2つ上の姉はいつだってお嬢様であった。楽しく仲良く穏便に-平和をこよなく愛する妹の私は、いつだってお嬢様のとばっちりを受けてきた。
お嬢様は常に自信に溢れている。奔放さは早いうちから頭角を現していた。中学校に入って、理科の夏休みの研究のため、お嬢様はカメを購入された。が、研究後に興味をなくし、カメは水槽で放置された。
「きちんと面倒見るって言ったでしょ」母からお決まりのセリフが飛ぶと、自信満々に言い放った。「だって、それ、いづが飼いたいって言ったんだもん」
一同、唖然。こうも簡単に過去をねつ造しにかかるとは。母はあきれ顔を通り越して、あっぱれという表情だった。幼い私の危険予知センサーはワンワン鳴っていた。「この人を敵に回してはいけない」。カメは私が引き取った。
お嬢様の買い物に付き合うのはゾウを引きずるより重労働である。靴を選ぶ時なんかは大変だ。柔らかいクッションに腰掛けて靴を待っている。運ぶのは私。「きつい」「高い」「かわいくない」。それはお前のことだろう、というセリフが喉元まで出かかったあたりで、やっとお気に入りの一足が決まる。「すみませーん、これのL、お願いしまーす」。これも私の役目である。
お嬢様は、常に自身が法律である。大学進学後、「大学生になっても夜12時までには必ず家に帰る」というお家ルールは見事に砕け散った。守らない。何度注意されても、どんな仕打ちを受けようとも、絶対に守らない。強行突破である。毎日深夜1時、2時に帰宅するお嬢様に、両親ともあきれ返り、注意する元気をなくした。ところが、両親は次女の大学入学とともに元気を取り戻し、私の門限を11時に設定した。非常に遺憾である。
お嬢様は、決してぶれない人である。大学3年生の冬、お嬢様にも就職活動がやってきた。やりたい仕事があった。それはいいのだろうが、それ以外の仕事は、断固としてやりたくない。だから、受けない。希望の業界は非常に狭き門であった。
お嬢様は曲がらなかった。泣いて帰ってくる日もあった。でも翌日には、スーツに着替えて出て行った。お嬢様の戦闘服は、ひじのあたりが擦り切れた。友人たちが内定を確保していく中、就活は夏の終わりまで続いた。両親は就職浪人になるのだろうと覚悟した。それでもお嬢様は曲がらなかった。そうして内定をもぎ取った。
お嬢様の部屋は空っぽになった。4月。不要とした服や雑貨をどっさり私の部屋に移し、赴任先の名古屋へ飛んで行った。「何か言って出て行くのかな」なんて思ったが、起きたら、もういなかった。そんなものかと妙に納得した。私の「頑張ってね」も、彼女の「頑張るね」も、口に出したら気持ち悪くて薄っぺらい。
お嬢様の部屋は何もなくなってしまった。20年も一緒に住んだ台風女の名残か、開けた窓からすうと風が通る。「居ないと家が静かだねえ」なんて父は笑っていたが、当のお嬢様はハムスターを飼い始めたのだという。帰省の際に押し付けられないことを願いつつ、おねえの帰りと名物の手羽先を楽しみに待つ。