1997年に日本のサッカー・ワールドカップ(W杯)初出場を決めた岡野雅之氏(42)は、現役引退後の翌2014年、J3ガイナーレ鳥取のGMに就任した。クラブ経営者に転身した“野人“の戦いぶりが5月7日夜、中央大学商学部公開講座で披露された。
多摩キャンパス8号館大教室は聴講する学生でほぼ満員だった。Jリーグクラブのジャージーを着て、サッカー好きをアピールする学生がいる。
日本にW杯初出場をもたらしたのは、この日、目の前にいる岡野氏のシュートだ。1998年W杯フランス大会アジア第3代表決定戦・対イランは、前年の97年11月にマレーシアのジョホールバルで行われた。岡野氏は当時25歳。この日聴講した学生は当時1~4歳。ニックネームの野人はなぜ生まれたか。講演はここから始まった。
「大学時代は無名の選手で、浦和レッズ入りしても試合に出ない選手には誰も話しかけてくれない」
自身初の外国遠征は豪州。「暑いところと聞いていたので」空港にTシャツ、短パン、リュックサック、サンダル履きで出掛けた。「驚きましたよ、みんなスーツ姿、俺だけが...」。そんな岡野選手をチームメートは「まるで野人みたい」と呼んだ。
活躍するようになって野人の呼び名は一層広まった。『野人 浦和救う』といった見出しが新聞に躍る。長い髪をなびかせ、抜群の突進力を表現するのに「野人」はうってつけだった。
ヴェルディ川崎戦(国立)。敵陣へ突進した野人は相手GKと正面衝突した。
「心臓破裂、肺に穴があいている、サッカーは半年できないと診断されましたね。それが後日の診察で医師がレントゲン写真を見て驚いた。『治っている』、さらにその後『よくなっている』。医師は『キミが野人と言われている人?』と不思議そうでしたね」
ジョホールバルの歓喜
突進する岡野選手 写真提供:ガイナーレ鳥取
W杯初出場の歴史的ゴールには裏話がある。中田英寿選手のキラーパスは速すぎて誰も追いつかない。
「なぜ岡野を出さないのかという声が大きくなった。僕も試合に出たかった。今大会で一度も出場がない。1-1、延長に入っても出番はなく、アウエーの異様な雰囲気のなか、勝たなければいけないというプレッシャーが重くのしかかっていた。『俺を出せ!』とワーワー言っていたけれど、相変わらず出番がない。『それなら応援に回ろう』と、こっそりシューズのヒモを緩めていましたね」
「岡野!」岡田武史監督の声が響いた。北沢豪選手に代わる5人目のFWだった。
「『入れてこい』と言われましたよ。慌ててヒモを結び直してピッチへ」
GKと1対1でシュートを外す。2度目のチャンスもダメ。3度目のチャンスも実らず、4度目のチャンスがやってきた。中田英選手のシュートを相手GKがはじいてボールがこぼれた。次の瞬間、岡野選手がスライディングしながら放った右足のシュートが決まった。
延長後半13分、決勝点が記録された時点で試合終了となるゴールデンゴール方式。会場のマレーシアはもちろん、テレビ放送などを通して日本列島が一斉に歓喜にわいた。W杯予選参加から43年、10回目の挑戦で出場権を掌中にした。世紀のヒーローの誕生である。
「携帯電話の留守電はパンク状態。帰国して驚いたのは、おふくろがテレビのワイドショーに出ていたことです」
FWからGMへ
講演後サインする岡野氏
プロ生活20年。現役引退後はクラブ経営に乗り出すことになった。
「熱意を伝える、目を見て話す、資料は無駄です」
営業の相手は誰しもが岡野選手を知っている。目の前に大ヒーローがいて、熱く語るのを聞いていれば、興奮がよみがえってくる。鳥取のスポンサーは県内400社にも及ぶ。
「すべてがうまくいくわけではないんですが、チーム強化費確保のため、境港市へ初めて営業に行ったときの話です。『カネはないけど、うまいさかなだったらいっぱいあるで』と聞いて思いついた」
境港は、松葉カニや生の本まぐろの水揚げ量が日本一。ガイナ―レ鳥取へ1口5000円の寄付を2口以上すると、境港水産物直売センターから海産物がお礼として届けられる。『野人と漁師のツートッププロジェクト』としてスタートした。
「当初300口くらいかなと思っていたら、1カ月で1000を超える大反響。第2弾をやろうと今度は境港さんから言っていただきました。おかげさまでブラジルから選手2人を獲得できました」
このほかにも「復活! 公園遊び」「サッカーごっこ」(普及巡回活動)「学校訪問」「祭り、イベントの参加」などを企画。選手やスタッフを派遣し、地域の発展に貢献している。
「公園遊びは年間300回行っています。クラブはみんなのもの。みんなで作っていきます」
岡野GMはスタジアムをさらに盛り上げようと、アーティストとともにライブビジネスを成功させているプロの興行企画制作会社と提携する方針だ。人脈が新しいアイデアに結び付く。
「チャレンジしないと何も始まらない。どんどんやりますよ」
最後は中大生へのメッセージのようだった。
■中央大学商学部公開講座
岡野氏の講演は商学部の「インターンシップ演習・実習」の一環として行われた。指導教員は渡辺岳夫先生。学生がサッカー・関東リーグ1部所属の「東京23フットボールクラブ」の経営にチャレンジする。東京23クラブの本拠地・江戸川陸上競技場に関東リーグとしては前代未聞の観客5000人を動員した実績がある。将来はバルセロナのようなビッグクラブを目指すという。
- 岡野雅之氏(おかの・まさゆき)
- 日大から浦和レッズ入り。元日本代表。代表歴は1995~99年、25試合2得点。J1リーグ通算301試合36得点。所属チームは浦和レッズ-ヴィッセル神戸-浦和-香港・TSWペガサス-ガイナーレ鳥取。2013年現役引退、14年同クラブGM就任。42歳。神奈川県出身