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トップ>HAKUMON Chuo【2014年夏号】>【Close up】Try To Realize 中大入学式 在校生代表スピーチでビートルズのメッセージを紹介

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Close up

Try To Realize

中大入学式 在校生代表スピーチでビートルズのメッセージを紹介

中村 好さん/文学部3年

中央大学2014年度入学式、歓迎の辞でザ・ビートルズのメッセージ(歌詞)を紹介し、希望に燃える新入生の心をさらにワクワクさせた在校生がいる。文学部3年の中村好(このみ)さんで、ビートルズとの出会いは中学・高校の英語の授業だった。

 桜満開の4月2日、多摩キャンパスで行われた入学式(午前の部=法、文、大学院)。新入生による入学の辞が終わり、司会者・鈴木昇法学部事務長から紹介を受けて、パンツスーツの女子学生が登壇する。「それでは在校生による歓迎の辞 文学部人文社会学科英語文学専攻3年 中村好(このみ)さんです」

 深々と頭を下げ、顔を上げると歓迎スピーチの始まりだ。こうした式典でのスピーチは初めてというが、落ち着いていて、ひと言ひと言が分かりやすい。集まった約2700人の前で朗々と話していく。そこにビートルズが突然登場した。

♪すべては己の内にあることを認識しよう/誰も他人を変えることはできない…。

 メンバーの一人、ジョージ・ハリスン作詞の『Within You Without You』の一節を紹介し、大学生活は自らで行動を起こし、積極的に取り組もう、と呼びかけた。

 会場でビデオ撮影をしていた彼女の母親が驚いた。スピーチの内容は任せていたが、まさかビートルズが出てくるとは思わなかった。周囲ではビートルズ世代に近い親御さんが大きくうなずいている。新入生もやや驚きながらも納得の顔付きだ。

 6分間のスピーチが終わると、館内から大きな拍手が沸き起こった。降壇してアリーナ席に戻った中村さんに隣席の新入生が語りかけた。「さすがですね」。こちらも壇上で入学の辞を披露した法学部1年生の月村峻樹さん。フレッシュマンの目に輝いている先輩、中村さんが映った。

ブラックバード

 ビートルズの来日は1966年(昭和41年)だった。中村さんの生まれるずっと前の出来事である。4人のメンバーはその4年前の62年10月、英国で『Love Me Do』でデビューするとアッという間に世界を席巻した。日本国内でも彼らの影響を受けたエレキギターが大流行した。

 日本公演は66年6月30日から3日間、東京・北の丸公園の日本武道館で行われた。武道館はその後アーティストの大物ぶりを示す聖地となった。

ジョン・レノンと!?
(写真=本人提供)

 この年は航空機の事故が相次いだ。ミニスカートが流行り、少年誌で野球漫画『巨人の星』の連載が始まった。年末に発表された日本レコード大賞はジャッキー吉川とブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』。日本の人口が大台を突破、1億55万人を数えた年でもある。中大キャンパス(文系)は神田駿河台にあった。

 中村さんがビートルズを知ったのは中学1年、英語の授業だった。英語教師が彼らのサウンドが好きで授業の教材にしたが、中村さんの心はさほど動かなかったという。

 5年後、中央大学高校3年の英語の授業で、再びビートルズが登場した。教師がやはりファンだった。先生によるギターの弾き語りを聴いた。このときの『Blackbird』の歌詞に魅入られた。

♪おまえは大空に舞う瞬間をひたすら待ち続けてきた―。

 未来を感じるこの曲は今でも大のお気に入り。一方で人気グループ『嵐』も好きだ。

 「ビートルズをもっと聴きたい」

 彼女は、父親が米国の国民的ロック歌手、ボブ・ディランやビートルズのファンであることを知っていた。お願いすると父は笑顔でたくさんのアルバムCDを目の前に広げてくれた。ビートルズの来日時、父は8歳だった。リアルタイムでは知らなくとも、英国発信のサウンドは時空を超えて父娘をより強く結びつけた。

早起きして、アビィーロードを歩く

 中村さんが笑顔で話した。

 「英語の勉強になりましたし、イギリスにも興味を持ちました。そして何より、父とこんなにも話せるとは思わなかったです」

 中大の夏季短期留学プログラムを利用して英国へ。ビートルズ発祥の地リバプールを訪ねた。アルバムのジャケット撮影。メンバー4人が歩いたことで有名なアビィーロード(横断歩道)にも行ってきた。

 「すごく早起きしました。早くに行かないと交通ラッシュになると聞きました」

 昨年秋にはポールの来日公演(東京ドーム)へも。ステージのポール・マッカートニーは71歳になっていたが、ビートルズに年齢は関係なかった。

留守電

 この春休み、携帯電話に知らない番号の留守電が入った。「留守電だから大丈夫だと聞いてみたら」。丹治竜郎教授から入学式歓迎の辞スピーチに推薦したという内容だった。

 「人前で話すのは苦手です、私にはとてもできることではありません」「貴重な体験をさせていただける。このようなチャンスはもうないかもしれない」

 熟慮の末に、中村さんからお願いをして、準備にかかった。過去のスピーチ原稿を見せてもらい、自分の色、いま学んでいることを表現しようと決めた。それならばビートルズの出番だ。

 丹治教授による原稿の添削も無事にパスした。スピーチは3分間の予定だったが、リハーサルでは6分間かかった。「思いが入るとついつい長くなりますよね」と担当職員が融通をきかせてくれた。

 入学式でスピーチをすると打ち明けたのは親しい友人ひとり。「だって恥ずかしいじゃないですか」。終了後、丹治教授から「感心しました」と合格点をいただいた。責任を果たした帰路、学内を母と歩いた足取りは軽かった。

 彼女の父は熊本へ急な転勤のため、入学式には出席できず、母の撮影したビデオもパソコンの不具合で再生できていない。それでも父は上手にこなしたスピーチの報告を受けて喜んだ。

 中村さんは、英語のほかフランス語も勉強している。語学力を試そうとアルバイトには国際便の発着を大増便させた羽田空港を選んだ。空港内のコンビニエンスストアに勤務して、訪れた外国人に英語やフランス語で対応する。「接客も好きなんです」。ちゃめっ気のある顔ものぞかせる。

 「入学式でスピーチさせていただくチャンスをいただいて丹治先生に感謝しています。また、準備段階でお世話になりました職員の皆さまにも感謝します」

 ビートルズに倣って、新しい自分をつくり出していく。自分で行動を起こそう、誰も他人を変えることはできない…。

 今年も日本公演を予定していたポールは急病により、コンサートを順延としたが、ナカムラスピーチの話を耳にしたら、きっと元気になるはずだ。

[もっと知りたい]

■ザ・ビートルズ
1962年10月、英国でデビューした。初のシングルは『Love Me Do』。初のアルバムは翌63年3月の『Please Please Me』。日本でのレコード(当時)発売は64年2月だった。メンバーはジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スターの4人。今年は日本レコードデビュー50周年に当たる。