勝者は「クイーン オブアスリート」と呼ばれる。陸上競技女子七種競技を制した強者(つわもの)だけに称号が贈られる。中央大学文学部1年のヘンプヒル恵さんは4月に学生新記録をマークした注目選手。「なぜ七種競技を」の質問に「自分の輝ける場所」と答えた。輝くまでは、自らを磨く日々である。
やり投げ
走り幅跳び
関東学生対校選手権(関カレ、5月14~17日=日産スタジアム)七種競技の最終種目800m。米国人の父と日本人の母を持つヘンプヒル選手はゴールを過ぎたあたりで前のめりになり、トラックに倒れ込んだ。完全燃焼したシーンである。
いつもなら競技終了後、すぐにトラックやフィールドに一礼するのだが、疲労困憊(こんぱい)の体ではすぐに反応できなかった。ひと息ついて立ち上がり、走ってきたトラックに一礼した後、同じ2組を走った中大2年の藤沼朱音選手と抱き合い、2日間の激闘をたたえ合った。
800m種目で付けるゼッケンは6種目終了時点の順位を表示する。彼女は1番を付け、そのまま優勝した。総合得点は5461点。自身が持つ学生記録の更新とはならなかったが、1年生でいきなり関東の頂点に立った。
関カレは今回で第94回、東京箱根間駅伝が第91回。優勝者は歴史の重みを感じる。
第1日に100m障害、走り高跳び、砲丸投げ、200mの4種目。第2日は走り幅跳び、やり投げ、800mの3種目。身長167cmの19歳が連日疾走し、しなやかに跳び、重さ4kgの砲丸や全長2.2 ~2.3mのやりを遠くへ投げる。「体にも充電器がほしいくらいです」。100m障害を得意とし、スプリント種目で得点を稼いでいる。
入学後すぐに学生新記録
100m障害
躍動する中大選手。1位-ヘンプヒル恵選手(1年)=左から4人目、2位-川村涼伽選手(3年)=右端、4位-宮崎紗希選手(3年)=左から2人目
入学式のあった4月の26日、世界選手権(8月、北京)代表選手選考を兼ねた日本選抜和歌山大会で大会新、日本ジュニア新、学生新記録となる5678点で優勝し、日本歴代3位に入った。京都文教高時代には日本ジュニア記録を更新している。
「一種目で戦うのもいいとは思いますが、七種を続けるのは、自分の輝ける場所がそこにあるから、ですかね」
そう言って首をすくめ、こう続けた。
「そこが一番、自分の見せどころなんです。全部できてこそ、すごくカッコイイし、達成感があります」
中学時代、四種競技(100m障害、砲丸投げ、走り高跳び、200m)に挑戦したのが始まりだった。「試合でうまくいって」この競技が好きになった。
七種競技の出場選手は全国大学レベルで25人ほど。オールラウンダーは他の単一種目より競技人口が少ない。「友人であり、ライバルであり、他大学でもみんな仲良し、一緒にいるとすごく楽しい」
通常の練習のほか、専門七種目に鍛錬と工夫を重ねる。けがの予防もしなければならない。互いの努力を知っているだけに連帯感がある。大学は違っても “同じ釜の飯を食う ”仲なのだろう。
■タフ
関カレの4日間は、七種競技の前後、計3種目に出場した。第1日の走り幅跳びで4位。第2日は100m障害で優勝。第3~最終日は七種競技。最終日、七種終了後に4×400mリレー決勝で第3走者として順位を上げ、チームの2位に貢献した。
走りは七種・100m障に1着、同200m・2着と好成績だ。「対校試合なので勝つことをイメージしていました」とヘンプヒル選手は言い、肩で息をしていた。
■監督はスタンド
陸上競技の規則は厳しく、試合中は選手の控室への「出入りを認めない」と記す。中大の高橋監督は他大学指導者と同じく選手に近いスタンドで観戦した。
跳躍・投てき種目ではフェンス越しに監督と選手が話し合う。ヘンプヒル選手は「1本ずつ違うので毎回コメントをもらっています」と感謝し、「4日間の大会、監督は大変やなあと思います」と、おもんぱかった。
■関西弁
ヘンプヒル選手の楽しみの一つは、同じ京都から上京した他大学の友人と京都弁で話すこと。「おしゃべりするとスッキリします」。東京では「みんな関東の人なんで、標準語はちょっと固苦しい」
友達になった同じ中大1年生が、ある日ヘンプヒル選手に言った。「わたしも関西弁でしゃべろうかな」。『めっちゃ』『なんでやねん』。テレビで聞き慣れた関西弁も、首都圏で育った学生が口にすると「全然違う」とヘンプヒル先生。どうやらアクセントが違うようだ。
■東京の味
関西人は東京の味を「濃い」といい、「うどんはツユが黒い」と表現する。初めての東京生活。ヘンプヒル選手は「お総菜を買ったとき、こっちは濃い味やなと思いましたが、うどんはあまり感じないです。学食ではセットメニューをよく食べています」とキャンパスライフを楽しんでいる。
■七種競技/走って 跳んで 投げて
第1日 |
第2日 |
10:00 |
100m障害 |
9:00 |
走り幅跳び |
11:00 |
走り高跳び |
11:45 |
やり投げ |
13:30 |
砲丸投げ |
14:35 |
800m |
16:30 |
200m |
|
|
■男子は十種競技
第1日・100m、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400m。
第2日・110m障害、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500m。
お母さんに感謝
京都から上京して初めて親元を離れた。中大寮に入り、自分のことは自分でするようになって、母親への感謝が芽生えた。「洗濯にしろ、放っておいても、誰もしてくれない。いつもやってもらっていたんやなあと思います」
親のありがたみを「すっごく分かります」とインタビューでは強調するものの、面と向かって感謝の言葉となると「そんなぁ恥ずかしくて言えないですよぉ」と照れた。
母の日(5月10日)は『いつもありがとう』のメールを送った。花を贈るつもりでいたが、試合と重なり、慣れない東京では思うような手配ができなかった。
試合前は神経を集中し、種目の出番間近には自らに気合いを入れる。前髪を左耳に挟む。ショートカットの髪を後ろで一つに束ねる。ピンク色のゴムでぴしりと止める。「私、ピンクが好きなんです。知っていたのかな」。思いをはせる相手は小学6年の弟だ。「輪ゴムで作ったようで最近はやっているみたい。母が持ってきてくれました」。中学3年の妹も長女の応援団だ。
走り幅跳びを含め、走る種目では5本指の靴下をはく。指で土をしっかりつかむ。野球の “ゴジラ “松井秀喜選手(元ヤンキース、巨人)と同じスタイルだ。
中大伝統の七種競技
七種競技最終種目の800m、最後の力を振り絞る(右手前)
4×400m
中大女子陸上競技部は七種競技が強い。1984年に屋ケ田直美選手が5551点で学生記録を更新した。2008年には日本学生選手権(インカレ)で浅津このみ選手が優勝。12年には赤井涼香選手がチャンピオン。関カレでも12年は覇者の赤井選手に続き、5位に富崎千加選手。13年は5位に羽鳥怜奈、6位に豊田梓両選手が入った。14年の2位は羽鳥選手だ。
ことしの関カレにはヘンプヒル、藤沼、豊田の3選手が名を連ねた。エントリーは19人、中大は層が厚い。群馬県の自宅から中大多摩キャンパス陸上競技場まで、車で日参する高橋賢作監督の熱血指導の賜物だ。
学生記録保持者のヘンプヒル選手には大きな期待がかかる。この夏に世界選手権、来年はリオデジャネイロ五輪。2020年東京五輪で24歳。選手ならだれもが金メダルを取りたいと思う。彼女はこうとらえている。
七種の競技中は「緊張」と「緩和」の繰り返し。
「前の種目がダメでも気持ちを切り替えてやってます。まあいいやと思わないとやっていけません」
「力を入れるところ、抜くところとあって、抜くところもけっこう大事なので必要やなあ、と」
「母は競技のことを何も言いません。好きにやったらいいよって。それで頑張れる。頑張り過ぎず、頑張れるのがいいのかなあ」
ほんのりした顔を見せる。しかし、ライバルはもう一つの顔を知っている。ピンクの髪止めをしたとき、ヘンプヒル恵選手は勝負師と化す。