サッカーのJリーグが3月1日に開幕した。3連覇を目指すサンフレッチェ広島に、中央大学サッカー部FW皆川佑介選手(経4)が入団するなど、中大から4選手がプロのユニホームを着る。昨年12月16日、中大多摩キャンパスCスクエア中ホールで行われた「Jリーグ内定選手による合同記者会見」では、4選手が目を輝かせて抱負を語っていた。
中大サッカー部からJリーグ入りするのは、昨年の5人に続く4人。会見場の席で一人ずつマイクを握った。
高瀬優孝選手(商4)
DF 高瀬優孝選手(商4)
→大宮アルディージャ内定
172cm、68kg
埼玉栄高出身
「高校(埼玉栄高)までプロになるなんて思ってもいませんでした。自分がプロになるために関わっていただきました全ての皆さまに感謝します。大宮では即戦力として活躍したいです」
2年次からトップチームでプレーしてきた。
2011年度の関東選抜A選手。
皆川佑介選手(経4)
FW 皆川佑介選手(経4)
→サンフレッチェ広島内定
186cm、84kg
前橋育英高出身
「3年で大きなけがをして焦りました。ほかの選手はプロのキャンプへ行くのに、僕はリハビリの毎日でした。励ましてくれたのは指導者や仲間、家族です。広島という素晴らしいチームの一員になることは、さらに自分の力を引き出せると思っています。活躍して、みんなに恩返しをしたい」
1年からトップチームに入り、3年連続で全日本大学選抜に。2013年はユニバーシアード日本代表にもなった。
シュミット・ダニエル選手(法4)
GK シュミット・ダニエル選手(法4)
→ベガルタ仙台内定
196cm、90kg
東北学院高出身
「仙台出身の僕は子供のころから、ベガルタを応援していました。スタンドへ何度も行きました。素晴らしいチームに入れて凄くうれしいです。来シーズンのうちにレギュラーGKを追い越し、バリバリ活躍できるよう頑張ります」
1年でトップチームに入り、リーグ戦に2試合出場。4年でレギュラーを不動のものとした。
澤田崇選手(商4)
FW 澤田崇選手(商4)
→ロアッソ熊本内定
170cm、63kg
熊本県立大津高出身
「地元熊本のチームに入ることが叶ってうれしく思います。サポーターから愛される選手になりたい。来シーズンはJ1に昇格して、けがをしない体をつくって頑張りたい。高校を出て東京に来たときは、レベルの高さを実感していました」
2年からレギュラーとなり、2011年度に関東選抜B、翌2012年度は関東選抜A。中大サッカー部・佐藤健ゼネラルマネジャー(GM)によると、この4人の中で最も有名な選手になるはずだった。けがで出遅れた感があるという。
周囲に感謝
岸真清部長(商学部教授)が会見の席でこう話した。
「4人の部員が一度にJリーグ入りするのは名誉なことです。彼らの努力はもちろんのこと、指導者、OB、ご家族の皆様にご協力いただいたおかげと思っています。サッカー場では、選手の練習ぶりを小野卓爾先生の胸像も見守っています」
小野先生の尽力により、中大サッカー部は1927(昭和2)年に創部された。グラウンドには小野先生の胸像がある。
中大サッカー部の、関東大学リーグ戦優勝回数5回は歴代6位。1961年からの2連覇が光る。優勝は1978年以降遠ざかっているが、伝統校として毎シーズン、存在感を示している。
100人近い部員がいる。白須真介監督は「4人にはJリーグ入りを果たせなかった選手の分まで頑張ってほしい。中大で育った思いを胸に世界へ羽ばたいてほしい」とエールを送った。
会場には、部員が大勢駆けつけ、報道カメラマンが撮影する際、被写体の選手に「笑って!」とひと声。
笑顔でテレビ画面や新聞紙面に写るようチームメートならではの配慮があった。
ジーコの教え
あすのJリーガー4人へ、マスコミ各社のインタビューが始まった。
——この4年間のよかったこと、うれしかったこと、悔しかったこと、来季にかける意気込みを教えてください
左から白須監督、選手4人、岸部長、佐藤GM
大宮・高瀬選手 「自分の特徴である走力、クロスでアピールしたい。中大では2年から試合に出してもらったのに、けがをしてしまって…。リハビリ中は自分を磨くことができましたが、チームには貢献できませんでした」
広島・皆川選手 「高さを生かし、相手が引いたとき貪欲なプレーをしたい」
仙台・シュミット選手 「2年生で出場した総理大臣杯決勝。自分のミスで負けたのが悔しい思い出です」
総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの2011年・第35回大会は、中大がこの大会初の優勝を目指し、決勝で大阪体育大学と対戦。0−1で敗れ、初優勝はならず、3度目の準優勝となった。
熊本・澤田選手 「けがが多くてコンスタントに試合に出場できなかった。申し訳ないです」
——プロ初シーズンへの思いを聞かせてください
大宮・高瀬選手 「1年目から4人全員がピッチに出て活躍したい。僕はGKダニエルからシュートを決めたい」
広島・皆川選手 「サンフレッチェには日本を代表する佐藤寿人選手がいます。いい選手の良いところ、盗めるところは盗みたい。裏への抜けだし、ボールへの嗅覚が素晴らしいです」
仙台・シュミット選手 「ベガルタの練習に参加して、練習のオンとオフの切り替えを学びました。寡黙な選手が多いように感じたので(苦笑い)、自分が盛り上げることができたらいいなと思います。僕からシュートを奪うなんて言っていますが、誰にも点はあげられません」
シュミット選手は身長196cm。サッカーゴールのサイズは高さが2.44m。横幅7.32m。シュミット選手がジャンプして、さらに手を伸ばせば、シュートのボールをはらうことができる。
熊本・澤田選手 「J1に上がって、この3人と対戦したい」
応援団がエールを送る
中大応援団から選手4人、一人ひとりに激励コールがあった。
「フレー フレー 高瀬」
「フレー フレー 皆川」
「フレー フレー シュミット」
「フレー フレー 澤田」
身を固くして神妙に聞く4選手。佐藤GMが代弁するかのように話した。
「ありがとうございます。いっそう頑張る気持ちが湧いてきます」
同GMは、プロ選手となる4人に静かに語りかけた。自身が鹿島アントラーズに在籍し、ブラジル代表の名選手ジーコ(元日本代表監督)と知り合ったときの痛烈な印象である。
「ジーコはサポーターが100人いたとしても時間の許す限り、笑顔で一人ひとりに丁寧にサインをしていた。君たちもぜひ見習って、サポーターを大切にしてほしい」
記者会見が終わった4人はそのままステージに残り、会場に詰め掛けた人たちと次々に記念撮影した。“大記念撮影会”は大盛り上がりで、肩を組んだり、所属するプロチームのマスコットを持ったりと多様なポーズをとりながら、笑顔でサポーターの求めに応じていた。
●
前年は5人がJリーグ入りした。 MF六平(むさか)光成選手(経)が清水エスパルスへ。DF今井智基選手(商)が大宮アルディージャへ。FW安柄俊選手(経)が川崎フロンターレへ。GK岡西宏祐選手(法)がヴァンフォーレ甲府へ。DF木下淑晶選手(経)が徳島ヴォルティスへ。5選手の活躍にも注目だ。
中村憲剛選手も現れた!?
憲剛選手が現れたといっても「笑顔のパンフレット」とJリーガーになる中大4選手の襟に付けた「ピンバッジ」で登場した。
川崎フロンターレの中村選手は2003年に中大からJリーグ入り。06年に日本代表、10年W杯南アフリカ大会に出場し、日本代表ザック・ジャパンのメンバーにも選出された名選手だ。
中村選手が推進するのは「子供を守るカサになろう」ピンクアンブレラ運動。虐待やいじめ、育児放棄などがない社会をつくる。
中村選手は「かけがえのない子供たちを守りたい、笑顔の続く未来へとつなげたい。そんな夢を実現させたいと、強く思っています」として一般財団法人『チャイルドワン』を立ち上げた。中大サッカー部が全面的に支援している。
障がい児童とサッカー交流
Jリーグ内定の皆川佑介、シュミット・ダニエル両選手ら5人は1月13日、障がい児の放課後等デイサービス「あった介護」(さいたま市緑区)での交流イベントに参加、様々なハンディを抱える児童約60人と楽しい時間を過ごした。
中大サッカー部からは吉良龍人さん(経3)、渋谷亮さん(商3)、中村昇平さん(経3)も出席した。
皆川さんは「子供たちから元気をもらいました」と笑顔で話し、シュミットさんは「かけがえのない時間を過ごすことができました」と語った。
交流イベントは白須監督の知人が同施設に勤務していることから実現。同監督は選手にサッカーのほか、学生として奉仕活動や社会貢献ができないかと考えていて、東日本大震災後ではチャリティーイベントや募金活動などを行ってきた。
サッカー部広報が見た選手の横顔
文&写真 サッカー部広報兼学生記者 高﨑莉世(文学部3年)
会見前の控え室では、緊張の面持ちだった4選手。会見で発言することを一度紙に書き、それを何度も読むなどして心を落ち着かせ、大舞台に臨んだ。
DF高瀬優孝選手(商学部)は、「自分は突出した才能があるわけではなく、プロの世界はほど遠いと思っていました。中央大学に入ってから、たくさんのチャンスをいただき、この場に立てたことをうれしく思います」と語った。
「突出した才能がない」と口にした彼であったが、確かに中学時代はユースに上がれず、高校時代はセレクションを受けた全ての大学に落ちたという過去をもつ。
「そんな自分がプロになれた理由は、中大サッカー部に入部したことが全て」と話す。怪我によって大学4年間のうち約半分をリハビリに費やしたが、「怪我をしたことによって新たな武器を手にすることができました」我慢を知るなど精神面も強くなった高瀬選手の今後の成長に期待したい。
FW皆川佑介選手(経済学部)は、「サンフレッチェ広島という素晴らしいチームの一員になることは、自分をサッカー選手として、より成長させてくれると思います」と語った。
恵まれた体格を生かし、中大サッカー部ではもちろん、ロシアのカザンで開かれたユニバーシアードという学生の世界大会でも、日本代表として活躍した。
大学内に貼られた、代表のユニホームを着た彼の大きなポスターを目にした人も多いだろう。昨シーズンは、ベンチにいても試合に出ている選手たちを鼓舞する姿も見られ、サッカー部には欠かせない大きな存在であった。昨年王者のサンフレッチェ広島で、彼がどんな活躍を見せてくれるのか楽しみである。
GKシュミット・ダニエル選手(法学部)は、「ベガルタ仙台は、自分が幼少期を過ごした仙台にある唯一のJリーグクラブです。子供のころ何度も応援に行っていたので、そのような特別なクラブに入団することができてとてもうれしいです」と憧れていたチームに入団できる喜びを語った。
高身長である彼は、試合で安定した対応を見せ、正確なキックは多くのサッカーファンを魅了したことだろう。試合中、相手のシュートを彼が止める度、客席は「守護神ダニエル!」と盛り上がっていたものである。
「1日でも早くユアスタ(ベガルタ仙台のホームスタジアム)のピッチでプレーできるように日々努力し、先輩方から学んでレベルアップしていきたい」と力強く話した。
FW澤田崇選手(商学部)は、「自分の地元である熊本で、プロサッカー選手になれることをとてもうれしく思います。サポーターの皆さんに愛される選手になりたい」と語った。また、「自分は地方から中大サッカー部に入って、レベルの高い選手たちと一緒に切磋琢磨できたことが、成長につながったと思います」と学内配布場所一覧中大のレベルの高さを体験談で披露した。
大学屈指のドリブラーと称賛される彼には、熊本ではもちろん、日本中にその名前を轟かせてほしい。
会見後に、澤田選手が「きょうも多くの方々から、頑張って!と声をかけていただいて、本当にありがたいサッカー部、応援団そろってハイ、ポーズと思ったし、改めて頑張らなければと感じることができました」と頭を下げた。
この会見によって、4選手のプロとしての自覚とやる気は、さらに増しただろう。
“中大魂”を心に秘めた彼らの新たな挑戦が始まる。
サッカー部、応援団そろってハイ、ポーズ