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法学部廣岡ゼミ訪中合宿
中央大学法学部の廣岡守穂ゼミのモットーは「現場から社会について考える」。私たちは9月18日、中国福建省南部の泉州市を訪ねた。この日は1931(昭和6)年に「満州事変」が勃発した日である。あれから84年余の日中間では領土問題、歴史認識問題、南シナ海での人工島造成などを巡って緊張が高まっている。不安と期待が交錯していたゼミ生9人が、訪中合宿の感想記事を書いた。
取材&構成 矢橋香緒里(法学部3年)
劇後の記念撮影(前列左から矢橋、廣岡夫人、廣岡教授、伊藤。2列目:梶原、北原、緒方、古田。3列目:小池、新野、安藤)
私たちを迎えてくれたのは福建省泉州市にキャンパスがある華僑大学日本語学科の教授と学生たち。合宿の目的の一つ、文化交流で彼らが披露したのは沖縄の伝統芸能エイサーのほか、中国の伝統的な楽器演奏、古典舞踊など。
私たちの出し物は寸劇だ。友人たちの日常を描いたラブコメディーで舞台は夏祭り。実は両思いなのだが、友だちの関係からその先への一歩を踏み出せない大学生の男女を描いた。
劇中では中国でも人気の男性アイドルグループ「嵐」の曲を歌い踊り、アニメの登場人物の物マネを取り入れた。
今どきの日本の若者文化を表現したかった。日本の文化や祭りを表現するなら浴衣だろう、と久々に袖を通した。劇には華僑大の胡連成教授が祭りの露店のおじさん役で友情出演。浴衣は演技終了後、華僑大日本語学科の学生にプレゼントした。
せりふは全て日本語だったから、中国人学生に内容が分かったかどうか。後で確認したところ、問題なく理解できたとのこと。爆笑も何回かあった。さすがは日本語学科の学生だ。ツカミも分かってくれた。
中国での寸劇に向けて、ゼミ合宿参加者は夏季休暇中も集まって練習した。その成果を発揮できたのである。
合宿参加学生 9人(五十音順) | |
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安藤心 | 3年 |
伊藤侑夏 | 3年 |
緒方百奈 | 3年 |
梶原里沙 | 3年 |
北原吏紗 | 3年 |
小池遥 | 3年 |
新野航平 | 3年 |
古田直也 | 3年 |
矢橋香緒里 | 3年 |
引率 | |
廣岡守穂・法学部教授、廣岡夫人 |
スケジュール | |
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1日目 (9月18日) |
成田空港発―アモイ空港着、華僑大学へ大学のバスで移動。校内見学。校内の山で登山。焼き肉。校内の寮に宿泊。 |
2日目 (9月19日) |
広岡先生、鄭亜捷先生、胡連成先生の講義。華僑大学の学生によるエイサー、楽器演奏。廣岡ゼミによる寸劇。日中学生討論会。 |
3日目 (9月20日) |
泉州市内視察。午前中に泉州関帝廟、泉州清浄寺、泉州開元寺、泉州天后廟、李卓吾宅跡へ。午後は泉州海外交通史博物館、泉州華僑歴史博物館へ。夜は学生街にて食事会 |
最終日 | 大学発。大学のバス。アモイ空港へ。買い物。アモイ発―成田空港着。 |
学生討論会のテーマは「就職」。意見交換で分かったのは、日中間で違いがあった。日本では多くの学生が大学3年か4年で就職活動を始める。中国では在学中は勉強に専念し、就活は卒業後になる。
「仕事と結婚・子育てのどちらを優先するか」。永遠のテーマで両立するのは難しいと思っていた。中国は両立可能だという。女性の仕事と結婚・子育てで「問題」になることはないそうだ。
違いが分かり、自らを見つめ直す。貴重な経験となる討論会だった。
中国は親切だと感じたのは訪中初日、アモイ空港に着いたときだ。華僑大学の胡連成先生と学生数人が出迎えてくれた。華僑大のバスに乗るとき、私たちのキャリーケースを運んでくれ、乗車順ではお先にどうぞ。“熱烈歓迎” が伝わってきた。(ゼミ生=以下同じ=伊藤)
滞在最終日前夜、食事に招待された。中国人学生は中国事情をいろいろ教えてくれ、とても親切だった。水餃子やビールがおいしかった。あすはお別れ…。彼らがとても寂しがっていたのが、いまでも心に残る。
2日目は受講日。廣岡先生の「恋愛小説と男女平等と政治」、華僑大学文学部・鄭亜捷先生の「中国の文化問題」、胡連成先生の「甲午農民戦争と日清戦争を中心とした戦史」に関する講義を受けた。
廣岡先生の講義では、日本の恋愛観が第一次世界大戦の前と後で大きく変わったこと、新聞小説などがその変化を物語っていることを初めて知った。
大戦前は独身男女による恋愛はタブーとされていた。男女が恋する仲になったとき、小説は女性を不幸のヒロインにしてしまう。いまでは考えられないような恋愛観を歴史から学んだ。
鄭亜捷先生の講義は中国人のアイデンティティーについて。中国は儒教の国であり、親や先生、年長者を敬い、家族を大切にする。正月や旧正月などには家族が集まり、祝いの食事が並んだテーブルを囲む。
日本の若い世代は友人と会い、カウントダウンコンサートに行く人も。家族はやや離れた存在になっているのだろうか。(同・緒方)
胡先生の講義は日中の戦争史。スライドには初めて知ることが幾つもあった。もっと自国の歴史や戦争について知らなければならないと感じた。故先生は歴史の現場を歩いたと言った。
劇の様子(左から小池、緒方、北原、梶原、新野、伊藤、安藤、胡先生、矢橋)
安藤(左)と嵐のメンバーのお面をつけた廣岡先生
日中学生討論会の様子
合宿に入るまで、「中国の食べ物を食べたらおなかをこわす、部屋にも虫がいっぱいいる、中国人は荒っぽいのだろうな」と思っていた。実際に見た中国ではそんなことはなく、「百聞は一見にしかず」を再認識した。
「中国人は開放的である」と鄭亜捷先生が話していた。学生と接して、まさにその通りだと思う。日本人にはない魅力を持っている。(同・緒方)
中国の大学のキャンパスはとても広くて日本の大学の何十倍もある。そして一つの街のようになっている。大学の中にスーパーから病院まで一通りそろっている。教職員用の住宅と学生寮がある。なんと教職員の子供が通う付属小中学校まである。
中国では働く場が見えない壁で囲われたお城のようになっていて、そこが生活の場にもなっているのだ。そこが外国人にはなかなか理解できないところだ。
私たちの宿舎は3日目までに1度変わった。初日は学生寮、2日目以降は招待所。寮のドア・キーはカード式。部屋のテレビやベッドが大きい。タオルやスリッパも用意されていた。風呂とトイレはちょっと、だったが。招待所はとてもきれいで、ホテルのようだった。でも、やはり、トイレの水が流れないので、困ったりしたことも。水回りの完備が急務だな、と余計なことを考えた。
3日目に視察した泉州関帝廟
華僑歴史博物館にて
大学内にハイキングコースがあった。約1万歩の道
廣岡先生の講義の様子
泉州市で観光名所を見て回った。関帝廟、清浄寺(イスラム教の寺)、天后廟、李卓吾氏跡、開元寺、泉州海外交通史博物館、泉州華僑歴史博物館……。
交通史博物館で、かつて港町として栄えた歴史や文化を知った。歴史博物館では戦後70年企画を開催中で、戦時中の日本軍の言動を広報する資料があった。
日中間には政治をはじめとする諸問題がある。華僑大学の学生と事前にSNSでやり取りをしていた一方で、仲良くなれるだろうか、街で暴動が起きたりしないだろうか、大学キャンパスでじろじろ見られないだろうか。心配は尽きなかった。
この目で見た中国は、街の人たちがとても開放的な感じで、学内でも違和感は覚えなかった。華僑大学日本語学科の学生には頭が下がる思いだ。明るくて、常に周囲を気遣い、私たちにも親切にしてくれた。われわれが固定観念に縛られていたことを痛感した。
訪問先の泉州は日中戦争の激戦地ではなく、戦争被害は少なかったと聞いた。反日感情が少ない場所で、交流相手が日本語を学ぶ同じ世代、彼らが日本好きという状況だった。 日中の学生が直接会って互いの国を語る、将来の話をする、普段の生活の話をする。
いろいろ話し合えてとても楽しかった。いまはこうして中国人学生と仲良くできる時代になっている。これまでは日中で不幸な歴史があった。これからは中国の人々とますます交流を深めていきたい。
「現場から社会について考える」ことを理念とする実践的な3・4年生合同のゼミ。2015年春学期は東京都羽村市の「社会で活躍する女性」を取材し、男女共同参画社会推進のためには何が必要かについて調査した。その報告を羽村市の一般市民対象のフォーラムで発表した。秋学期は、日中韓女子学生意識調査を行い、3カ国の相違点・共通点を知り、互いの理解を深める。毎年夏季休業期間に合宿を行い、昨年は韓国、ことしは中国へ行き、現地の学生と交流した。
・文化交流を通じて中国人学生と交流する。
・日中関係史、中語文化・歴史について学ぶ。
1960年に創立された4年制大学。海外の華僑に向けて中国文化を伝播することを創設の趣旨としている。
福建省アモイ市と泉州市にキャンパスがあり、21学部62学科を擁し、教職員2115人、学生数は2.8万人、華僑を含む留学生は3600人在籍。(2009年データ)
1931( 昭和6)年9月18日、奉天郊外での柳条湖事件を契機に始まった、日本軍と中国軍の武力衝突。
中国福建省南部の港湾都市。唐・宋時代から南海貿易の拠点として発展。食品加工・製薬などの工業が盛ん。
高速道路なのに幅寄せがとても多く、クラクションがたえず聞こえてくる状態。10㌢ほど接近されたこともあり、事故になるかと不安だった。(同・安藤)
車線変更が頻繁に行われる。バイクが大きな荷物を載せて突っ走る。ヘルメットは着けていない。(同・新野)
合宿初日、大学内ハイキングコースを歩いた。軍事訓練をしていると聞いて驚き、見てびっくりした。1年生は入学後の2週間、男女関係なく必ず軍事訓練を行うという。
デパートのトイレの順番待ちで、どんどん抜かされた。空いたところへ前の人から入っていくと思い込んでいた。中国では各人が空きそうなところの前に立つ。(同・梶原)
色合いは茶色か白が多かった。生で出てくるのはサラダとフルーツぐらい。野菜は火を通して調理するのが普通という。
味が濃くて、油が多く使われていた。日本より量が多い。盛り付けでは、たくさん食べてといったように大量に盛る。日本の見た目を重視したきれいな盛り付けとは明らかに違った。泉州の食べ物は薄味と教えられたが、日本食と比べるとやはり濃い味だった。