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トップ>HAKUMON Chuo【2014年早春号】>【学生記者コラム|セルフプロデュース さよならを言う前に】彼女の4分、私の4年

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学生記者コラム|セルフプロデュース さよならを言う前に

彼女の4分、私の4年

文&写真 学生記者 白倉隆之介(法学部4年)

 「長かったっていうか、あっという間でした。」

 先日のソチ・オリンピックで有終の美を飾った浅田真央選手が、4年前のバンクーバー・オリンピックの演技終了後インタビューで答えた第一声だ。浅田選手の4分間、私の4年間。背負っているものの重みは比べ物にならないが、大学卒業を目の前にし、彼女が呟いた言葉の意味を改めて噛みしめている。

“震災”に突き動かされて

現地で共に活動に励んだ、ボランティアサークル「はまらいんや」の仲間達との一枚。(2013年1月、面瀬中仮設住宅集会所にて)

 2011年3月11日、私は帰省中の故郷・宮城県気仙沼市で東日本大震災に遭遇した。幸いなことに私の家族は全員無事だったが、その衝撃は当時18歳だった私が築いてきた価値観、人生観を軽々と覆すものだった。以来、3年余り、「震災」というできごとに突き動かされ、様々な出会いや経験を経て、今日の自分がいる。

 思えば、震災前まで「生死」について深く考えたことはなかった。まして、年頃の10代男子が死について友人と語り合うなんてことなど一度もない。祖父の他界はあったものの、家族に看取られながらの永眠だったため心の準備があった。一方、先の東日本大震災では、朝、元気に出かけていったはずの家族・友人が一瞬にして帰らぬ人となってしまった。中学の同窓の先輩、教諭をしている母のかつての教え子の訃報を聞いたとき、私が思ったのは、「“生の世界”と“死の世界”は遠いようで近い」ということだった。誤解を恐れずに言えば、「人間、死ぬ時は案外簡単に死ぬんだ」という方が近いかもしれない。もしあの時、沿岸部を走っていて渋滞に巻き込まれていたら…人ごととは思えず、怖くなった。

 死がいつ来るかは誰にも分からない。でも、死に怯えていても何もできない。それなら、ひたすらに目の前の日々を精いっぱい生ききることだけを考えよう。気持ちが落ち着き、生かされた者として故郷のために何か力になりたいという思いが湧いてきた。

“地域”を見続けてきた

 本学法学部の中澤秀雄教授が気仙沼に縁あって、2011年11月、私は気仙沼市立面瀬中学校仮設住宅でボランティア活動を開始した。2012年4月からは団体(サークル)として活動し、2013年度からは新しく1、2年生の後輩達5人が加わり、昨年の年末年始も1週間にわたってボランティア活動を展開することができた。

 活動の詳細は拙稿(230号)に書かせて頂いた通りだが、現在もお宅や集会所でお話を伺う、傾聴ボランティアに力を入れている。かねてから「継続が大切」という言葉を様々なところで言い続け、活動を続けてきた以上、自分の言葉には責任を持ちたかった。本当に微力ではあるが、途中で投げ出さずにここまで続けられたことは良かったと思う。

 地域は日々、移ろいゆく。発災から3年が経過し、経済的な理由を含め、諸々の事情を抱えている方は今なお仮設住宅に居住し、災害公営住宅(復興住宅)の完成を待っている。一方で、新しい自宅を自力再建して仮設住宅を出る方が増えてきた。仮設住宅には空室が目立つ。歩いて回るだけでも、地域コミュニティの姿、形が変容しつつあることが感じられる。

 したがって、ボランティア活動においても、今までやってきたことをただ続けるだけでなく、もう一度、今住んでいる皆さん方のニーズを的確に抽出して、それを活動に反映させていく必要があるだろう。サークルの後輩達には、ぜひ柔らかい発想で新しいチャレンジをしていってほしいと思う。

世界が広がり、自分が見える

 ボランティア活動をしていく中では、現地での活動中はもちろん、東京に戻ってからの発表や報告会などで多くの人に出会うことができた。学生、社会人、リタイアされた方、いろいろな方がいたが、皆さんに共通して言えるのは、とても生き生きとされていて、人間的な魅力を持っていらっしゃるということだった。出会いの度、自分の世界が一つ、またひとつと広がっていくような気がして、すごくワクワクしたことを今でも覚えている。

 そうした中で将来の方向性も見えてきた。私は、自分が思っていたよりも「人」が好きで、新しい環境に飛び込んでいくことが好きな人間のようだ。加えて、仮設住宅という地域を見続けてきた結果、社会の中の制度的課題や法的課題に直接向き合えるような公共性の高い仕事をしたいという思いが一層強くなった。

 私は行政官の道を選んだ。大学院進学、NPO等の非営利組織で働くという選択肢もあったが、国家公務員の立場から地域や社会の課題に向き合い続け、この国を下支えしていきたいと思った。入省する総務省では、転勤を繰り返しながら主に地方自治に関連する仕事にあたることになるが、大学時代に培った経験を活かし、公務員を志した初心を忘れず職務に励んでいきたい。

旅立ちを前にして

 私は浅田選手のように世界を股に掛けることはできなかった。ただ、私は私なりに一つの地域に根を張り、ボランティア活動を続けることができた。中央大学におけるボランティア文化をほんのわずかだが萌すことができたという「自信」は、これからの人生の中で私を支える大きな力になるだろう。

 そして、私の活動を支えてくださった方々や、苦楽をともにした友人たちには心からの感謝を表したい。出会い、そこから得られた経験は何物にも代えがたい財産であり、これからも大切にしていきたい。

 そんな様々な思いを胸に、私は今、この学び舎を旅立つ。

白倉隆之介(しらくら・りゅうのすけ)
宮城県気仙沼市生まれ。同市で東日本大震災に遭い、その後、在籍する中央大学で被災地支援学生団体「はまらいんや」を立ち上げ、友人たちと気仙沼市内の面瀬 (おもせ)中学校仮設集会所を拠点にコミュニティ支援活動を展開。趣味は旅行とスポーツ観戦。楽天イーグルスとベガルタ仙台をこよなく愛する。県立仙台一高卒、中大法学部法律学科4年。