Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>HAKUMON Chuo【2013年冬号】>おんな一人富士山に登る

Hakumonちゅうおう一覧

おんな一人富士山に登る

山頂ビール 向井理 赤黒い軽石

文&写真 学生記者 関いづみ(文学部3年)

富士吉田コースの入口から、御来光を拝んできた下山客が疲れ果てた顔で続々と戻ってくる。私はその列に逆らうように歩き出した。自宅を一人出て、始発から電車を乗り継いで3時間少しが経っていた。2013年8月15日、朝8時45分、富士山登頂開始だ。

青い巨大なプリン?

 富士山はことし6月、世界文化遺産に登録された。それまで富士山のことを青い巨大プリンぐらいにしか思っていなかった。しかし、登録されるとなんだか急に凄いもののように思えて登りたくなった。

登山ルートの矢印

 登山道が人で渋滞するなんてニュースも流れていたので、どうせなら一番混んでいるお盆に登ろうと計画した。

 最初の5合目と6合目の斜面は、まださほどきつくない。軽石の中から、湧き出るように草が生えている。鮮やかな黄緑に癒された。「なんだ、大したことないな」。山靴やレッグカバーをこの日のために買い込んだのだが、こんなものはいらなかったのかもしれないとピクニック感覚でいた。

 7合目に差し掛かると景色が激変した。簡単に表現すると「ほぼ壁」だ。木がなくなり、そびえたつ石壁に矢印が書かれている。ここが登山ルートであることが、にわかに理解しがたいくらいの急斜面だ。

 すぐ横で、中国人カップルが喧嘩をしていた。女性の服装はかなりファンキーなもの。ビーチサンダルにタンクトップ。腕には金色のバングルが揺れている。言葉は聞き取れなかったが、どうやら喧嘩の原因はこの軽装備と岩の壁にあるらしい。

山小屋のトイレ

 私はさっきまでバカにしていた自分の登山グッズを誇らしげに、岩にしがみつくようにして登って行った。

 7合目の途中で山小屋のトイレに行った。入口に「入場バー」があり、利用料は200円。きれいに清掃されていた。この高さまで清掃に来る人がいるのだと思うと頭が下がる。

 ジャキジャキという音がした。8合目になると足元の質感が少し変わった。踏むとジャキジャキと聞こえる。赤黒い軽石が増え、登山道の岩が隆起してうねっていた。音は、人がたてるジャキ以外何も聞こえない。私は、入ってはいけない領域に足を踏み入れたようなドキドキ感の中にいた。

 いつもは我が物顔で町を歩いている人間が、ここでは場違いな気がした。そこは、自然の領域だった。

割れ目に小銭が刺さった鳥居

 9合目はずっと曇の中だった。少し登るだけで息が上がった。疲れて立ち止まってあたりを見回す。もう、草も生えていない。不毛の坂を、雲がゆっくりと上がってゆく。冷たいグレーだが、動きにはゾウのような温かみがあった。

 ラストスパートは疲れ果てて、下を向いて登っていた。揺れる視界になぜか、一円玉がちらほら入ってくる。見上げると大きな鳥居があった。木の割れ目にはおびただしい数の小銭が刺さっている。きっとお賽銭なのだろう。後ろにいた女の子が「キノコみたい!」と叫んでいた。

 鳥居を抜けると見たことのない空が広がっていた。いつもの、はるか遠くの水色ではなくて、かき氷のブルーハワイシロップのような、濃い、鮮やかな青だった。

 2時15分、5時間半かけて山頂に到着した。石と空だけの最果てのような場所だった。

 山頂の山小屋の前で、関西弁のおじさん2人と話した。「若い女の子で、一人で山頂まで来るやつはなかなかいない」と、ビールをごちそうしてくれた。

 山頂ビールはうまかった。全身に炭酸の細かい粒が駆け廻ってゆくようだった。キリンの缶ビールだが、絶景を目の前に飲む味は格別だ。このおいしさに加え、山頂は真夏でも東京の冬と同じ気温だから、ビールが温まることはない。運ぶ人件費がかかるので、1缶600円だが、標高が高いせいで、1缶で3缶分の酔いが回ることを考えると決して高くはない。

山頂のビールはうまかった

 防寒対策にと所属している陸上サークルのジャージを着ていたのだが、それを見たおじさんたちが、登山用スティックを使って女子棒高跳びのイシンバエワ選手(ロシア)の物まねをしてくれた。正直あまり似ていなかったが、おじさんは「東京でオリンピックが決まったら、俺は出る! 必ず!!」と張り切っていた。

 山頂は寒かった。真夏だというのに持参のジャージとパーカーを着込んでちょうどいいくらいだ。「夜は東京の真冬と同じ寒さになるよ」と、山小屋の従業員が教えてくれた。

 彼は7月10日からここに泊り込みだそうだ。「夏中ここにいるんですね」と言ったら「夏なんてないよ、夏を売ってお金にしているんだ」と笑っていた。

 おじさんたちと別れ、下山前に、富士山頂を見渡した。山頂には何もない。けれども赤黒い地面の上で、国や年齢の違うたくさんの人々がともに登頂を喜んでいた。

 富士吉田コースの下山道は、往路とは一変して寂しい道である。上りではたくさんあった山小屋は2つ程度で、ひたすら赤い軽石の坂を下ってゆく。

 木もなく草もないが、もっとないのは公衆トイレだ。下山までに2つしかない。山頂でビールを2缶開けた私は、下山途中、トイレを目指して走った。

 体は疲れ切っていたが、下り坂なので“やろう”という気持ちさえあれば走ることはできる。下山道には上りにあった「柵」がほとんどないから恐怖のあまり、アルコールは完全にと言っていいほど抜けていた。損した気分である。

 5時半ごろ、下山も終盤に差し掛かったところで、だんだんと日が暮れてきた。下山ルートはいくつもあるため、あたりの人影はまばらであった。

心細いよ

 私はなんだか急に心細くなってきた。案内通りに下りてきたのに、目標のバス乗り場に着かない。夕方になると山の気温は急激に下がる。もし迷ってしまったのなら、遭難は十分にありうる。スマートフォンの充電もそろそろなくなりかけていた。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 早歩きがしたかったが、疲れていたせいで足が思うように動かない。気持ちばかりが焦って半泣きになっていた。

ホタルブクロに救われる

 そんな私を思わぬものが勇気づけた。下山ルートの道端に、明かりのような花が咲いていた。ホタルブクロだ。ライトをともしたような花の姿に顔が自然とほころんだ。

 気持ちを持ち直した私は、ひたすら下山を続けた。30分くらいするとバス乗り場が見えてきた。

 6時15分、出発地点に戻ったとき、ちょうど夕日が沈んでいった。美しかった。不安だったからか、疲れたからか、感動したからなのか、分からなかったが、涙が出た。

 7時。乗り込んだ河口湖駅までのバスの中で、イケメンお兄さん集団に遭遇した。後ろの席に5人で座っている。どのお兄さんも鼻筋が通っていてかっこいい!

 山を登ってきたのに髪型が崩れていない。抜かりない(!?)私はお兄さんたちの前の席を陣取った。

 疲れが出たのか、途中で急激に気分が悪くなった。あまりの体調の悪さに「気持ち悪い…」と口にしていた。イケメン集団に見られているのは分かっていた。私はイケメンたちの前で髪はボサボサ、すっぴん、眉毛の消えかかった顔で「あぁ、気持ち悪い…おぇ…」とうめいていた。

 「大丈夫?」イケメン集団のうちの一人、向井理風が声をかけてきた。はかなげに小さな声で答えたらよかったのに、かわいこぶる余裕もなく、ケンドーコバヤシばりの低い声で「だいじょぶッス…」と答えるのが精いっぱいだった。

 思わぬ場所でのイケメン遭遇に加え、自分の渾身のデスボイスに「こんなはずでは…」と狼狽した。向井理風がまた声をかけてきた。ハッとする私に「これ、予備で持ってきたからあげるよ」とミニサイズのポカリスエットを差し出した。山のイケメンは心もイケメンなのだと感動した。

 河口湖のベンチで元気を取り戻した。次に向かったのは、富士急行月江寺駅から徒歩7分の「マイケルズホステル」という外国人向け宿泊施設だ。

 シャワー、トイレ共用の個室で一泊3500円という安さに惹かれて泊まったが、入った瞬間にしまったと思った。「ン?」。タペストリー、カレンダー、パンフレット、すべて英語で書いてある。スタッフも当然、外国人である。

 トトロのようにもっさりした男性スタッフにお湯の出し方を英語で説明され、ちんぷんかんぷんであった。結果、冷水のシャワーを浴びた。シャワーを浴びてやれやれと部屋に戻ろうとすると、今度はスタッフに共用トイレの場所を説明された。「ドゥー ユー アンダースタンー?」全く理解していない様子の私にスタッフが見かねて聞いてきた。彼の眉間にしわが寄っていたのが怖くて、「オーケー アイム トイレット」となんともバカな返事をしてしまった。トトロに爆笑された。突然のお茶の間留学に辟易しながら眠りについた。

 翌朝は疲れていたせいか寝過ごしてしまった。予定より1時間ほど遅れた11時ごろ、ホステルを出た。乗りたかった時刻の富士急行はとっくに行ってしまい、次の電車は40分後。長く待つのは退屈なので、隣の富士山駅まで歩くことにした。

 月江寺駅はひっそりとしていた。駅の「月江寺」の文字と、同じサイズで「世界遺産」の文字。観光客向けの大型ホテルや飲食店はなかったが、町のいたるところに富士山の「のぼり」とポスターがあった。

 朝食を取ろうと途中立ち寄ったパン屋さんで、「お姉さん登ってきたの?」と聞かれた。「そうなんです」と私。おばさんは自慢げに「凄かったでしょ! 世界遺産だからねぇー」と笑っていた。

 その先にあった土産屋さんでは、店のおじさんが「山頂割引だ!」といって、消費税をオマケしてくれた。

 富士山が世界遺産になったことを、私は「なんとなく凄い」としか思っていなかった。しかし、ひっそりとしたこの町にとっては、生活を変えるような明るいニュースだったのだ。月江寺駅から富士山駅までの道のりで、感想が「凄い」から「うれしい」に変わった。

 富士山駅で電車を待つ間、屋上の展望台に上がった。富士山を見ながら無料で足湯に入れる。前日の登山でパンパンなった足をお湯につけながら、ぼーっと富士山を眺めた。ここから見ると、やっぱり青い巨大プリンだ。

 穏やかな末広がりのラインは、石の壁や岩の隆起の雄々しさなんてかけらも見せない。前日はあのてっぺんにいたのだなと思うと、なんだか変な感じがした。外から見るのと中に入って見るのではまるで違う。

足湯でぼーっと

 やがて乗車の時刻になった。あわてて足もろくに拭かず、足湯を後にした。暑い日だった。屋上から降りてホームへ急いだ。濡れていたはずの足はもう渇いていた。

 今、季節は冬に近づき、肌寒い風を浴びていると急に、あの日の山頂の寒さを思い出す。雪を被った今の山頂は、きっと、もっと寒い。

 赤黒い軽石の道、イケメンの集団に、外国人ホステル、月江寺の人々、そして、ブルーハワイのような青。

 例年以上に濃い夏の2日間を私は忘れない。

富士登山者7844人減 遭難者は過去最悪の81人

 環境省は9月10日、この夏の富士山登山者が31万721人で、昨年より7844人減だったと発表した。夏季期間は7月1日から8月31日まで。6月の世界文化遺産登録により登山者の増加が見込まれたが、環境省は「混雑を避けたのではないか」と見ている。登山者数は調査を始めた2005年以降、3番目に多い数だった。

 登山ルートは4本あって、最も利用が多かったのは山梨県側の吉田ルート。17万9720人で、昨年比約1万人減。調査は4登山道の8合目付近に設置されている赤外線カウンターで通過人数を数える。

 一方、発生した富士山登山・遭難件数は79件を数え、昨年より45件増。遭難者数は81人(死者1人、重傷者8人)で昨年と比べて40人多かった。静岡県側で発生した遭難状況を静岡県警が9月5日に発表した。統計が残る1973年以降最悪だったという。県警は世界遺産の登録により、準備不足の登山者・初心者が増えたためと分析した。