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トップ>HAKUMON Chuo【2014年夏号】>【ニュース&中大ニュース】登山者の安全安心を後押しする 山岳気象予報士 猪熊隆之氏 中大で講演会

HAKUMON Chuo一覧

ニュース&中大ニュース

撮影=平賀 淳氏

登山者の安全安心を後押しする

山岳気象予報士 猪熊隆之氏 中大で講演会

長野県茅野市にいて、遠く離れたエレベスト山頂の天気を予報する。日本でも数少ない山岳気象予報士の猪熊隆之氏(43)は中央大山岳部時代に数々の山に登り、現在は中大山岳部監督でもある。4月11日、多摩キャンパスで講演会を開いた。けがをして登山を断念せざるを得なかった思いを込めた。題して「山岳気象予報士で恩返し」

 Cスクエア中ホールに用意された大型スクリーンに世界最高峰8848m、エレベストに挑む登山隊が映し出された。残雪の白、黒い山肌、見あげると真っ青な空が広がっている。

 NHK衛星テレビの人気番組『グレート・サミッツ』。この日のテーマは、世界で初めて大型ハイビジョン・カメラを装備して地球上で最も高い山々を撮影していく、撮影を主目的とした登山者の挑戦だ。

 べ-スキャンプから山頂まで6日かかる。この間は好天であってほしい。登頂日の天候が最大の関心事。

 撮影隊の当初登頂予定日に、猪熊さんは「ノー」と回答した。低気圧が発生し、天候は悪化する。強風が吹き、危険という判断だ。快晴予報は10日後。撮影隊は危険を避けてアタックを延期することにした。

 山岳の気象予報は生命にかかわる。これまで猪熊さんは海外の高峰を目指す50隊以上の登山隊に天気予報を出している。八ヶ岳山麓にオフィスを構え、登山者や旅行会社、スキー場、山岳の交通機関などに提供した気象情報は高い評価を得ている。

460階段

 新潟県村上市出身。父親の仕事の関係で神奈川県二宮町に移った。湘南と故郷では天気が違う。肌で感じた違和感は気象への関心となり、没頭していった。

 「高校時代は落ちこぼれで、嫌なことからはすべて逃げていく、弱い人間でした」

 浪人の末に入学した中大では、自分を変えようと山岳部に入った。

 「高校時代の二の舞いは絶対にしたくない。充実した4年間にするために、心身共に鍛えることができる山岳部を選びました」

 中大山岳部の谷川岳合宿。40㎏の荷物を背負い、地底駅から460もの階段を上がる。テントのなかの集団生活、食事をつくる、食器を洗う、細々とした仕事もある。

 「胃腸が弱いために朝食をほかの部員のように食べられない。そんな体ではみんなについていけない。いつ辞めようか…、脱走しよう」「でも、ここで逃げたら高校時代と同じだ。もう1日だけ頑張ろう」

 体や心が悲鳴をあげたこともあるが、10日間の合宿を終えて帰宅すると、風景が違って見えた。「清々しくて、充実感を味わった」

 夏山合宿、3週間の長丁場も乗り切った。「体が弱かったので、他の奴らに追いつき、追い越そうと岩登りや山行などで人一倍トレーニングをしていました」

 春、2年生になった。後輩が入ってきた。柔道や空手の経験者がいる。 「後輩に負けちゃうかなと思いましたが、新人合宿では彼らよりも強かった。1年間のトレーニングの成果を感じましたね」

 3年生の冬の富士山だった。体力に自信がついて登山が楽しかった。好事魔多しとでもいうのだろうか。山頂の一つ、白山岳山頂付近で沢を横切ろうとしたとき突風に遭い、300m近くも滑落した。ほかの部員と離れ、もう一人の部員と翌年挑戦するルートのトレーニング中の出来事。

 救助された友人は重い症状だった。あごの骨折で会話ができなかったという。「私は足のけがで動けなかったので、独りで25時間くらいビバークしました。じっと寒さと痛みに耐えていましたね。靴の中は出血した血が凍ってしまって、ひどい凍傷になりました」

大けが

 およそ30時間後に救出された。診断は左足粉砕骨折、大けがを負った。≪粉砕骨折=亀裂が複数カ所に入り、状態によっては数回の手術となる場合もある。治療後も後遺症が残ることもあり、骨折のなかでも重症な症状を起こすものといえる≫

 「手術は3回受けました。2回目は10時間にも及びました。呼吸困難と出血多量のため、命に危険が及ぶことから、途中から麻酔が打てなくなりました。痛みは激しく万力でこなごなにされているような、首から下を切ってほしいとさえ思うような痛み。痛みで気を失い、痛みでまた気がつく」

 凄まじい手術だった。その2年後、再び山に挑む。旅行会社を退職して1997年には、チベットのチョムカンリ(7048m)に登頂した。「富士山の事故からここまでの苦闘を思って、山頂では涙があふれました」

 99年、劇症性肝炎で「命を落としかけました。両親が呼ばれ生存率が20~30%だと言われて。細胞が一つひとつなくなっていくような感じです」

 05年には慢性骨髄炎を発症した。

 「骨の中にバイ菌が入って、骨が腐っていく。5年間の闘病生活、5回の入院。“完治は絶望的です”と医者に言われました。富士山で滑落したときの後遺症でした」

 登山を断念せざるを得なかった。仕事も事務的なことしかできなくなった。

 「天気を見るのが好きだったから、気象予報士になろう。自分を成長させてくれたのは山でした。恩返しをしたい。自然と人間がうまく付きあっていけるように。山の天気予報ならまだ誰もやっていないからチャンスがあるはず」

 1年後に予報士の資格を取得した。旅行会社を退職し、気象会社に就職。そして山の天気予報を専門とする国内唯一の気象予報会社「ヤマテン」(本社・長野県茅野市)を2011年9月に設立した。

 慢性骨髄炎は幸いにも落ち着いている。5年前に帝京大の名医と出会い、手術を経て、いまでは走ることもできる。この病気は「難病指定」になっていないため、公的支援はない。経済的に苦しんでいる患者が多い。

 猪熊さんがマイクを握り直した。

 「学生に伝えていきたいことがあります。いいことがあれば悪いこともあります。困難はチャンスのとき。いろいろなことを考え、一歩前へ踏み出せば新たな可能性が生まれます」

 「一歩登ると平地とは違った景色が見える。もう一歩登るとまた違った景色になる。若いころの苦労、全力で取り組んだことは必ずいきてくる。勇気をもちましょう。いま私は、学生時代には想像もしていなかったような充実した生活を送っています」

 講演後、拍手が続いた。聴衆のなかには泣いている人もいた。勇気づけられた聴衆は胸を張って帰っていった。

[もっと知りたい]

■著名登山家をサポート
ヒマラヤのダウラギリ(8167m)に挑戦し、2年前、日本人で初めて8000m級の全14座を制覇した竹内洋岳さんを気象情報でサポートした。

■イモトアヤコさん
日本テレビの人気番組『世界の果てまでイッテQ!』に出演中のタレント、イモトアヤコさんが世界最高峰のエベレスト登頂に挑戦。その気象サポートをする予定だったが、日テレが現地ガイドの相次ぐ事故死に伴う登山環境の不備を理由に計画を断念した(4月28日)。

■著書
『山岳気象大全』(山と渓谷社)、『山の天気リスクマネジメント』(同)、『山岳気象予報士で恩返し』(三五社)ほか。