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トップ>HAKUMON Chuo【2013年夏号】>【スポーツ】自由形の歴史を変える 競泳日本選手権50m、日本新で優勝した塩浦慎理選手

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スポーツ

自由形の歴史を変える

競泳日本選手権50m、日本新で優勝した塩浦慎理選手

“競泳の顔”北島康介選手らメダリストがそろった日本選手権(新潟市)最終日の4月14日、 中央大学水泳部の塩浦慎理選手(法学部4年)が男子50m自由形に20秒03の日本新記録で優勝し、 世界選手権(7月28日開幕・バルセロナ=スペイン)代表入りを決めた。直前の遠征「欧州グランプリ」では、出場3戦5レースすべてにメダル獲得。世界制覇に弾みをつけた。

学生記者 関いづみ(文学部3年)

プールで骨折

勝ったあ!(写真撮影=中大スポーツ新聞部・大野未知記者、以下の表彰写真も)

 男子50m自由形は中大スイマーのお家芸。好記録が続出し、塩浦選手が伝統を受け継ぐ。目指すは2016年リオデジャネイロ五輪での五輪初出場。日本選手権では自由形100mも制して、「僕が自由形の歴史を変える」と話す。188cm、90kgの体がいっそう大きく見える。

 テニスの杉山愛選手を先輩とする神奈川・湘南工大付高出身。高校3年のインターハイでは50m、100mの2種目を制覇した。中大に進んだ2011年8月に“学生のオリンピック”ユニバーシアード中国・深圳で先の2種目とも銅メダル。9月のインカレ(日本学生選手権)には22秒11で日本新記録を樹立(当時)した。

 この調子だ。2012年7月ロンドン五輪まであとひと息。夢の実現が、すぐそこまで来ている。周囲も自分も大いに期待していた。それなのに2012年1月、左人差し指を骨折した。ゴールタッチでタッチ板との間隔が近すぎたのだ。勢い余って壁に指が垂直にぶつかる。塩浦選手によると「水泳ではゴールタッチでの突き指はよくあること」。でも、折れていたなんて。

 このけがで70㎏あった左手の握力は12㎏まで落ちてしまう。<握力70㎏はリンゴをつぶせるほどの怪力、一般成人男子の平均は40㎏。12㎏は小学生クラス>。

 五輪選考会まで、もう日がない。思わぬハプニングに気持ちが焦る、タイムは伸び悩んだ。同年4月の五輪選考を兼ねた日本選手権。50m、100mともに3位に終わり、五輪切符を逃した。

 「自分が出るなら2012年、ロンドンだ」。高校時代から出場を固く信じて、つらい練習もこなしてきた。目標を失って、船は難航した。オリンピックに行けないなんて。水泳を続けていく覚悟と意欲が剥がれ落ちた。悩んだ末に始めたのは就職活動だ。

 「このまま続けても先がない。水泳は大学で終わりにしよう」。練習が終わると大学開催の就活セミナーに通った。いつだって練習を見てくれた高橋雄介監督(理工学部教授、JOC強化スタッフ)に報告した。

 監督の返事は、思いのほかあっさりしたものだった。「そうか、自分のやりたいようにしなさい。自分が一番幸せになれるように。頑張れないというのなら、やっていてもしょうがない」

 きっと“続けろ”と言われる、そう思っていたエーススイマーは拍子抜けした。「こんなもんか」

 プールから上がる決心をした後も、気持ちがあいまいだった。練習に、就活に、どっちに力を入れていいのか、どっちに力を入れたいのか。宙ぶらりんの心のまま、水泳も不完全燃焼で9月のインカレを迎えた。

 日本記録を1学年上のライバル、伊藤健太選手(当時中京大 ―ミキハウス)に破られた。「負けたのかな、あぁやっぱり負けた」。隣のレーンが22秒05をたたき出していた。落ち込む塩浦選手に監督が言った。「取り返せばいいんだ」

 台座に座っている間は、そこから離れようとすらしていた。奪われて初めてわかった。悔しいと思う自分がいた。見ないようにしていた闘争心が湧き上がってきた。

 思えば、周囲の人たちは自分の調子のいいときはもちろん、悪いときにもいつだって応援してくれた。試合出場で欠席した授業のプリントを預かってくれた友達、つきっきりで指導してくれた監督、切磋琢磨したチームメート、支え続けてくれた両親。みんな自分に期待してくれている。

 このまま辞めたら、それって、申し訳なくないか。高橋監督は「頑張れないならしょうがない」と言った。自分が「頑張れること」って何だろう。これまでずっと頑張り続けたことって何だ。自分の居場所は一体どこにある。

 アテネ、北京両五輪で金を、ロンドンで銀を取り、未だ現役で泳ぎ続けるメダリスト・北島康介選手の背中が見えた。葛藤の行き着く先は、やっぱりプールの青だった。背を向けかけていた水泳の世界に再び本気で飛び込んだ。

針金になる

 昨年10月から練習を一層強化し、苦手のスタート練習に励んだ。短距離で一番大事なのはスタートだ。ここで後れを取ると追いつかない。

 「体を真っすぐ、ピーンで入る」イメージ。入水時は体を針金のようにする。それには強靭な筋肉が必要で、腹筋、背筋など今まで以上に鍛え抜いた。

 試合前にはシェービングを入念に行う。いつもはスネしか剃らないが、日本選手権では初めてワキも剃った。水の抵抗がわずかに違うのだという。 「0.01秒でも速くなるなら何でもしますよ!!」

 日本選手権当日は万全のコンディションで迎えた。試合前の緊張感が自分をレースに駆り立てる。「選手はみんな緊張します。でも、その緊張感が好きだから、みんな水泳をやっていると思います」

 すべてをかけて、飛び込んだ。速く。もっと速く! 誰よりも速く!! ひとかき、ひとかきに全力で突き進んだ。50m・合計33ストローク。精いっぱい伸ばした指先が、誰も知らない速さに触れた。

 記録20秒03。日本新記録だ。一度は奪われた栄冠を伸ばした左手が奪い返した。スランプが長かっただけに2度目の新記録は喜びもまた格別だ。

 「続けていて、よかった」

プールで就活

188cmの塩浦選手と並ぶ学生記者・関

 「今後の環境のこともあったし、いいタイムでひと安心。日本新記録は気分がいい」と、当時の心境を語った。学生でいる間は、大学施設を使えるが、今後は自分の練習場所は結果を出して自分で確保しなければならない。野球選手とグラウンド。サッカー選手とピッチ。水泳選手とプール。テレビは選手とセットのように映し出すが、その環境にいるには好成績を残して、スポンサーをつけなければならない。

 これからは、いわば水泳の就活だ。練習場所も、オリンピックも、結果を出し続けなければ、明日も同じ環境が自分を迎えてくれるとは限らない。覚悟が生半可では、アスリートは務まらない。

 リオ五輪まで、あと3年。日本人前人未到の世界まで残り0.03秒。塩浦選手はすべてをかけて、誰も知らない速さを追い続ける。