を強調した。本山さんには「背の高さと脚の長さを笑顔でアピール」とアドバイス。
本山さんのモデルの仕事は、新作の洋服を着て、服を見てもらう。服が主役だった。ミス日本コンテストは自らがヒロインとなる。
「新しい発見でした。鳳さんとお会いする前からワクワクしていて、しかも直々に教えていただくなんて、すごいことだと感激しました。オーラを感じました」
レッスン内容を母に話すと、鳳蘭さんの華やかなステージを知っているだけにびっくり仰天した。
「直々に!? なかなかお会いできない方に、すごいわ」
社会に出てからも役に立つと感じたのがセルフプレゼンテーションだ。1分間のスピーチで自らをアピールする。「人見知りでしたから話すのが苦手で、こもったような話し方になっていました」。それが専門家の指導で好転した。スピーチが明確になった。内容に京都生まれを加え、ここでも“自分らしさ”を主張した。講師が「よくなったね」と微笑んだ。
また、林野庁で林業を学び、森山裕・農林水産大臣(当時)から激励された。外交問題の講師は現役の外交官。下水道など環境問題にも目を向けてきた。
数々の勉強会を本山さんが振り返る。「コンテストは外見の美しさだけで決まるわけではありません。いろいろなことを勉強させていただきました。会えない人にもお会いできた。(当時)普通の高校生がとても体験できないようなことを学びました。感謝しています」
大会のコンセプトは『行動する健康美人』。ミス日本グランプリには壮大なるテーマの“総合美”が求められる。
過去に「昭和の美人」と、あがめられた女優の山本富士子さん、そして藤原紀香さんといった芸能分野はもちろん、文化や政治など様々な分野で現在も活躍する女性たちに栄冠が輝いた。
ユミカツラ主催の「純金ドレス着用モデル公開オーディション」のグランプリとなり、2016年の「ユミカツラ・グランドコレクション」のラストで純金ドレス姿を初披露した本山さん。右は桂由美さん〈写真提供=(株)ユミカツラインターナショナル〉
予選となる昨年9月の西日本地区大会(会場・大阪)応募が始まりだった。「モデルとして、女性として、何にでもチャレンジして視野を広めていきたいという気持ちがありました」
母の職業・キャビンアテンダントに憧れてモデルスクールに通い始めていた。入学の理由はもう一つあって、「猫背姿勢を直したくて…」。レッスン効果で背筋が伸び、心構えもしゃきっとしてきた。
西日本代表のニュースを聞いた高校のクラスメイト、モデルスクールの仲間、小学校卒業以来会っていなかった友達から、次々に「おめでとう! 頑張って」のメッセージが入った。多くの友人・知人に勇気づけられ励まされて、新たな意欲を燃やした。
様々なことに興味を持つ子だったという。バイオリン、ピアノ、水泳、バスケットボール、陸上競技…。短距離選手を目指した中学時代、陸上の大会に出場した際、ヘンプヒル恵選手(現・中大文2)=女子七種競技・日本チャンピオン=が実際に競技する姿を見た。
「ヘンプヒルさん、素晴らしい記録をどんどん出していらっしゃって、ずっと憧れていました」
幼い頃から本物を見る目を養われた。「感情が豊かになるように」という親の願いが込められた。ニューヨークでミュージカル、ロンドンの大英博物館、パリでルーブル美術館。「ノートルダム大聖堂では建築の素晴らしさに目を奪われました」
最終審査の発表だ。京王プラザホテル・特設ステージに耳目が集まる。ミス日本グランプリと他4部門のミス日本が決定する。グランプリには慶大2年生が選ばれた。
中大のサッカーサークル「FUSSBALL」(フースバル)で作ったユニホーム。背番号75は身長175センチにちなんだ
「めちゃめちゃ緊張していて、ごはんがノドを通らない。全然食べられなくて、楽屋で水ばかり、飲んでいました」
審査員との質疑応答では、「雪の思い出について聞かれたことは覚えていますが、なんて答えたか」。初めて臨んだ大規模コンテスト、最年少、1番目の登場。緊張する要素がいくつもあった。
1週間後、今度は信じられないほど嬉しいことがあった。ブライダルファッション界の第一人者でデザイナーの桂由美さんが主催する「ユミカツラ・グランドコレクション・純金ドレス着用モデル公開オーデション」(2月)に出場し、グランプリに選ばれた。
副賞としてユミカツラのパリ・オートクチュールコレクションの出演資格を得たのだ。開催は2017年1月末だという。
パリコレといえば、タレントの冨永愛さん、小雪さん、山田優さんら誰もが聞いたことのあるトップモデルが集う世界のひのき舞台。今度は中大の女子学生が世界進出へのドアを開ける。
「憧れていた世界に立てると思うと嬉しくて。パリコレには特別な思いがあります」。好きでよく見ていた海外のファッション雑誌。表紙やカラーページを飾るトップモデルに少し近づいたような気がしてきた。
「目標は国際的なモデルになることです」
キラキラとした表情で夢を語る。そこには多くの人の支援があるという。ミス日本コンテスト前日、モデルスクール社長から激励の手紙が届いた。友人・知人からは「頑張れメッセージ」。大会舞台裏では、年長の同じ出場者が栄養ドリンクを差し入れてくれた。
ミス日本ファイナリスト進出、パリコレ出演。ビッグチャンスをつかめたのは、家族や多くの支援者の賜(たまもの)と感謝している。
華やかなステージで美を表現するモデルが、中大・多摩キャンパスのぺデストリアンデッキ(遊歩道)下を颯爽(さっそう)と歩く。信じられない光景がそこにある。
へぇ~ もっと知りたい
ミス日本コンテスト
「積極的な健康管理」をテーマとする和田研究所の社会貢献活動で、同社HPには「日本の代表的な美しいお嬢さんを選び育てて、美人の指標とするという目的をもち、美しい女性に栄誉と実益を与えようという願いを持って行われています」とある。その歴史は1950年。「アメリカの救援活動に感謝して日本とアメリカの友好親善を図る女性親善大使を選ぶことを目的に行われたのがミス日本コンテストの始まりです」(同HP)。