「学生記者になりませんか」というはり紙を見つけ、「これだ!」と飛び込んだ大学1年の春。文章を書くことが好きだったこと、広報誌が自分自身の4年間の軌跡として後々残ること、そして何よりも取材を通じて多くの人と出会えること、そんな思いを胸に、この「HAKUMON Chuo」に学生記者として参加した。初めての取材は、フリーアナウンサー小倉智昭さんの講演会。「夢を捨て、目標を持つ」「やりたいことは何でもやる」。この小倉さんの言葉は、大学1年の私の心に大きく響いた。ここから「大学生活4年間、やりたいことは全部やってやる」という意気込みで私の大学生活が始まった。あれから本当にあっという間に月日が流れ、「卒業」の二文字が目の前に迫ってきている。寂しいという気持ちはあるが、不思議と充実感で満ち溢れている。それは、大学生活でやり残したことはないからだと思う。全てを書ききることはできないが、この場を借りて大学4年間を振り返ってみたい—
母校での教育実習
東洋史学専攻を選択したのは、もともと歴史に興味があったから。だが、入ってみると想像していたものとは違った。高校時代の歴史の授業とは全く違う授業形態、英文や漢文史料を読み解く作業、膨大な文献。最初は戸惑うことも多かった。しかし、様々な側面から歴史や文化について学んだことは、陥穽にはまらないという点で非常に役立ったと思う。卒業論文のテーマは「近代インドにおける女性運動と社会改革運動」。19〜20世紀のインドにおいては、女性の地位向上のための運動が、イギリスからの独立運動と並行して行われていた。そこで、主な活動家とその思想に焦点を当て、論文をまとめ上げた。非常に大変な作業ではあったが、とことん探究し、まとめ上げた経験は今後の人生の糧になると思う。
2年次からは、FLP地域公共マネジメントプログラムに所属した。都市研究のゼミに入ったのは、地元をもっと魅力的な街にしたいという思いがあったから。最初に行ったことは『歴史とは何か』『比較都市史の旅』の輪読である。1冊の本をゼミ生で分担し、発表するというものであるが、一読しただけでは発表どころか、内容を解釈することすらままならない。そのため、赤、青、黄のカラーペンを使って、線をひきながら何度も何度も本を読み込んだ。ボロボロで、かつカラフルな線に彩られた本は何度も読み込んだ証であり、私の宝である。また、都市調査も行った。三重県四日市市では中心市街地活性化をテーマに、市役所でのヒアリング、商店街でのフィールドワークを行った。過去から現在までのデータを読み込み、都市の現状を把握し、政策提言をする。これは、非常に苦労するものであった。しかし、6人のゼミ生全員で力を合わせ、100ページにも及ぶ報告書を作成した時の達成感は言葉に言い表せないものだった。
もう一度訪れたいイタリア・フィレンツェの街
教職課程の履修も、非常に貴重な経験だった。授業では、教職に対して熱い思いを持つ学生達と関わり、多くの刺激を受けた。また、母校の中学校で行った教育実習は本当に忘れられない。7年前と変わらず温もりのある木造校舎、笑顔で挨拶をしてくれる生徒、時には優しく、時には厳しく指導して下さる先生方に迎えられ、実習前の不安も実習後には充実した思いへと変化した。また、この実習で学んだことがある。それは相手のことを思いやるということである。自分が満足して終わった授業でも生徒が全て分かってくれているわけではない。第一に生徒のために、という思いがあり、その授業で生徒が何を得て、どのように成長することができたのか、ということが非常に大事なことだと思い知らされた。日常生活では、自然と忘れられていってしまうことだが、実習を通じて、「思いやりの大切さ」を強く感じさせられた。
江の島から見た絶景
中央大学には魅力的な制度が数多くある。私は、4年間で多くのものを活用させていただいた。たとえば芸術鑑賞会などである。1年生の5月に大相撲見物に参加してから、ミュージカル、歌舞伎など、多くの芸術に触れることができた。そこから、個人でも出かけ、趣味は芸術鑑賞と言えるほどにまでなった。芸術は、心を豊かにする、そう感じた。これから社会人になっても多くの芸術に触れていきたいと思う。また、大学生活で、観光も私の趣味の1つとなった。海外旅行もしたが、卒業間際になってからは、多摩動物公園、鎌倉、江の島など比較的近場の観光地を訪れた。ここでしかできないことをたくさん体験することができたと思う。
このように充実した4年間を送ることができた。しかし、それには忘れてはならないことがある。それは、周囲の方々の支えである。4年間を通じて関わってくれた多くの方々に感謝したい。4月からは東京を離れ、地元の長野で就職する。中央大学での4年間は私にとってかけがえのない日々となった。大学生活で学んだことを活かし、社会に貢献していきたいと思う。