中央大学に、権威ある団体から社会貢献分野で「優秀学生」と認められ、さらには「大賞」を受賞した学生がいる。総合政策学部4年の安原元樹さん(宮城県出身)だ。東日本大震災で自らも被災しながら、気仙沼市の対岸にある島、「大島」の復興に寄与した。
独立行政法人・日本学生支援機構は昨年12月7日、平成25年度の優秀学生顕彰・社会貢献分野で大賞を受賞した中大の安原元樹さんを表彰した。中大生が同分野で受賞するのは初めてだった。
日本学生支援機構とは、日本育英会の事業を継承している歴史ある団体。毎年、学術・スポーツ分野で優れた業績・成績を残した学生を表彰する。中大からは2人が大賞を受賞した。もう一人はスポーツ分野の塩浦慎理選手(水泳部50m・100m自由形=法学部、2014年3月卒業)で、日本選手権50m自由形を日本記録で制したほか、世界選手権の活躍が認められた。
表彰式・祝賀会で、平山学生部長(右)と安原さん
優秀学生顕彰には全国から98人の応募があった。
2011年3月11日、安原さんは学費や入学納付金の一部を稼ぐため、山形県の缶詰工場でアルバイトをしていた。1年間浪人して中大合格を決めていた。
「休憩時間でした。ワンセグ携帯で映像を見たら、もう…」
作業は中止となり、工場のバスで仙台駅へ向かった。
「街全体が真っ暗でした。仙台駅周辺で下ろされ、そこから家まで歩きました。仙台駅は東京の例に漏れず閉鎖となって交通機関はストップ。家まで10㎞ほどの距離に3時間くらいかかったでしょうか」
家族は無事だった。仙台市の実家は倒壊を免れたとはいえ、冠水して生活できる状態ではなかった。父親らと近くの多賀城市に住む伯父宅に身を寄せた。ここに1カ月ほど世話になった。この間、朝から携帯電話を持って周囲を見て回り、写真を撮った。
「映画のシーンかと思いました。自分が知っている街ではなくなっていて、涙も出てこない。どうなるんだろう…、でも…、なんとかしなくちゃいけない」
学生を引率して被災地ツアーを実施し始めた頃、「おばか隊」、長期ボランティア、学生ボランティアの皆さんと(2011年11月)
公民館からテントを借りて、給水所に並ぶ被災者の長い列の屋根代わりとした。「最初のうちは何をしたらいいのか、まったくわからなくて」。災害ボランティアの情報を聞き、友人と伯父伯母とともに名所松島へ泥かきに行った。仙台市にボランティアセンターが立ち上がると、がれきの撤去を何日も手伝った。
学費援助を引き受けてくれた祖父母も被災した。学費は急きょ諸々の補修費に回すこととなった。
「大学にはいけないな」
あきらめかけていた気持ちで中大へ電話をかけた。事情を話すと「お金のことは心配しなくていいですよ。東京まで来てください。何とかします」と職員が励ましてくれた。
「絶望の中に一筋の光が差したと思いました」と安原さん。
上京するまでにも多くの人の力を借りて、ようやく多摩キャンパスに辿り着いた。その後は大学の援助を受け、住まいでは地域住民の絶大なる支援を頂いた。引越にも大学職員が車で駆け付けてくれた。
ボランティアのサークルへ
「無事入学が叶って、僕がすることは勉強です。震災の避難所でも、大学進学を応援していただいた」
サークルは入学前から「国際ボランティアサークルひつじぐも」と決めていた。
気になる東北へはゴールデンウィークに石巻へ、東松島へも。6月に再び東松島へ、まだ残る泥を処理した。
気仙沼市内のボランティアセンターで、活動するためのテントが張れると聞いた。前期試験終了の翌朝から自らのオートバイで約10時間かけて気仙沼入りした。
125ccの小さなスクーターに荷物をいっぱい積め込んだ。自慢の400ccオートバイは入学金の足しにするため、やむなく売却していた。
高校生時代にバイト代を全てつぎ込んで乗っていた2台(2009年9月)
7月末から同市内でテントを張り、ボランティア活動をした。8月初旬、中大からも夏休みを利用した震災ボランティアが大島へ向かっていた。気仙沼市内で合流すると、中大バスの後ろを追いかけるかたちになった。バスではスクーターが話題になったようで、「何者だ?」。事情を知った中大ボランティアがびっくりしたのはいうまでもない。
中大勢が活動を終えたあとも、安原さんは気仙沼市内に一人残った。相変わらずのテント生活。市内に2週間滞在し、お盆休みに仙台市へ帰省。休みが明けると再び大島へ渡った。ここで10日間過ごす。
「長くいると大勢の人に出会います」
地元島民の多くが被災した。家族の行方が分からず、漁業の仕事を失いながらも島のため、被災した人たちのために黙々と働く地元の方々。
人がいいにもほどがあるというので、誰いうとなく「おばか隊」と呼ばれるようになった。
がれきの撤去ひとつとっても、気仙沼市内で処理するより煩雑だ。ガラスはガラス、木材は木材、電化製品も…。大量のがれきのなかから個々に分別しなければ島外へ運び出せない。
無口だけど熱い心の「おばか隊」に共感した。ふるさと仙台を思う自分と同じである。
島を支える「おばか隊」が時に弱さを見せる。いまにも壊れてしまいそうな人たちを学生なりに手助けできないものか。
猛勉強した浪人生活
「高校は仙台で偏差値の低い学校です。中央大学の存在も知りませんでした」
オートバイに夢中になり、その購入費捻出のためアルバイトをする日々。ボランティアは学校が推進しており、規定時間を活動すると単位修得となる。
「ほかには草むしりや障がい者を福祉施設に訪ねたりする程度で。内申を上げるために生徒会に入る。勉強もテスト前にするだけでした」
経済的事情から受験は国公立大学とした。
元教師の祖父にあこがれ、教師になろうと福島大などを受験したが、残念な結果になった。父親に頼みこみ、予備校へ通った。ここで自分を見つめ直したという。
東京から気仙沼まで移動したスクーターに乗って(2011年8月)
「教師となって自分のような高校生を相手にできるのか。子供は好きか。疑問が出てきて、何がやりたいのと、やりたいというより、自然とできるのがボランティアだった。人の助けになるようなことがしたい」
不合格は高校時代にさほど勉強していなかったからだ。
「浪人時代は1日13~14時間勉強しました。朝8時に予備校が開いて、夜8時に閉まるまで。帰宅後は英単語を1時間。休んだのは1日だけ、友だちと遊んだ日でした」
大島島民、「おばか隊」の方々と(2011年8月)
勉強は基本から学んだ。苦手だった英語、数学が伸びた。成績はみるみる上がり、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)合格圏に入ってきた。予備校で「中央大学入学説明会」があり、参加した。
学部の垣根を超えたプログラム・FLPを知り、国際協力にも興味を持った。学部は総合政策学部というのがいい、物事を総合的に判断できる人間になれそうだ。
「私学はダメと言われていましたが、また父親に何回もお願いして、1校だけならとOKが出た。中大を、総政を選んでよかったと思います」
一人で始めたことが
1年の夏休み前。東北へボランティアに行きたい、と言っていた学生に後期授業が始まって聞くと、行けなかったとの答。宮城県大島では、学生に来てほしい、と言われていた。学生には夢がある。彼らと話すと我々も明るい気分になれるというのだ。
安原さんは、学生とともに大島へ行く震災ボランティアを考えた。第1回クルーは10月後半にスタートした。先方の受け入れ態勢から参加は5~6人とした。
自動車の運転免許をとった。それまで移動はオートバイ中心だったが、125ccのバイクで複数人の移動はさすがに無理だ。
レンタカーを利用した。日程は授業期間中が週末利用の1泊2日、長期休暇中は3泊4日や2泊3日とし、参加費は一人3000円。
大島でがれき撤去をしている(2011年8月)
現地では、がれきの撤去、牡蠣や帆立の養殖の手伝いといった島民の要望を聞きながらの行動となる。子供を対象とした学習支援は2012年夏から始め、2013 年には特産「椿」栽培の手伝いをした。
「大島の人たちは心が温かい。学生が島を離れるとき、フェリー港まで見送りに来てくれる。数日間とはいえ、学生が変わっていくのが分かりましたね」
秋から冬にかけてはボランティアが減っていく。支援活動を途切れさせてはいけないと考える安原さんに、参加者が新たな参加希望者を紹介してくれた。
白門祭のころ、中古車を買った。7人乗りのミニバンだ。12月まで実施した4回のクルーで、活動費(レンタカー代、高速代、ガソリン代)に20万円の赤字が出ていた。第4回はミニバンにレンタカーが加わって総勢1 2 人となっていた。
「学生からあまり高くとってはいけないと思っていましたが、4回の参加費が総額5万円ほどで交通費が25万円…」
金銭面の負担のほか、一人でできることに限界を感じつつあった。参加者への呼びかけにチラシを300枚作り、総合政策学部の周辺で配った。参加者への説明会、現地の最新情報を把握してホームページを更新する、ブログやTwitter(短文投稿サイト)も書いた。
孤軍奮闘する安原さんはひげが伸び放題だった。風貌が漫画『ルパン三世』の登場人物で、あごひげを蓄えた男『次元大介』に似ていることから次元と呼ばれ、その集まりをチーム次元と命名した。参加者は中大に限らず、創価大、早大、東京経済大、神田外語大など広がりを見せている。
週末や夏休み、春休みを利用した参加者は100人を超えた。大島と学生の結び付きは深まり、活動内容も評価され、電通育英会や住友商事などから支援を受けるまでになった。
「僕は協調性とか団体行動が苦手で、一人で行動してきました。大島の人たちと触れ合って、人のよさにじーんときて、綺麗な風景もあって、ボランティア志望の学生を連れていきたいと思う気持ちから始まったのが、確立されてきました」
宮城県大島への気持ちを持ちながら、安原さんはいま、東南アジアのタイ北部へ目を向けている。貧困層の子供たちを人身売買から保護するNGO(非政府組織)でボランティア活動をするためだ。
学生を引率して行った被災地ツアー活動(2012年10月)
ボランティアで出会った仲間と「おばか隊」の方(2011年8月)
(写真提供=本人)