プロ野球ドラフト会議が10月23日夕、東京都内のホテルで行われ、中央大学の福田将儀(まさよし)外野手が楽天3位、島袋洋奨(ようすけ)投手がソフトバンク5位指名を受けた。
島袋投手のピッチングフォーム、負けん気が顔に出ている=写真提供・中大スポーツ新聞部、撮影者・遠藤隼記者(文3)
「福岡ソフトバンク島袋洋奨中央大学 投手」
18時37分、テレビモニターを通して名前が読み上げられると会場が歓喜に包まれた。中大・島袋主将にとって事実上のプロ入りの瞬間だった。
中大の記者会見場は多摩キャンパスCスクエア中ホール。会場にはファンや学生、野球部員など約350人が集っていた。
選手はドラフト会議を経てプロの世界へ飛び込む。誰がどの球団へ行くのか。多くの野球関係者にとって大切な一日となる。
会議は都内で17時に始まった。その様子が中大会場でも大型画面に映し出され、大勢の観衆とともにテレビ各局、新聞各社記者らがかたずを飲んでいる。島袋投手の故郷・沖縄からも記者がやってきた。
この日は東都大学秋季リーグ最終戦だった。試合終了後にべストナインなどの表彰が行われ、プロ志望の2人は神宮球場から大急ぎで移動中だった。
セ・リーグの最下位、ヤクルトから始まった1巡目の指名で甲子園を沸かせた安楽智大投手(済美高)、神宮のエース、有原航平投手(早大)、山崎康晃投手(亜大)らが次々に指名された。
17時35分、1巡指名が終わった。島袋投手、福田選手の名前は呼ばれなかった。
17時56分、2巡目指名開始。今度はパ・リーグ覇者のソフトバンクから始まる。会場からは「(島袋)来い!」という期待の声が上がる。
指名選手が読み上げられるたびに「あのピッチャー、投げていないのに」「えっ、彼にいくなら」と疑問の声も漏れた。東都リーグ入りして負傷し、登板が3年春の2試合という投手が先にプロの門をくぐる。事情を知る関係者はけげんな目で画面を見つめていた。
18時3分、2巡指名終了。
18時7分、3巡目指名開始。指名が進むなかで、18時20分、「楽天 福田将儀 中央大学 外野手」のアナウンス。チームメートの2番打者が指名された。1分前に神宮からCスクエアに入ったばかり。
会場では拍手が起き、歓声が上がり、共同記者会見、個別の囲み取材へと進んでいった。
泣きだした
左から島袋投手、慶田城コーチ
指名は5巡目へ。中大会場では福田外野手の取材が続いている。島袋投手のソフトバンク指名があったのは、その最中だ。沸き上がる歓声、喜ぶ野球部員、関係者。会場の全ての人がこのときを待っていた。
長かった。ドラフト会議開始から1時間37分が経過していた。間もなく左腕エースが現れた。共同記者会見が始まる。ひな壇の主将の目は、涙でいっぱいだった。
「指名され、ホッとして安心した。最悪のことも考えました」
一時は指名されないかとも思っていたようだ。右手首には沖縄から贈られた、お守りの数珠が二重にあった。
沖縄・興南高時代、甲子園大会を春夏連覇した(史上6校目)。期待された大学では1年春に開幕投手を務めるも、通算成績は12勝20敗。
「大学4年間はなかなか勝てるピッチングができなかった。でも学んだことがたくさんあります。内容の濃い4年間でした」「まさか日本シリーズに出場するチームに指名されるなんて。変な気持ちです」
島袋投手の指名を誰より喜んだのが、子供のころから兄弟のように過ごしてきた慶田城(けたしろ)開(かい)学生コーチである。島袋投手の名前がアナウンスされたときから会場の座席で号泣した。
彼の父が2人を指導した。2010年夏の甲子園で息子は安打を量産し、通算打率・579。この大会の首位打者となった。投打の両輪が春夏連覇をもたらした。
島袋投手が明かした。「指名を受けたあと、目を真っ赤にして駆け寄ってきてくれた」。友人の喜びを自分のように表現した慶田城学生コーチ。うらやましいほどの友情だ。
慶田城さんは大学に残り、教員資格を取得。高校野球の指導も視野に入れている。
島袋主将の指名で、歓喜というより体をぶつけ合って喜ぶシーンがあちらこちらで見られた。誰もがうれしい、すごくうれしい。主将が愛されている証左といえる。
壇上では福田選手とともに肩車、胴上げと続き、最後は野球部部員の記念撮影。みんなで撮る写真はこれが最後だ。
20時10分、「最後のミーティングやろうぜ」。誰かが叫び、全員が呼応した。
主将の最後のあいさつ。「寒くなってきたから風邪ひくなよ、消灯時間もしっかり守ってな。俺たちは引退するけど、ずっと応援している」
これからは「プロ野球選手 島袋洋奨」となる。指名順位に関係なく、念願のプロ入りが叶ったことを素直に喜んでいるように見えた。満面のその笑みを一軍の舞台でも幾度となく見せてくれることを心から願っている。
学生記者 中村亮士(商学部2年)
楽天3位指名 福田選手満願の秋
堅実な福田選手のバッティング、秋季リーグで初の3割をマークした=写真提供・中大スポーツ新聞部、撮影者・首藤沙央里記者(経2)
「プロ野球選手になりたい」という幼いころからの夢が叶った瞬間に、中大会場にいる全員が立ち会った。
直後に行われた記者会見や囲み取材で、福田選手は目を潤ませながら「ホッとしました。やったぜ!という気持ち」と和やかに答えた。
千葉県山武市から両親がやってきて、マスコミの取材が殺到する。息子のドラフト指名で、父母まで一躍“時の人”となった。
福田選手は笑顔でいたが、この時点で、彼はどこか不完全燃焼、心中複雑なように感じられた。
なぜだろうか。中大野球部キャプテン、島袋選手の存在だ。同じプロ志望ながら、左腕の進路が決まらない。
そんなときだった。テレビのモニターが島袋投手の指名を告げた。島袋選手にも負けない大粒の涙を流したのは福田選手だ。「仲間って素晴らしい」。そう思わせる男の涙。
エースより先にプロの評価を得たのは、福田選手が秋季リーグに懸けていたからだ。
俊足を生かした攻撃や強肩の守備には自信があった。それなのにバッティングとなるとやや精彩を欠いてしまう。夏から練習量を徐々に増やし、チーム練習が終わっても自主トレを積んだ。バットスイングは春先に比べ5倍にも増えて、1日1000本。これを毎日続けた。
都大学秋季リーグで自身初の3割をマークした。放った20安打は自己最多、それまでは13安打だ。本塁打は通算ゼロから2本へ。結果は2度目のベストナイン獲得となり、満願の秋だった。
置かれた場所で咲きなさい
左から母・妙子さん、福田選手、父・政明さん
学生記者(伊坂)は会場で学校関係者に話しかけられた。「きょうの記者会見は、彼らにとっての内定式みたいなものだね」と。一般学生に例えると「指名=内定」という訳である。
4年である自分の内定確定時を思い出してみると、彼らと重なることが一点あった。私も第一志望の企業から“内定”と言われたとき、涙したのであった。
福田選手が指名直後に涙ながらに次への意気込みを語るのを見て、当時の私の涙は内定がもらえたうれしさの涙であり、社会という荒波に立ち向かう航路を決めた決意の涙だったのか。妙に納得してしまったのである。
プロ球界は一般社会より、早いサイクルで回るという。2人は夢を叶えたが、うかうかしてはいられないようだ。プロは高卒であれば5年、大卒なら3年以内に活躍できなければ、戦力外とみなされる可能性があるという。勝負はもう始まっている。
大リーグのイチロー選手はオリックスのドラフト4位指名だったが、その後の活躍は皆の知るところであり大きな花を咲かせた。
島袋・福田両選手には、ぜひとも偉大な選手になってほしい。そして私も負けてはいられない。まさに“BloomwhereGodhasplantedyou.(置かれた場所で咲きなさい)”である。
学生記者 伊坂理花(法学部4年)
中日7位指名
ドラフト会議では、社会人野球で活躍中の中大OBも指名された。
遠藤一星(いっせい)遊撃手(25)。東京・駒場学園―中大―東京ガス。アジア大会の日本代表。都市対抗ではチームの4強入りに貢献した。2013年日本選手権、2014年都市対抗で、ともに優秀選手賞を獲得。卒業後、レベルアップしたとの評判で、即戦力と期待されている。
待望のドラフト指名あいさつ
楽天、ソフトバンク相次いで来訪 学長室で初顔合わせ
プロ野球ドラフト会議後の10月30日、楽天とソフトバンク両球団が福田、島袋両選手に対する指名あいさつに訪れた。
永山チーフ(右)から王会長のサイン色紙をもらう島袋投手
多摩キャンパスの白門祭初日。学長室にも中央ステージから発信された「ポピュラーソング研究会」の曲が流れてきた。楽天球団の福田功チーム統括本部スカウト部副部長らは「学祭ですか、いいもんですね」と笑顔で話した。3位指名を受けた福田選手は、背筋を伸ばしたまま、緊張のしっ放しだ。
福原学長(当時、以下同じ)「彼のどこを評価していただいたのでしょうか」
楽天・福田氏「足が速く、身体能力が高い。秋のシーズンは“つなぐ野球”を見せてくれました。ハツラツ感がいいですね」
福原学長「プロ向きの顔ですよ。秋季リーグではチームを引っ張ってくれました」
秋季リーグでは俊足を生かすため打順が変わった。3番から2番へ。つなぐ野球をするうち、バッティングに確実性が出てきた。
会見場に移った福田選手「ドラフト当日は実感がありませんでしたが、こうしてごあいさつをしていただくと、いよいよ始まるという思いがします。僕のウリは足を生かした攻撃、守備です。走塁にスランプはありません。チームの核となれる選手になりたい。まずは中大の先輩、美馬投手にあいさつします」
美馬学投手は2013年日本シリーズのMVP。素晴らしい先輩が待っている。
福原学長「だいぶ投げられるようになりました。よろしくご指導くださるようお願いします」
永山勝アマスカウト部チーフ「左ピッチャーは先発、中継ぎ、抑えとチャンスがあります。島袋君は練習の姿勢がいい、プロに入ってきっと花が咲きます。責任を持って預かり育てていきます」
会見場で島袋投手「あいさつをいただいて実感が湧いてきました。王会長から励ましの色紙をいただき、うれしく思います。体力をしっかりとつけ、試合で“ここはお前がいってくれ”といわれるようなピッチャーになりたい。楽な道ではありませんが、がんばります」
ソフトバンクのドラフト指名同期には育成8人を含めて13人いる、うち高校生が10人。高校時代から大舞台でキャリアを積んできた島袋投手に、球団スカウトが言った。「キャプテン、頼みますよ」。ドラフト指名は精神力も評価されてのものだろう。
[もっと知りたい]
|
契約金 |
年棒 |
背番号 |
身長 |
体重 |
投打 |
誕生日 |
出身高 |
学部/学科 |
福田選手 |
5500 |
1000 |
24 |
174 |
76 |
右右 |
4.17 |
習志野 |
商/商業・貿易 |
島袋投手 |
4000 |
800 |
39 |
173 |
71 |
左左 |
10.24 |
興 南 |
商/経営 |
※単位は万円、金額は推定
私は球団職員で楽天入りします
野球部マネジャー 堤あや子さん
集まった報道陣が驚いた。会見に立ち会っていた中大野球部マネジャー、堤あや子さん(文4)が「楽天野球団」(仙台市)に球団職員として入団することが分かったときだ。楽天から3位指名を受けた福田選手とは同期入団になる。
東京・淑徳巣鴨高時代、米オレゴン州に英語の勉強のため1年間留学した。就職先として当初考えたのは、英語力を生かせる外資系や米国に本拠を置くスポーツウエアメーカーなど。
ある日、テレビ番組で楽天球団・立花陽三社長(43)の仕事ぶりを知った。慶大ラグビー部出身、外資系ビジネス社会の最前線で働いてきた。野球人脈は広いとはいえないが、2012年8月の就任以来、持ち前の突進力でプロ野球の明日を切り開いていく。就任時、チームは5位と低迷していても、「パ・リーグで優勝する確率は6分の1、そんなに難しいことではないと思います」と夢を語った。
ビッグネームの外国人選手獲得に自ら乗り出した。星野仙一監督の指導により、徐々に力を付けた若手・中堅などがかみ合って、2013年秋、夢は実現した。球団創立9年目にして初の日本一を東日本大震災で苦しんだ地元ファンとともに喜んだ。
試合の場内アナウンスをする堤マネジャー=本人提供
中大学友会体育連盟委員長でもあった堤さんは、野球以外の競技者が球界をリードしていく立花社長にあこがれた。もともと「野球関係の仕事に就きたかった」気持ちと重なった。「新しい球団で、変化を恐れないところにひかれました」。内定は7月に得た。
「選手とファンの皆さんをつなぐ仕事がしたいです。将来は球団経営の戦略的な設計をしてみたい」と夢はふくらむ。
楽天からドラフト3位指名を受けた福田選手を「私の引き運が強いからかな」とおどけてみせた。関係者が彼女に「君はいずれ球団幹部となり、福田君の年俸査定をするのかな」と励ましながら冷やかしたが、頑張り屋の堤さんならば、現実にそんな日が来るかもしれない。
スカウトの初仕事が島袋投手指名
中大野球部OBソフトバンク 福元淳史さん
こちらも胸を張って、記者会見に臨んだ。後方には母校・中央大学の赤白ボード。テレビの撮影ライトが、達成感あふれる顔をクローズアップさせた。
島袋投手の担当スカウト、ソフトバンクの福元淳史さん(31)は昨年12月に選手を引退してスカウトに転じたばかり。島袋投手指名が初仕事だった。
島袋投手にソフトバンクの帽子をかぶせ、福元スカウトもうれしそうだ
プロ野球ドラフト会議後、中大を訪れた10月31日の指名あいさつでは、福原紀彦学長に労をねぎらわれ、先輩スカウトの永山勝チーフには「福元君をよろしくお願いします」との言葉が添えられた。
ことし1月から中大を徹底マークした。2月の宮崎キャンプ、オープン戦、東都大学春季リーグ、夏合宿、同秋季リーグ。中大戦は1試合も欠かさず、神宮球場ネット裏で見つめた。
島袋投手の動向が気になる日々。調子の上がらないエースの復調をひたすら待った。史上6校目の甲子園春夏連覇投手も大学時代は不調続きだったが、「どうしても指名してほしいと強く言ってきた」と永山チーフ。福元スカウトの熱情がなければ、指名結果は変わっていたかもしれない。
「彼は大学で苦しみましたが、持っている能力からすればプロで必ず活躍してくれます。人気もあります。本人には、同じチームになった、今度は一緒に頑張ろうと言いました」
スカウトといっても、まだまだ選手の匂いがする。プロ入りに際して、期待と不安がまじる島袋投手の気持ちはよく分かる。復活への道をこれから2人で進むのだ。
千葉・市船橋高から中大へ。3年次の2004年秋季リーグ優勝に「5番・ファースト」で貢献した。守備は内野、外野をどこでもこなす。打っては4年生の亀井義行選手(巨人)とクリーンアップを組んだ好選手だった。2005年春はベストナインに選ばれた。
卒業後、社会人野球のNOMOベースボールクラブを経て、巨人に育成ドラフトで入団。ソフトバンクへ移籍後、1軍に昇格した2013年5月には、阪神とのセ・パ交流戦(甲子園)でプロ初打点となるタイムリーを放ち、攻守も光ってヒーローインタビューを受けている。
ユニホームからスーツに変えて臨んだ初めてのシーズン。「初仕事で母校中大の選手を指名できて、うれしいです。一生の思い出になります」
指名あいさつで学内各所を忙しく動いた。すべての行事が終わったころ、中大野球部関係者からスーツの胸の球団バッジ「Sh」が曲がっていたのを直してもらった。“親心”を受けた気持ちは、島袋投手へと伝わっていく。
中大OBのプロ野球選手
入団年 |
選手名 |
球団 |
ドラフト |
2001 |
阿部慎之介 |
巨人捕手 |
1 |
2005 |
亀井 義行 |
巨人外野手 |
4 |
2007 |
井坂 亮平 |
楽天投手 |
3(住友金属鹿島) |
中沢 雅人 |
ヤクルト投手 |
1(トヨタ自動車) |
2008 |
村田 和哉 |
日本ハム外野手 |
4<大学社会人ド> |
2009 |
美馬 学 |
楽天投手 |
2(東京ガス) |
2011 |
沢村 拓一 |
巨人投手 |
1 |
2012 |
井上 晴哉 |
ロッテ内野手 |
5(日本生命) |
2013 |
鍵谷 陽平 |
日本ハム投手 |
3 |
注)ドラフトの数字は指名順位、()は社会人から、<>は大学、社会人ドラフト