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トップ>HAKUMON Chuo【2014年早春号】>【学生記者コラム|セルフプロデュース さよならを言う前に】小さな一歩が大きな成長へ

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学生記者コラム|セルフプロデュース さよならを言う前に

小さな一歩が大きな成長へ

文&写真 学生記者 佐武祥子(法学部4年)

嬉しかった中央大学法学部入学

蘇州 中国らしい庭園が残る

 2010年4月中央大学の入学式を迎えた。小学生のころから憧れていた法学部。「でも入るのは難しいのだろうな」と思っていたが、願いというのは通じるもので入学することができた。

 自然に恵まれたキャンパスも、私は好きだったので、入学式はとても嬉しかったのを覚えている。その入学式から4年が経ち、卒業する身としてこのように記事を書くのが今は切なく感じている。

入学後2週目から始まった中大経理研究所

 私は指定校推薦で10月に大学入試を終えて、10月からの6カ月間は時間にゆとりができた。初めは英語に自信がなかったので英会話を習い始めたり、TOEICを受験したり。たまたま目に留まって、入学前の2月には簿記を始める。なかなか面白かったので、それがきっかけで入学直後の中大経理研究所のガイダンスに参加した。その流れで公認会計士を目指すコースに入った。

中国の学生による観光案内、船にも乗った

 公認会計士の専門性の高さ、世界で働ける可能性の大きさは魅力的だったが、その分勉強は大変で週5日、大学の授業後に簿記講座を受ける。始まったのは4月12日、まだ新入生歓迎会を楽しみたい時期だった。

 大学の授業後に毎日2時間半の講義を受け、多少の自習もしたので6月の簿記検定では2級に合格できた。11月に1級、3年生では公認会計士の合格を夢見ていたが、それは夢のまま終わってしまった。 私の大学生活の軸に経理研があったのは間違いない。学習が進んでくると、毎日の講義や自習に加え、朝の答案練習(朝8時から行うミニテスト)や土曜日に模擬試験があった。朝8時から夜9時まで学校で勉強し、土曜も10時から夜6時半までいた。

 公認会計士にはなれなかったが、簿記や会計、企業の監査や法などについて学べたのはいい経験だった。私が就職活動の際、証券会社を多く見ていたのも、ここで習った会計処理の中で、証券会社が行っているものに興味を持ったからだ。経理研の友人は真剣に誠実に勉強していた人が多く、私はいつも彼らを尊敬していた。

初めての海外でマルタへ

 大学2年の夏休み、法学部の「やる気応援奨学金」を頂き(自腹も切って)、地中海の真ん中のマルタ共和国へと語学留学した。1年生の夏休みも、春休みも海外へ留学して英語をもっと使えるようにしたいと思っていた。が、経理研の講義を優先していたので、断念した。

マルタのきれいな海 コスタリカ人の友達と

 公認会計士になれたとしても英語は必要であると聞いたこと、英語の授業の友人が1カ月、アメリカへ行ったことで英語も人間性も一皮むけたことに刺激を受け、私も世界を自分の目で見たいという思いが募っていた。

 2011年3月11日の東日本大震災を受けて経理研の授業は1カ月ほど休みになった。一寸先の未来がどうなるか分からないならば、今やりたいことをやろうと決心した。

 地震で休みになった講義内容は自宅のパソコンで全て受講した。自習でも勉強できると安心したことが、実質的な留学の後押しになったのかもしれない。

 そうして、英語の先生やリソースセンターの事務員さん、既にやる気応援奨学金で海外に行った人に話を聞き準備を進めた。

 マルタは地中海に浮かぶ小さな島国だが、150年にわたるイギリス統治のため、英語が使われている。留学先を世界の中心、多くの人が集まるニューヨークにしようと思っていた。しかし、せっかく奨学金を頂いて行くのなら普段は行かない所に行きたいと考えるようになり、地図帳で英語圏の地域を探した。

 マルタも英語圏であると知り、さらに調べた。歴史的にはイギリスの影響を受けるものの、地理的に近いイタリア、アフリカの影響も受ける。その立地からヨーロッパ、アフリカ、中東の多くの国と地域から人が集まること、治安も良いことからマルタに行くことにした。

 マルタでは、語学学校で英語のレッスンを受け、放課後は観光をしたり、出会った人とお茶をしたりした。語学学校で自分のふがいなさを痛感した。初めの一週間はリスニングに苦戦した。慣れてきても英語が十分できないうえに、自分について説明できないことにも嫌になった。

ECマルタ語学学校にて

 「あなたの(国の)タブーは? 信念(信仰、宗教)は? 整形について日本人はどう思っているの? あなたの国の政治はどう?」

 普段の私の生活では、問われないことである。何を聞かれているか理解し、何を話すべきか、どう英語にするか考えているうちに、話は違うテーマになっていた。

 クラスメートはヨーロッパ、ロシア、アラブからと様々だった。とくにヨーロッパとロシアの人は自分の考えや文化についてしっかりと主張する。凄いなと感じた。

 私ももっと自分の考えや文化を知りたいと思ったし、自分が目を輝かせて説明できる専門分野を見つけたいと思った。

 マルタの語学留学1カ月で、自分の未熟さや弱みにさらされながらも多くのことを学んだ。日本では遅刻しないことは当然と思っていたが、毎日ちゃんと授業に出たのが私の良い所、強みなのだと思った。 一言話せるかどうかで終わっていた授業も最終週はだいぶ話せるようになった。日常的な会話ならそれなりに世間話ができるようになった。最終週に出会った人から「流暢だね」といわれた時は本当に嬉しかった。

 挫折感、不便さ、理不尽さなど苦しんだからこそ、些細なことでも大きな希望や喜びを感じられるようになったと思う。日本とは全く違う世界観、価値観に触れ、良くも悪くもとても刺激的な1カ月だった。

SENDプログラム参加

 文学部SENDプログラムで、3年生の春休みにロンドンで日本語の教え方を学び、4年生の夏休みに上海の上海理工大学で日本語を教えた。

 参加したきっかけは、私は自分のルーツである日本のことをもっと知りたいと考えたからだ。その上で日本語には日本が表れているとマルタでの経験で感じた。

 マルタで、英語を話す中で、日本語との違いを肌で(口で)感じた。英語ではこんなに強く(直接的に)、こんな調子で言っても大丈夫なのかと学んだ。日本人と出会ったときには、それまで溜まっていた感情が一気に出てきた。このとき日本語でしか表せない感情や表現があるのだと知った。

 また、どの国の人も自分の国や地域のことを大切に思っていて、説明できることに驚いた。グローバルに活躍するために、英語ができること、専門分野を持つことはもちろん必要だが、その前に自分の基盤や核となる物事を理解し尊重することも大切だと感じた。

 そんなとき「日本語教育 海外で日本語を教えることでグローバル化人材になる」というSENDプログラムのチラシを見て、日本語を通じて日本をもっと知りたいと思い参加した。

 日本語を実際に教えてみると「行きます」「きます」「帰ります」の違いや「この」「その」「あの」の違いは何かといった細かいことを教える。そのために、どういう状況で使うのか、あるいは使えないのか、そこにはたらく話し手の気持ちはどうかを考えた。予想よりもはるかに繊細で曖昧な日本語を研究することで日本についての理解が深まった。

 ロンドンや上海で日本語を教えた中で、学習者(受講者)のキラキラとした目が印象的だった。どの人も日本語を学ぶことに前向きであった。教える私はその期待に応えられるよう準備を進めた。特にロンドンでは性別、年齢が幅広く、いくつになっても何かを学び変えていきたいという志があれば学生なのだと感じた。

ロンドンIIEL、ここで日本語を教えた

上海で

オーストラリア国立大学へ法律を学びに

 SENDプログラムで日本語や日本文化を紹介したことで、ようやく私の価値観の根底にある日本の文化を理解した。自分や日本について何か聞かれても自分なりに考えて答えられるようになったであろう。

 さあ、ようやく次のステップに進める。私の目標は、何か自分なりの価値(専門性)を持って世界で働くことだ。そのために自信を持って語ることができる専門分野をつくりたい。

 そこでオーストラリア国立大学に2週間、法律を学びに行くことにした。ここでもやる気応援奨学金を頂けたことに感謝している。

 まだどうなるか分からないが、法律に定評があり、南半球一と言われる大学で学べることが楽しみである。将来、会社の研修制度を利用して海外の大学院へ進学する布石となればいいと思っている。

4年間続けた学生記者

人が多い上海の街並み

 興味を持ったことはやってきたつもりだ。その中でも4年間続けた本誌の学生記者は私にとって最も大切で誇りを持てる活動だ。今でも一つ一つの取材を鮮明に思い出せる。1年生の時に取材した陸上競技部のルーキー、社会の第一線で活躍中の卒業生へのインタビュー。大学院や国際機関・ILOの講演会、箱根駅伝密着取材など。

 普段は絶対に出会わないであろう人と出会え、話を聞けたのが学生記者をしてよかったことである。毎回、取材対象者の魅力に引き込まれ、私も頑張らなきゃという気持ちになった。そんな刺激的な出会いに恵まれたからこそ、この4年間、たくさんの挑戦をしてこられたのだと思う。

 特に箱根駅伝の取材では一泊2日で「箱根駅伝を強くする会」(支援団体)に密着し、OB・OGの母校への思いや長年社会で生きてきた強さを感じた。その方たちのように、私もいつかは頼りになるOB・OGになり、中央大学を応援したいと思った。

卒業して、これから

 中央大学での4年間は本当に楽しくかけがえのない時間であった。振り返ってみると、教授、事務の職員さん、OB、友人、家族と多くの人に温かく支えられていた。そのことに感謝の気持ちでいっぱいである。そのお蔭で、法学部での学びは充実していたし、さらに会計士の勉強、短期留学、教員免許の取得など多くのことに挑戦できた。

四万十川にて

 この4月からは社会人になる。願いがかなって証券会社に入社できた。きっと大変なこともあるだろうが、大学時代に培った前向きさやポジティブさを忘れず、自分らしく働きたいと思う。そして大勢の先輩が支えてくれたように、私も在校生の力になれる存在になりたい。

 在学生にはまだ自由に使える時間が残されていて羨ましい限りである。残された時間があるなら、やってみたいことは恐れずにチャレンジしてほしいと思う。

 小さな一歩が大きな成長へつながっているはずだから。