朝7時、日に照らされる中大の白いのぼりが、東京・大手町の和田倉門の前に立てられた。Cマークが朝日に照らされ、お日様の明かりが映ったかのように、朱色が輝いている。
「駅伝を強くする会」は、この日のために1年中、バスやホテルの手配、選手の応援に駆け回った。大手町は、そんな駅伝ファンであふれかえっていた。
ピストルの音と同時に、各校の駅伝チームがスタートを切る。ユニホームの原色がぎゅっと詰まった塊、それが、熱風のように一瞬で通り過ぎた。大きな歓声とともに両サイドの旗がバタバタと音を立てる。8時、第89回箱根駅伝が始まった。
スタートを見届けると、強くする会一行はバスに乗り込んだ。バスの中ではテレビ画面に声援を送る。山道では電波状態が悪く、受信不能になったりする。画面は止まったり、ぶれたりを繰り返し、やっと映ったと思ったらCMに切り替わるなんてことも。自分勝手なテレビに文句を言いながら中大の登場を待った。
途中、サービスエリアの女子トイレには長蛇の列ができていた。並んでいる人のほとんどが、ロゴ入りジャージに高いポニーテール。お団子髪やハーフアップの子もいる。さまざまな大学からきたチアガールたちだ。朝早くからスタートを応援し、これから箱根へ向かうのだろう。輝く笑顔に朝の疲れは微塵もみえない。
どよめき
山道で映し出された映像に、車内がどよめいた。2区の新庄選手が、フラフラになり今にも倒れそうな足取りでたすきを3区につなぐ。「どうした!!!がんばれ!」
テレビを食い入るように見つめるうち、バスはあっという間に箱根・芦ノ湖に着いた。芦ノ湖付近はキャラバンを思わせる華やかさであった。各大学が、自分の大学のスペースからあふれんばかりの演奏、ダンス、エールを発信している。道の両サイドは旗をもつ応援者であふれ、奥には地元の人の出店まで出ていて、まるでお祭りだった。
駐車場の端で練習をするチアリーディング、冷たくなった楽器を、吐息で温めて、入念に準備するブラスコアー。選手到着のずいぶん前から大きな声で、みんなの士気をあげる応援リーダー。まだかまだかと道の奥を覗きこむ参道の応援者、みんなが、熱風を待っていた。
先頭で入ってきたのは東洋大学、次に日体大…強豪校が次々に走り去ってゆく。
おかしい。中大が来ない。参道がざわつき始める。「今、16位らしい」「いや16位はさっき行ったはず」「テレビに映ってないのか?」情報が飛び交い、不穏な空気が流れた。「途中棄権かもしれない」そんな話がちらほら出たのは、応援が始まってから、すでに1時間が経過していたときであった。それでもなお、応援団の激励の声が響く。チアリーディングは笑顔で震えていた。ブラスコアーは切れた唇にリップクリームを塗って、演奏を続けた。誰も、あきらめなかった。誰もが、祈るように箱根の山を見つめた。しかし山道を下ってきたのは、一般車両だった。
下を向くな!
中大報告会は芦ノ湖前が一望できる駐車場で行われた。どんよりとした曇り空の下、冷たい風が容赦なく選手たちに吹き付ける。陸上部は皆、その風を避けるかのようにうつむいていた。中大は、5区完走までわずか1.7キロ手前で、低体温症と脱水症状のため、惜しくも途中棄権。連続シード28年の伝統が、この日崩れ去った。
明日(3日復路)は、出場は認められるがオープン参加扱いで、完走しても、区間賞をとっても、正式記録は残らない。茫然と立ち尽くす選手もいた。涙を堪えている選手もいた。悔しさを押し殺しての、淡々とした報告が続いた、その時であった。
「下向くな!!!」
強くする会の、誰かが叫んだ。選手が、はっとして顔を上げた。涙で潤んだ瞳が、前を見据えた。
翌朝、強くする会は5時30分に箱根町近くのホテルを出発した。前日と同じ場所に、同じように応援団が集まり、前日以上の応援をした。「中大OBです。旗は余っていませんか」「中大を応援したいんです」
記録が出ないのにも関わらず、強くする会が用意した応援小旗は瞬く間になくなった。応援団長のエールを、チアやバンドが盛り上げた。中大ののぼりで、参道が白く染まった。途中棄権だということが分からないくらい、参道の一角が、中大一色になった。
8時、応援団の大きな大きな団旗が、朝の風に翻る。みんなのエールを背中に浴びて、6区選手がしっかり前を向き出発した。
下を見ているだけでは、足元を、現状を、見つめ悲しむだけでは、何も変わらない。戦い続ける彼らには、自分のいる場所より常に前を、見つめる力が必要だ。明日を、明後日を、求めて走らなければならない。そうでなくては、厳しい箱根の山は超えられない。
「スポーツは結果がすべてだ」という言葉がよく使われる。たしかに結果がすべてなのかもしれない。こんなに練習したとか、こんなにハンディがあったとか、それを結果の前に出しても、何の効力もなさない。けれどもそれは、結果から見た以前に対しての「すべて」であって、結果のあとの「これから」に対しては、中継地点でしかない。結果は、スタートだ。そこに居座っていてはいられない。
シード権の安全神話は崩れた。けれどもこの屈辱を、明日につなげるべく6区選手は走りゆく。みんなの思いを託されて、過ぎ去る背中はたくましかった。今日この日から、明日へ。この年から、来年へ。屈辱の中継地点からつなげた、たすきの意味は大きい。