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トップ>HAKUMON Chuo【2015年秋号】>【ニュース&中大ニュース】戦後70年記念講演会  節目の年に「戦争」を考える 講師 菅原彬州名誉教授

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ニュース&中大ニュース

戦後70年記念講演会

節目の年に「戦争」を考える

講師 菅原彬州(もりくに)名誉教授

 戦後70年記念講演会が7月8日、中央大学多摩キャンパスで行われた。講師の菅原彬州中大名誉教授(日本政治史)は約1時間半、立ち続けての熱弁だった。

 終戦から70年のことしは「戦争」と「平和」を考える年になった。

 菅原名誉教授の説明によると、戦中・戦後の中大はいまでは想像もつかないものだった。昭和14(1939)年6月、中大は『戦時学生自戒五絛』(原文のまま)の小冊子を全学生・教職員に配布し、常時携帯することを求めた。

 中大駿河台校舎に陸軍軍人4人がやってきた。「教練教育」の始まりである。代々木練兵場で教練教育を受ける学生たち。野外演習から大学に戻る様子などが写真に残されている。貴重な資料写真は中大大学史資料課が所蔵している。

 当時の中大は法、経済、商の3学部。大学進学率は全国5%ほどだった。

教練教育で野外演習より帰校する学生たち=昭和12年、駿河台校舎正門・南門<中央大学大学史資料課所蔵写真>

 同16年にアメリカ、イギリスと開戦。以来、中大を含めた全国の大学は、学校内で軍事化が急速に進み、兵器増産の「勤労動員」、食料確保の「援農動員」に駆り出された。同17年になると、卒業は9月に繰り上げられたという。同18年には東京・神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行大会」を迎える。多くの学生が戦地へ向かった。

 戦後はGHQ(連合国軍総司令部)の指令で日本の民主化が行われ、中大では元学長が教職追放される重大な事態を迎えた。

 同21年4月の中央大学新聞には『甦へる學園に 續々と復學 再建の意氣も新に』と見出しが躍った。

教練教育(代々木練兵場における演習)=年代不詳<中央大学大学史資料課所蔵写真>

 菅原名誉教授は「戦争をどう考えるのか。自分なりの考えをきちんと持つことが大切です」と呼び掛けて、講演を終えた。

 会場の3号館教室は140人超の聴講者で満員だった。学生や卒業生のほか一般市民も多数参加。マスコミが取材し、翌日の紙面などで報道された。なお、講演会は「戦争と中央大学プロジェクト」の一環として開催された。

いまを幸せに思う/思わなければならない

学生記者 長塚優佳(文学部1年)

 祖母から戦争の話を聞いたことがある。祖母が小学生のころの出来事だ。聞いた私も小学生だったと思う。

 祖母が通っていた学校の近くに銃弾などを作る軍需工場があった。ある日の下校時、学校周辺に空襲警報が出された。児童は「家に帰る人」と「学校に戻る人」に別れた。祖母は下校途中から学校へ。一緒にいた友だちは帰宅を急いだ。祖母が学校へ戻るころ。友だちは再度の空襲に遭って亡くなった。

 祖母は助かったが、もし友だちと同じく帰宅を選択していたら、命を落としていたかもしれない。そうすると、息子の父が産まれることもなく、私が産まれることもなかっただろう。

 そのような選択でさえ、生死にかかわるのかと思うとゾッとする。祖母の体験があまりにも衝撃だったから、覚えていたのだろう。祖母は亡くなってしまったが、とても感謝している。忘れてはいけない私の戦争の話だと思う。

 講演で気になったワードが2つある。『人的物的資源』と『滅私奉公』だ。

「人的物的資源」には、そのあとに「~をきちんと使えるようにする」という文が続く。

「滅私奉公」はご存じのように、私利私欲を捨て、主人や公のために忠誠を尽くす、という意味だ。さりげなく出てきたこの2つのワードは私に恐怖を与えた。個人に拒否権はなく、敵国の誰かを倒すことが義務となる。資源という使い捨てのような扱いをされるのも嫌だ。



 講演は戦時中の当時の植民地出身学生にも触れていた。彼らは志願兵という名の強制出兵だったと聴いた。当時来日するには頭脳明晰に加え、それなりの費用もあったのだろう。エリートといっていい。戦争によって、彼らの希望や期待といったものは打ち砕かれた。

 もちろん日本人学生の兵役は強制だ。当時の学生に必要だったのは、誤解を恐れずに言えば、学歴でも人柄でもなく、日本のために敵国の人たちを倒せるかということだ。



 新聞・テレビなどで多くの戦後70年特集面や番組を見た。登場していた彼らのほとんどは学生で、今後の人生に希望を抱く者ばかりだった。戦争が奪ったものはとてつもなく大きく、取り返しのつかないものだ。

 安保法案審議で国会や周辺が揺れていたころ、多く聞かれたのが、「戦争を二度と起こしてはいけない」「戦争に自分の息子を行かせたくない」といった声。

 確かに戦中の惨状を繰り返してはいけないし、ましてや夢のある学生を戦地に行かせることはあってはならない。しかし、私たちが「行きたくない」というそれだけの感情で戦争を否定するのはあまりにも単純すぎる。

 節目の年に「戦争」や「平和」を私なりに考えた。私たちには、あの時代の人たちの気持ちを想像することしかできない。学徒が動員され、最前線で敵国人と戦い、自らの命を国に捧げた。

 いまに生きる私たちには、想像もつかない辛さと悔しさだっただろう。キャンパスで勉強やゼミ、部活動、サークルなどに打ち込めることを幸せに思わなければならない。

 そして、なによりもこのような過去が中央大学にもあったということを忘れてはいけない。菅原先生の講演は、それを教えてくれた。