「アンパンマン」の作者で作詞家のやなせたかし氏が10月13日に心不全で死去した。94歳だった。
1988年にテレビアニメ化された「アンパンマン」はテレビ画面の枠を超えた国民的ヒーローとなり、全国の子供たちの心をとらえた。中大生となった学生記者が“追悼文”を寄せた。
♪なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!
忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君はとぶんだどこまでも
(アンパンマンマーチ、作詞やなせたかし)
幼稚園のころから既に私はインドアなタイプで、公園にも行かずに家でひたすらアニメを見る毎日を過ごしていた。
20歳になった今も、そのころとやっていることはさして変わらない。
5歳にして私の人格形成はある程度なされていたのかもしれない。
小さいころの私の生きる意味は「ドラえもん」「ポケットモンスター」そして、「アンパンマン」。この3つに集約されていた。
仮面ライダーに言われそう
そのころはもちろん、ブルーレイなどという便利な録画機能は存在しないので、私の部屋はアニメ番組を録り溜めたビデオテープに占拠されていた。母の実家にも、祖母が私のためにとアニメを録画したテープをたくさん置いてくれていたのを覚えている。
大人になるにつれ、いつのまにかあんなにあったビデオテープは全て消滅して、祖母も今は遺影の中で笑っている。自分の全てのように思えた「ドラえもん」や「アンパンマン」を全く見なくなって、祖母の笑顔がなくても、そこまで心細くなることもない。しかし、ふとした瞬間に、幼かったころのさまざまな感情や抱いていた疑問を思い出すことがある。
よく思い出すのは「アンパンマン」に対しての言いようのない感情だ。幼いながらに、彼は悪を懲らしめるヒーローらしからぬところがあるなあ、と思っていた。
例えば、“ヒーロー座談会”なるものがあるとしたら、仮面ライダーあたりに「あいつは優しすぎるところがあるな。それがあいつの長所でもあるんだけどさ」とか言われて…。
実際そうなのである。長所でもあるけれど、その頑ななまでの自己犠牲的な態度に、見ている方は心配してしまうのだ。そんなことまで4歳かそこらの私が考えていたとは到底思えないが、おぼろげにアンパンマンの痛々しさを感じていたのは確かだ。
作者である、やなせたかしさんの考えるヒーロー像は「餓えている人に食べ物を与える」ことのできる人だという。
なんたるリアリティだろうか。悪の組織に狙われる少女や、奇怪なモンスターの餌食にされかかる少年なんて、そうそういないだろう。しかし、“餓え”に苦しむ人々は大勢いる。
今この瞬間にも、アンパンマンは、そんな人々に自分の顔をちぎって差し出すのだ。顔がどんどん削られ、力が弱まりへとへとになりながらも「僕は大丈夫」と、敵に立ち向かう。その光景は、幼い私には何か悲痛なものに映ったのだった。
「そこまで、無理しなくても良いんじゃないのかな…」と。もちろん、娯楽としてアンパンマンを楽しんで見ていたのだが、子供ながらに、やなせさんのこめた思いが透けて見える瞬間があったのだろう。
20歳になったということで、記念にアンパンマンにどうしても言いたいことをここに記しておきたい。
アンパンマン、あなたは最弱のヒーローと世間から言われているけど、そんなことはない。私は知っています。あなたの何がすごいって、自分が絶体絶命でも、「顔が汚れて力が出ない」などと自分の身に起きた状況を冷静かつ簡潔に説明している点です。
あの英雄、松田優作さんだって最後の作品では「なんじゃこりゃあ」しか言えなかったというのに。いくら痛くても苦しくても、決して戦うことをやめないあなたの姿を見て、当時の私は、薄々感付いていたと思います。
あなたと違って自分は、苦しかったら逃げるし、痛かったら戦いを放棄する。現在の私は脱走兵のごとく、いろいろなことから逃げている。
だからこそ、私にはまだあなたの力が必要です。何が私の幸せなのか、分からないまま終わる。そんなのは嫌だから、せめてそれが分かるまでは、私に元気を100倍にも200倍にもして与え続けて欲しいのです。
アンパンマン、君は飛ぶんだ、どこまでも!