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トップ>HAKUMON Chuo【2013年早春号】>【ニュース&中大ニュース】インターナショナルウィーク 第4回テーマ「国連」 講演会

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ニュース&中大ニュース

インターナショナルウィーク

第4回テーマ「国連」

講演会

赤阪清隆・前国連事務次長語る

若い人たちに言いたい、安定と居心地のよさだけを求める毎日を送り続けて、人生に何の価値があるのですか

減少傾向の国連日本人職員

 前国連事務次長(広報局長)で、昨年8月からフォーリン・プレスセンター理事長となった赤阪清隆氏。64歳から若者へ痛烈なメッセージが発せられた。「若者よ、世界へ出でよ」京都大学法学部卒業後、外務省入省。外務省官房審議官、国連代表部大使、経済協力開発機構(OECD)事務次長などを海外で歴任、25年間過ごしてきた。懸念するのは海外留学生が減少し、国連職員のなかでも日本人職員数が減少傾向にあることだ。昨年3月に退職した国連はまだまだ気にかかる存在。中大にはアカデミック・インパクトという国連と世界の大学をつなぐネットワークがあり、中大が積極的に取り組んできたことを知っている。

赤阪清隆氏

 国連で働く日本人職員数は圧倒的に少ない。全体の専門職員約3万人のなか日本人は786 人、全体の2.6%。ここにはUNICEF(ユニセフ=国際児童基金)やWHO(世界保健機構)などの職員が含まれるが、国連事務局に限れば1万2000人中、214人。1.7%とさらに減少する(2011年7月末現在)。

 1990年代にはWHO事務局長に中嶋宏氏、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に緒方虎子氏、国連本部の事務総長には明石康氏がいて、3氏はそれぞれの国際分野で存在感を示していた。松浦晃一郎氏がUNESCO(ユネスコ=国連教育科学文化機関)事務局長を2009年に退任されると以後2年余り、日本人ヘッドは不在。2012年にようやく関水康司氏がIMO(国際海事機関)のトップ、事務局長に就任した。

元気な中国、韓国

 最近若者が海外へ出たくないという。日本人留学生数は2004年の8万3000人をピークに年々減少して、2009年には約6万人。米国への留学生減少が顕著で、1995年には世界最大の4万人超だった数は2011年に2万1000人に減り、米国での外国人留学生のなかでは7位。中国が15万8000人でトップに立っている。前年比23%増。以下、インド、カナダ、韓国、台湾、サウジアラビアと続いている。

 同じことは国単位でも言える。元気いっぱいでエネルギッシュな人というのは見ただけで分かる。国連勤務時代、元気な国の勢いを感じさせたのはインド、中国、韓国、ブラジル、トルコ、カタールといった国。大きな国際会議、万博。スポーツでは五輪、サッカーワールドカップ…。開催国に名乗りをあげている。

 私たちが若かった時代は右肩上がりのエネルギーにあふれていた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んで、あしたはきょうより必ずよくなる、と信じていた。

 右肩下がりに生きる皆さんは、あしたはきょうよりも悪くなるかもしれない、という難しい時代を生きていかなければならない。しかし考え方次第で面白い時代の到来ともいえる。つらい日本を支えて反転させるという大仕事を抱える。再び野性味あふれる若者のエネルギーが必要とされる時代に来ている。

 世界は広く、自分の可能性を試すチャンスが山とあり、元気のある若者を待っているところが世界中にある。国連、研究機関、大学、NGO、ボランティア活動などまだまだある。日本人は真面目で責任感が強く、チームワークを大事にするから、どこでも高い評価を得ている。国の勢いを取り戻すためにも、世界へ出ようではないか。(講演は昨年12月18日、中大後楽園キャンパスで行われた)

高瀬千賀子・国連地域開発センター所長

国連で働くには

 高校時代、シンガポールに留学していた。国際基督教大学を卒業後、英国サセックス大学大学院修士課程修了。1984年1月から国連事務局に勤務し、昨年2月から現職。

 就職を控えた大学4年、日本には男女雇用機会均等法が存在しなかった。女子が夜間仕事することを禁じられた時代である。

高瀬千賀子氏

 大学院で開発経済を学び、国連勤務を熱望していたころの話だ。 「インターネットなんてものがないころ。私は国連で働きたくて各機関に手紙を書きました。返事はすべてといっていいほどネガティブなものでしたが、皆さん返事をくださった。そこから国連への一歩が始まりました。大事なのは自分で考えて動くことです」

 外務省の支援を受けた国連勤務があることを知ってジャカルタへ。UNIDO(国連工業開発機関)のアソシエート・エキスパートだった。その後は国連主催の国際競争試験(Young Professionals Programme)を経て、国連職員として経済分野を中心に働いた。現職の国連地域開発センターは1971年に名古屋市に設立された。地域開発のために経済・社会開発、環境問題、防災管理計画などの観点から途上国や都市・地域レベルの開発担当者の能力向上を支援している。事務所はケニア、コロンビアにもある。

 「国連の事務局の仕事は、裏方仕事といえます。事務総長の会議用レポート作成、政府代表には重要会議のバック・グラウンド・ペーパーを用意する。交渉の席に参加して政策分析もします」

 国連事務局は男女平等で、「女性がのびのび働けます」と高瀬さん。学生に留学やインターンシップを利用して、国際的なオフィスで働くなどの積極性を求めた。

 国連に勤務して、国際社会のために尽力する。インターネット活用の時代、チャレンジする環境は整っている。
(昨年12月18日、後楽園キャンパス)

学生記者カンゲキ
私は、国際公務員として人道支援や平和構築に携わりたいと考えている。インターナショナルウィークでは、国連で実務経験の豊富なお歴々が登壇し、貴重なナマの話を披露してくださった。とても興味深いもので、今後もこのような機会をぜひ設けてほしい。話を聞いて、ますます自分の夢に向かって、日々勉強していこうと思った。

(学生記者 竹田 響=総合政策学部1年)